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十数年ぶりに論文を書く環境に就いて思うこと


はじめに


 転職前には多い時で年10報ほどの学術論文を書いていた。しんどくなってしごとを変えそれから開放された。晴れて「自営業」となれてふんだんにある時間とつつましいしごとをみずから差配でき、おだやか?な時をすごしていた。

ところが、昨年12月にひょんなことからもとの職場(研究機関)にパートタイ厶で復帰して、はや半年。以前と同様、論文を書く羽目に。そんな浦島太郎的経験のレポート。

さま変わり


 ここでつとめて実験と執筆にいそしむ日々が復活。そして以前の自分のやっていたことをふりかえり、よくもまあ、雑用(失礼)のかたわらこんなに書いていたものだ、と感心したりあきれたり。元旦やゴールデンウィークもなく家族をろくすっぽかえりみず、ほかのことをないがしろにしてきた。

そのつけがいまの自分にはねかえってきているけれどそれはそれとして…。

さて、むかしの職場に復帰してまず着手したこと。それは当時発表しきれなかった新事実のなかから陳腐化していない内容をピックアップ。内容をたして論文投稿の可能性がないか精査すること。それにプラスして実験。

もちろんこの職場にあらたなサポートをしてくださるスポンサーをさがす仕事もくわわる。できれば自分の人件費もほしいし、追試験の実験を必要とするものもでてきそう。実験面についてはべつの機会に記すとして。

けっきょく、あれこれ思案して投稿できそうなのは5~10報分ぐらいか。ところがこの作業、おもわぬ足かせがあると気づいた。

足かせとは

 以下で触れたいが研究環境はここ20年ほどでさま変わり。もちろんよくない方にだ。必要な予算は限られ、人員はとほうもなくけずられ非常勤スタッフがめだつ。

若い常勤の研究者が極端にすくなく、じっくりしたしごとをすすめるにはそれがブレーキになっている。でも急にどうこうできるものではない。

そんなもんだと認識して「はっはっはっ」と乾いた笑いでごまかすしかない。それにかえて必要最小限の費用で済むくふうができないかいつも頭をよぎる。

できるかな


 「できるかな。」NHKの番組名ではない。わたしは復帰の初日にそうつぶやいた。もちろん研究の遂行だ。けずられた研究のための運営費はいったいどこに消えているのかスタッフにたずねた。どうも光熱水費やその維持管理費、福利厚生面などらしい。共同研究を得ても間接経費でごそっと中抜きされるそうだ。

間接経費はどこかから降ってくるでも湧いてくるわけでもない。本来確保されていた研究の経費分を中心に毎年のようにけずり充てている。
 
もちろん全体の予算が毎年削られているので帳尻合わせしているともいえる。やりくりするしかない。すでに余裕はなく乾いたタオル(そのタオルすらない!)をしぼるがごとく、以下のようにしてありえない方法で工面する。

奉仕作業の一面

 わたしの職場の共同研究室。民間企業との共同研究にもとづき、この企業から手伝いの報酬を頂戴するとともに、研究室の貸り賃を負担している。これで研究機関の一室を居場所とできている。

だが実際のところ、たりない消耗品・機材を自腹で購入している。あくまでも自分の業績づくりのため、やむをえない。

もといた頃もあてにくい費用を自腹で工面したり後輩たちの世話を焼いたりしていた。それでもそれなりの報酬を頂いていた。ところが今回の状況は格段にきびしい。

  頂いている報酬 << しごとにかかる費用

となっている。つまり奉仕作業のうえに持ち出し。研究室への恩返しと将来のためのとうぜんの投資と思い納得ずくですすめている。

上で記した論文を投稿する費用もすべて自費。この状況はこの研究室のみならず、どうやら日本中で進行しているようだ。その状況を表す資料をみつけ、合点がいった。つまりこうだ。

