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隔靴掻痒 かゆいのはこっちだよ 研究費をサポートすべきすぐれた研究者は申請書がきをかならずしも得意としない


はじめに


 あ~もう、じれったい。がまんしてたけれど書かず(掻かず)にはいられない。もう、そんなかんじでモンモンとしている。だって原資はわたしたちの納める税金や預けた財投債だよ。

せっかく政策ですすめてくばるならばこうしないと。ほんとうにすぐれたヒトたち(ここでは研究者)には届かないよ。その研究費。

一時期そうしたありがたき研究費を拝領する立場にあって、いまは自由なパート研究者。「〇〇は見た!」ではないけれど、おとなしく善良な機関所属の研究者にかわりイケンしたい。

クニの予算のわりふりさきとは


 ちょっとのあいだ(とはいっても十数年)かかわったけれど文科省をはじめとするクニの指導者たちの研究者へのお金の出し方。だんだんこじれてきた。つまりおかしな方向につきすすんでいる。競争をうながしたい意図とはかけはなれた方向にねじれてきた。

さまざまな立場での関連する文章を以下に。

大学ファンドの異質性~国民負担を生じさせないために~ 原田喜美枝  日本証券経済研究所レビュー 第62巻第6号(2022年6月)124-133. 


今回は「もうけないとごほうびの予算をあげないよ」と、「お手」をおぼえかけの犬が聞いたらおこりそうななりふりかまわぬシデカシよう。だってごほうびあげないと犬は芸をおぼえない。

ついあまりのナンセンスさに片頬で失笑してしまった(めったに笑わない)。ほんとにだれがこんなオモチロイしくみをかんがえているんでしょ。馬のくびのはるか5,000kmかなたへぶらさげたにんじんのハリボテを見せられている感じしかしない。

もちろん、このクニを憂えてのおこないだろう。それ自体を揶揄するつもりはないが、それにしても…。

やれっていったって


 本来の大学は将来の人材の育成や学問の開拓の場だし、おのおのの研究機関だって設立の目的や趣旨から考えると、そんな手法をかならずしもとれるはずないんだけどなあ。だって大学に企業のように稼げって。商売人の対極にいる研究者と職員のようだけど。

稼ぐやり方なんてものからかけ離れた存在のヒトビトに言っているのだからもう笑い話にすらなりえない(わたしは当時それなりに外部資金を得ていた立場ではあったのだが…。あくまでも代弁)。きのうも書いた。

そこでもってファンドをつくって、ごく特定の大学(もしくは一部の部門や部局)だけにプレッシャーをかけつつごほうびの予算をわりふるなんて。このはなしに乗らざる負えない大学人たちに同情しかない。へんなたとえだが大学の講座に農業経営学はあるが哲学経営学をわたしは知らない。

大学ファンドの対象外の研究機関こそ

 かやのそとのそのほかの研究大学でない大学・研究機関にとっても戦々恐々だろう。存続がかかっているのだから。

 犬(さかんに登場)の遠吠えのようなヒハンはやめて、もっと具体的にいおう。

ほんとうにノーベル賞の芽になりそうな萌芽的な研究をコツコツすすめている方々はこうした意外と中堅どころのかたとかんじる。

そうしたかたがたに自由に研究してもらえる予算、つまりタガのはまらない申請のいらない予算こそ充てがおうよ。かみくだくと「運営費」を復活させて、これにもどすだけでもちがうと思う。

つまり「おカネちょうだい。」的なネゴシエーションを得意としない方がかなりのわりあいでいる(とデータもなく独断でいいきる)。文科省はそれすら競争原理をはたらかせようとしているのだら。

予算現状はこうだろう。研究予算がたりない(自腹をきってきたがこれ以上充てるのは家族から白い目で見られはばかられる)状態になり、やむなく「じゃあ、やめるか。」とべつのおカネのかからないテーマにあっさりきりかえてしまう。

芽をつみとっていく

 こうして賞の候補やエントリーからみずからおりていく。あとわずかで栄光がころがりこんでいたかもしれない。おだやかな天候の頂上をまえに登頂をあきらめてふもとにくだるかのよう。

もんかしょうをはじめとした科学技術へ予算を投じる組織は、そんな芽をはしからツンツンつみとっていく。ああ、無情。

世の常だし不条理。だけどこれが実態だし、この層がきっと多い。研究は「運・鈍・根」といわれるゆえん。

こう思う。

「あきらめのいい」、「おカネに執着しない」研究者層に雑用からはなれられる時間とテキドな予算をあてがうとおそらく裾野がひろがる。パート研究者のわたしの立場からみてくるしむ研究者たちのようすを観察しているのでまちがいない。

予算はいま変な集中とかたよりを示している部分の4分の1ほどでよいぐらい。こちらにあてがおう。

このクニの研究の今後は…


 おそらく、わたしのたずさわる研究分野にかぎっても、すでにASEAN諸国から同レベルの論文が出はじめている。今後がおぼろげながら類推できそう。それらの国の研究機関のいくつかには最先端分野の機材がそろい、それらを使って出た結果が論文をかざっている。

ところがわたしのおせわになっているキャンパスではすでにそういった機材はそろわない。

つまりわがクニの中堅どころの研究機関を凌駕する機関がアジアにまちがいなく点在する。おそらく今後はこれらの国々の平均的な研究機関にすら匹敵できないところまでおちていくだろう。

おわりに


 このクニの指導者たちは30年前からの計画で独法化を意識して実行した。そしてみごとに大学組織を崩壊寸前までみちびいた。あとは最後の柱、つまり人材の柱をホイッとひと押しすれば崩壊が完遂する。

推測に過ぎないが、今後、授業料をあげられない段階まで来たら、こんどは人件費削減。アメリカなみに人件費も稼いでこいといいはじめる(すでにその実態もある)だろう。

そして大学には広大な跡地がのこり、重荷だった大学そのものがなくなりプラスマイナスゼロの状態でめでたしめでたしとなる。負債をかかえるわけでないのでだれも文句は出ない。あとはその土地の争奪戦…。


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