意識せずなにげなくつかう身のまわりの品々 災害時にそのありがたみを知る
はじめに
わたしたちがなにげなく、それこそ「湯水のごとく」のたとえのようにつかうもの。じつはそれらはかんたんにはみずから用意できないものばかり。
きょうはそんな話。
ここ数年で
昨今の状況はどうやら峠はこえつつあるようだ。わたしたちはだれもが例外なく3年あまりの未曾有の経験をしてさまざま知った。とくに日常の生活をするうえでほんとうに必要なものはなにかと思い知らされた。もうほんとうになにもかも。たとえばマスク。国内ではかんたんには大量には準備できずに周囲の国々にまでさがしまわった。
消毒用のアルコールもそう。急にはつくれずに品薄になり、蒸留酒を代用したり、それに準ずるものをあてがったり。これだけの大人数に対してあてがおうとすると行動だけでなく、製品といわれるものはそれ以前であればいずれもそれまで意識せずとも身のまわりにあふれていた。
それがどうだろう。もろいものだと気づく。さがしまわる結果となった。品物をつねに意識せざるをえない。そしてけっこうシビア。そうだ自分でつくろうと思い至る場合でもどれもそうたやすくない。大量に準備できるかというとそうはいかない。材料もひっぱくする。
すくなくとも自分の身は自分でまもろうにも、それに必要な資材をあつめてかたちにするのもやはりかんたんではない。そればかりに時間をあてられない。このあたりまでは多くのヒトビトは思いついてほぼおなじ行動をとる結果、やはりおなじように気づいてがくぜんとする。このくりかえし。
たびたびの災害に
それから最近はどこであっても災害にみまわれる。あるいは被害をさけるために訓練する、はやめに準備する、そして行動にうつす。すると水と寝場所、トイレ。いずれも確保はなかなか。世話する家族の分もふくめてヒトにたよることはできない。
だれかがなんとかしてくれるはありえないとみずから思いしる。これもここ3~4年でつくづく知った。日頃から真剣にかんがえていつでも動ける状態にしていないと。いざというとき手間どるし、思うようにテキパキ判断できない。
これが1度でも実際に経験するとぜんぜんちがう。すこしだがこわれたわが家をながめ身をもって知れた。避難をくりかえしているうちにポイントが見えてきて、ムダな動きや品物を準備せずとも身軽にいのちをまもる最適のうごきに近づける。
ところがところが
昨年の夏、台風をさけるために頑丈なホテルを予約。これはここ数年つづいている。土砂災害警戒地域など複数の危険エリアにわが家があるのでいたしかたない。
隣家の両親もいっしょの車で避難する。ふたりにはすでに避難に対して可能性のある3日前から声がけをつづけていたが、やはり3日後の食料のことなどなにも準備できていなかった。翌日のおにぎりだけ準備していた。これでもいいほう。そこで気象が安定しているうちに両親の2,3日後の食料を買いたしておこうと、ホテル近くのスーパーにわたしが買い出し。
ところが考えることはみんなおなじ。ほしいとおもっていた品物については店の棚にはほぼ空。そうだよなあ、まずそうするはずだよ。そううなづきつつ代替品に手をのばす。意外とそのまま食べられるタイプの冷凍食品がまだのこっていたのがさいわい。
ホテルのへやの冷蔵庫にすぐに入れて2日後の夜にたべることができた。停電したらどうしようとは考えなかったが、それは起きずになんとかなった。今後は考えておかないと。
ホテルに日常の食事をだしていただくのはきっと無理と考えての行動だったが考えがまだまだ浅かった。停電のことまでかんがえて食料を準備しないとなあ。実際には予約したとおりに食事(制限つきバイキングスタイル)をだしてもらえたのはおどろきだった。ほんとうに台風のさなか感謝申し上げたい。
おわりに
「商品があるのがあたりまえ。つねに意識していなくても身近にある。」そんな生活の態度をそろそろこころの底から変えようと思う。場合によっては多少の不便や手順の多いものであっても受けいれて、日常の生活のなかであたりまえにつかえるようになる。これがけっこう効いてくるかも。
たとえば災害時にまずは伝言ダイヤルをとか、簡易トイレの使いかた、それにかわる動物用トイレ用品の効果的な使いかたとか、避難時の家の玄関への効果的な掲示物のあり方など準備してなれておかなくちゃ。
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