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学習サポートはコンビニのあかるい電灯のような存在になれるか


はじめに

 こどもたちに学習の方法をおしえる学習サポート。主宰して18年目をむかえた。こんなにながくつづけられるとは思っていなかった。そのふりかえり。

あまり先々のことは考えず

 学習サポートをはじめたころは、中山間地の高齢者ばかりがめだちこどもたちをあまり目にしない集落でこんな形態のビジネスがなりたつだろうかとはかんがえなかった。やりたいことをむりなくやろうとするとこれがいちばんいいだろうとむしろじぶん本位でかんがえてだしてはじめた。

そこからはじまるので無理なことはしなかった。まえのしごとのようにわたしのなかにおおきな波をあたえずにやれて結果的にはよかったのかもしれない。この方法でいい、かまわないときてくださる方々が最初にいらしてくれたのがさいわい。それなくしては知名度ゼロからのスタートではこころもとなかったはず。

あとさきのことはあまりかんがえていなかったのが正直なところ。むかしからそう。じぶんにあわなければムリのない範囲で変えていけばいいとのこころづもりもあった。

生徒がふえて

 新聞におりこみ広告をなんどがいれるうちに、生徒がさらにふえてその生徒さんたちが口コミでひろめてくれたおかげかあつまりはじめた。3年目にはスペースをくふうしないとならないぐらい。そろそろどこかを借りないとと思いはじめた。

最初は自宅の28㎡ほどのスペースでのスタートだった。3回生徒たちを入れかえつつサポート。さいごの生徒たちは帰りがよるの10時前になってしまった。

しかも生徒はふえつづけていた。前の給与をいただいていたしごとと同様、きもちのつかれがではじめたころ、いい場所をみつけた。

移転して

 自宅から鉄道の駅に向かう途中の場所。フランチャイズの教室を経営されていた方がおしごとをやめられ、そのスペースがあいたことを知った。ほかのところがはいるまえにとすぐに家主さんと交渉。

ふたつ返事ではなしがまとまった。ほぼ生徒3人分に相当する月極家賃。電気水道こみでいいとのこと。なんとかなると算段。おしえやすいようにみずから木工事をおこない、ホワイトボードを新調し、移転。このころからしばらくがもっとも生徒が多い頃。

環境はもうしぶんない。教室前とよこに駐車スペースも確保できた。これは大きい。夜間のため保護者の方々は車で送迎なさる。念のため向かいのコインランドリーのオーナーと交渉して、ひろい駐車スペースもかりられたのは大きい。ここならばくるまを自由に転回できる。

教室はひろいので、玄関からはいってすぐに空きスペースをとれてしきりをもうけた。ここにこどもたちのために本やまんがをおいて自習や食事のスペースにできた。生徒たちはここでほっとひといきつける。トイレはろうかをすすんだ先の奥まったところにあり、生徒たちも気がねなくつかえる。

おわりに

 このあとつごうによりさらにひっこしをしたがこのあたりがもっとも生徒たちが多かった頃。さまざまな点で手のかかる生徒があつまりはじめたので、大人数をかかえることはのぞましくないとおもいはじめていた。

このあたりが転機だった。もっとひとりずつに手をかけたくなり広告を控えるようにした。アルバイトで大学生をやといはじめたのもこのころ。しかしアルバイトの学生さんの都合とあわせるのはむずかしい。人数をしぼるほうが児童・生徒のためであり、ましてやじぶんのためになると考えた。

いろいろと経営のむずかしさをかんじはじめたのもこのころ。今回はこのへんで。


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