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はるかむかしの生命誕生からずっとさきの未来までをかんじられるジョアン・ミロの絵画


はじめに

 中学のころだったかな。おそらくいまごろの時季。新学期に配られたばかりのインクのにおいのするまっさらな美術のテキスト。パラパラとめくるとおもしろいさし絵。変わったデザインを描く画家がいるなあとしばらく目がはなれない。

図書室で画集を探しあてる。それ以来、彼の絵にはいまもって惹かれる。興味のつきない画家のひとり。

きょうはそんな話。

絵への興味

 世のなかには見たとおりでない絵を描く画家がいる。中学のころにそう思った。新聞の日曜版の大きな画面で毎週ひとりずつ画家が紹介されていた。

画家をたどる記事を記者たち(のちに知ったがいずれもこの新聞社の生え抜き)がもちまわりでユーモアあふれる文章で紹介。ぐいぐい引き込まれて画家への興味がひろがる。「ほかの絵も見てみたい」がいつもの読後の感想。まだまだ見たとおりにさえ描けずにもどかしさばかりのころだった。

「こうした個性的な画家たちが大勢いる(いた)」「せかいはひろい」とあらためて知る。美術の先生になるのもいいなあと思いはじめたのは高校に進んでから。興味のある世界ではたらける。そのおもしろさをつたえられる。でもしごとにしてしまうのは惜しくないか、化学のせかいもあるぞとべつのじぶんがちがう道にさそう。

大学にすすむと

 美術部に入ったのは大学がはじめて。それまでは運動部ばかり。そこで本格的なデッサンと油絵を知る。さまざまな学部から絵の好きな仲間があつまっていた。

さらに月1回ほど県内の大学や短大の美術サークルの学生たちがおおぜい集まり親睦を深めた。キャパシティのあるわたしのいる総合大学にあつまる。それでいつも幹事役。おなじ嗜好をもつもの同士。気の合うヒトビトがこんなにたくさんいるのかとおどろいた。

さて美術部。毎週何曜日か忘れたが部会であつまりそのあとにクロッキー。タバコを口にくわえたまま描く先輩たちがおとなびて見えた。1年生のわたしとはずいぶん年がはなれてみえたもの。

1時限目の授業を選択した同級生たちと始業まえに部室に集結。おたがいをモデルにクロッキーを数枚かいたのち授業にむかう。つづいたのはいつのまにか朝につよいわたしと、もうひとり自宅生の同級生だけ。しばらくつづけるうちにずいぶん早描きできるようになった。

自由な絵のせかい 

 写実的な絵ばかりでなく、自由に描くこころみを再開。そのすこしまえからミロやピカソの絵が気になっていた。高3の美術の授業ではじめて実際に描く機会がおとずれた。キュビズムの講義と実習。

おたがいのクロッキーを写実ではなくキュビズムのかんがえにもとづいて描く。まるでピカソやブラックがするように。じつにたのしかった。大学の前半では高校とくらべると時間にゆとりがある。自由に描けて気力も充実していたのはあとにもさきにもこのときがいちばん。気が向けばモデルをやってくれる理解あるなかまがいつもそこにいた。

この経験をとおして絵はやりたい表現でいいんだという考えになれた。肩にのしかかっていたものがとりのぞかれたかんじ。するともう一段だけ自由になれて、絵によりふかく没頭しそうになった。

大学の途中でやはり美術をしごとにしようかとあたまをよぎる。いやいやたべていけないだろう、いまやっている化学のほうをめざそうともうひとりの自分。

おわりに

 けっきょくそのまま大学院にすすんだが、それとて生命の化学反応の色の変化に魅せられたからという素朴な動機から。自然への興味とは意外とあっさりしたもの。ミロの絵に生命の誕生時の世界を想像してしまうのもわたしの根源的な興味からくるのかな。

なにも高尚なものでも深遠な意味づけからはいるものでないと思う。いまだにミロの絵の模写を額に入れてほっとしつつながめる。


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