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現実とバーチャル画像の区別ができなくなりつつある一方でかんじるものたらなさ


はじめに

 きのう、恐竜やニュースの番組(NHK3月26日21時ほか)をネットで見ていてふと思った。実際の自然のようすなのかそれとも人工的につくられた動画なのかわからない。

細密に描写された恐竜たちのうごきにわたしの目はつきあわされて、背景となる風景については目が追いつかない。それでいずれなのか区別できないうちに次の画面へ。いったん気になりだすと本来のすじとは関係なく背景ばかりを気にするじぶんがいる。

番組のさいごに登場していた親子を演じていた役者さんたちはじつは現実ではなかったりして。もう、なにかわからなくなりつつある。

きょうはそんな話。

コンピュータグラフィックの進歩

 大量の人工的につくられた画像にどっぷりつかるように生活している。べつにその分野にくわしいわけでもかかわっているわけでもない。それでも「えっ、これは実物だろう。」とか「これはここの線がのこっているからグラフィックだな。」と気づけるときがある。

コマーシャルで視聴者に気づかれないギリギリまで画質をおとさずに高速でコマを進めようとする。アマチュアのわたしでもあらさがしをすれば画像の粗さに気づいてしまう。とろみのある液体の刻々と形状変化する表現などはどうもむずかしいようだ。苦労のあとは見えるが、ここは多面体で処理していたんだなとまだ気づけるところがある。

うでを競う

 こうしたところは技術者のみなさんの腕の見せどころだろう。本物らしく、あるいはよりよいものとして感じとってもらえるように努力される。高速描画のできる機材やそれに見合うソフトなどの技術ももとめられるのだろう。

分野はちがうがたとえば扇風機。ひとむかし前ならば均一な風がモーターに直結した羽で起きるにすぎなかった。ところがあるころから自然のそよ風にちかいここちよさをそなえた風を起こせる商品が出てきた。これはなかなかいい。クーラーにもそうしたここちよさがそなわるものもある。

コンピュータグラフィックもしかり。家族のやっているゲーム。わたしはやらないがだんだんとリアルな描写に進歩したと感じる。おそらく内蔵されているコンピュータの性能いっぱいを使うだろうなと思う。

むしろコンピュータの演算の能力の一部はこうしたよりよい動画を描くために進展しているといえそう。黒い背景の画面に緑色のプログラムのドットのめだつアルファベットが表示されていたころがなつかしい。まだ半世紀もたっていないのに。

これからさきには

 さて、Vチューバーをあちらこちらで目にするようになった。もちろん目新しさだけでない。人材不足の世のなか。ふさわしいタレントをみつけるのもたいへん。ところがこうしたバーチャルの存在たちはつかれを知らない。

ふとニュースに登場していたそのうちのひとりをなにげなく見ていた。なにかものたらない。内容があまりこちらに伝わってこない。さらりとなぞったぐらいの印象。

評判だそうなのでこれはこれでいいのだろうし、これを好む方々がいるのだからそれはそれでいい。なにも不自由しているわけではないのだろう。ケチをつけるつもりもない。でもなにかちがう。あっ、そうか表情。たしかにたまにまばたきはするし、要所要所であたまをほんのすこし傾けて笑った表情などをおりまぜている。

おわりに

 はかない。それが魅力なのかもしれない。それ以上をもとめなくてよい完成度なのだろう。うっかりいじるといわゆる「不気味の谷」へとむかうのかもしれない。ただしわたしはそれともちがう「好感の峠」とでもいえるもっとはじけた存在があるのではないかときのう休日の番組を見つつ考えた。

どうもそのあたりの加減がむずかしいのだろうな。技術者のみなさんは当然気づいていて、そのあたりの足し引きでなやまれているのかもしれないなと思った。

ヒトとヒトがコミュニケーションすること。わたしのかかわる生命科学、それにくわえて心理学、言語学、美術など興味のある分野とのかかわりもここへ加味されるとどんなことが起こるだろう。なにかおもしろそう。


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