資料から

 ほんの数日前(2022.6.14)文科省がふれている。日本の注目度の高い論文数が世界で10位になったと「科学研究のベンチマーキング 2021」(NISTEP, 調査資料-312) を引用した内容の「4年版科学技術・イノベーション白書」 が出された。

それにくわえてすこし古い朝日新聞の記事だが、論文の投稿費用(一報で10~数十万円かかるものが多い)はWeb上で公開する費用が加わり高騰している。日本では研究運営費の状況も相まって投稿費用を工面できないほど。

わたしが投稿する一般的なレベルの論文数すら上のNISTEPの指標では日本は世界で5位まで低下して久しい。

20年前ならば


 すくなくとも20年前、この職場の常勤だった頃には論文投稿費用は意識せずとも難なく出せていた。おそらく年間10報ほどでも今の1報の費用にもならない。そうでないとたくさん出せたはずがない。ところがいまではかすかに残る年間運営費で1報を出すことすらままならない。

あまりにもその格差は大きく理不尽だ。たしかに建物は耐震化など改修がすすみ、居住環境は充実した。以前は気をつけないと上から劣化したコンクリート片がおちてくるほど傷んでいた建物だ。

それがこの20年でどうにか改修できている。しかし、そのなかではたらく人々は疲弊し、はっきり言ってすさんでいる。どうしてこうなってしまったのだろう。

建物は立派だが

 職場環境(建物など)はたしかに見映えがよくなった。トイレも快適だ。でもどうだろう。

たしかに大きなプロジェクトや予算を確保している研究室もあるが、状況はそんなに余裕があるようには見えない。ほぼ非常勤スタッフの雇用費用で消えている。

社会保障費や雇用保険などをしっかり充当せねばならず、以前とは雇い方も変わったし、休日も確保しないとならない。

その一方でわたしのお世話になる研究室のように、いまだに40年近く前の機材をだいじに修理しつつ使っているところもある。自作もいとわない。企業の方が先日、見学された際に同情していた。本来ならば使い捨てするプラスチック機材すら洗ってくりかえし使うほど。

民間からの共同研究費の個別額は20年前とほぼ変わりない。したがって相対的には20年前の運営費相当をこうした共同研究費や委任経理金などをかきあつめてようやく息ができるぐらい。それでもスタッフの自腹で充当している分が大きい。

おわりに


 もちろん、ここのスタッフのみなさんは手をこまねいているわけではない。それぞれ努力されている。共同研究など運営費以外の予算の確保に熱心だ。

上に書いたように20年前ならば運営費がそこそこあったらその分の確保のためにあくせくせずによかった。それが最低限の研究の幅を広げる心の余裕になりアイデアが生まれていたと感じている。その余裕をもらえていないことが災いしていると思う。

ボランティアが自腹をきるほどまで研究機関の一部は疲弊している。論文投稿の費用を出せる研究費をどこからか工面しないとならないとつねに考えている。

マネジメント自体は他国の研究室でもおなじ。いやもっときびしいはず。トップレベルの研究室でも常勤スタッフの人件費の半分すら自分でさがすという。

ふりかえって日本。一定の研究成果をだしているにもかかわらず、正当に評価を受けて、つぎのしごとにつないでいけるかどうか。いまの現状を省みていきたい。

わたしがうごけるのは5年かな、10年かな。本業を控えめにしつつこのしごとに兼業で就いた。いつまでこのへんなかたちでのかかわり方がつづけられるかわからない。いまは雌伏の時期とおもい耐えて業績を積んでいきたい。

参考にした資料


科学研究のベンチマーキング 2021 2021.8、 文部科学省 科学技術・学術政策研究所 科学技術予測・政策基盤調査研究センター

令和4年版 科学技術・イノベーション白書 2022.6、文部科学省 科学技術・学術政策局研究開発戦略課 

朝日新聞DIGITAL 2020.4.5 

natureダイジェスト 2018.5、気付いてないのはPIだけ? Vol15.No.8.

Nature (2018-05-16) | doi: 10.1038/d41586-018-05143-8 | Some hard numbers on science’s leadership problems


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