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色はすなわち空であり、空はすなわち色である~『般若心経』山田無文


臨済宗の高名な禅僧、山田無文が、般若心経を一般向けに解説した本書。Audibleで聴き読みしたが、とてもわかりやすく、幾つか腑に落ちなかったところの見通しがすっきりと晴れた。

般若心経とは、正式名称『摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)』といい、全600巻にのぼる大乗仏教の経典『般若経』を漢文で300字弱にまとめたものだ。

お坊さんが唱えるいわゆる「お経」はこれの詠唱で、これを読んでいる皆さんも、それぞれの記憶を掘り返してみると、お経の冒頭はたしかに「まかはんにゃ~は~ら~み~た~しんぎょう~~かんじ~ざ~い~ぼ~さつ・・・」と始まっているはずである。

本書は、この300字の般若心経に、まったくの初学者にでもわかるように順次解説を付けていく。とくに、ここに含まれる大乗仏教の真髄「色即是空」の思想は、本来かなり複雑で理解に窮するものであるはずなのだが、周辺にある仏教概念の解説や身近な例えをうまく交えながら、ひとつひとつ丁寧に噛み砕いていくことで、われわれもその理解のはしごを一段ずつ登って行くことができる。

個人的に読んでよかったなと思えたのは、先日紹介した東洋思想の優良入門書↓にあった般若心経解説でピンとこなかった部分が、正しく理解できたこと。

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

般若心経前半において、色即是空が示される箇所である。

色は空に異ならず、空は色に異ならない。色はすなわち空であり、空はすなわち色である。

「色」とは、いわゆる物質のことであり、我々が実体として知覚・認識できるものだ。そして「空」は、定義がとても難しく、解釈が揺れる部分でもある。

飲茶本においては、「色即是空」の「空」を、「縁起」との関連において"ことがら同士の関係に関わるゆえに区切り難いもの"と一旦定義はするものの、即座に龍樹『中論』を引いて、「無(実体がない)」とほとんど同じ意味として処理している。

一方、山田無文は、「空」は「無心」のようなものであると明言する。

なんの物体も存在しない、ではない。色に向かう主体としての意識における、「無心」というあり様が、色をあたかも無いものとするのだ。

著者は、これを笛の演奏になぞらえる。笛に熟練したものが、一心不乱に笛を吹いてる時、そこには自分という存在も、笛という物体も意識の上にはのぼらない。笛と自己は渾然一体となり、美しい旋律を奏でる。そこには、単なる物体としての、客体としての笛はなく、また、主体としての意識もない。無心であることは、すなわち笛であることとなり、無心であるにおいて、自身はすなわち笛となる。

こうやって、主体としての私たちが、この世界のあまたの実体と関わるところのその関わり方が問題となる。心を無にするという実践を通じて、あらゆる自然と一体となり、いかなる表象にも動かされない「悟り」の境地に至る。

仏道の実践者たる著者だからこその、主体の実践に根ざす解釈でもあるのではないか。少なくとも、空と無を一緒くたにしている前掲書に比べ、その理路は明快だ。

他にも、仏教思想の根幹をなす興味深い概念を色々と拾うことができた。

たとえば、精子は因、卵子は縁(または、合わさったものが因)、それが細胞分裂して因縁になる、という話。細胞は物理的実在だが、遺伝子や才能が入ってるから単なるモノではなく、でも精神かというとそうではない。このあたりはアリストテレスの質料-形相的な実体観とほど近い印象を受けた。


優れた般若心経解説本にして、しかし本書全体に密かに伏流する、「幸せに向かう心のあり方」に向けた著者のメッセージが、Audibleで直接耳に流れ込んでくる体験は、それだけでとても心地が良かった。


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