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ひさびさにみずからのnoteの文をアプリをつかいぬきうちチェックしてみた

(2023.10.2加筆あり)


はじめに

 noteを下書きしてみなおす。手を入れる部分がかぎりなくあらわれる。おかしな表現にもどりつつあるなあ。つたなく読みにくいし。あちらこちらに顔をだしている。なぜわざわざ読みにくいほうへみだれてしまうのか。

きょうはそんな話。

noteに出会って

 昨年の10月にいったんとぎれたのをのぞき、毎日ひとつずつnoteに文章をあげる。もはや日課となったのはうれしい。はじめてまもないころは1年もつづければすこしはましにならないかと期待。

10年あまりブログを中心にSNSをつづけてきた。たいてい数日おきにあらたな記事を掲載する程度。めったにコメントや反応があるわけではない。なにかものたらない。たどりついたさきがnote。読者のみなさまの反応がすぐにいただけるのがいい。ここは居場所になりそうだと腰をおちつけた。

それから2年あまりほぼ休みなくつづいている。はじめて半年は不定期だった。のちは毎日1記事。これほど持続したものごとははじめて。

なんとか300記事を毎日つづけて投稿できました。みなさまにお読みいただいているおかげです。

下書きをなんどかチェックする。すると出るわでるわ。こんなにもつぎからつぎへとくせやムダな表現があらわれるものか。ひとつをなおせばあらたなものが出現する。よくなるほうへとすんなりむかえばよいがそうはならない。

文章チェックアプリ

 世はネット全盛。種々雑多なアプリがみつかる。この言いかた、失礼かもしれない。おゆるしください。つくられた方々はよかれと、どれも熱心につくられたはず。

そして「これは。」というものがみつかる。お世話になっているのが文章チェックアプリ。いずれもすぐれもの。わが文章を客観視して評価するのはなかなかむずかしい。「なおす必要はないな。もうカンペキ。」と思いこみがち。

ある日。「読みにくいなあ。」とふと気づき、チェックのためにアプリを稼働。たいてい危惧したとおりか、さらによくないとあばかれる。なさけ容赦のないほうがむしろすがすがしい。

反省しきり

 文を定期的に見直さないととふと気づく。よかれと思い修正するとある方向へシフトしがち。いかんいかんとまたべつのところへ。一連の作業でベストにむかうとはかぎらず、右往左往が延々とつづく。修正作業ですら主観と思いこみであらぬ方向へとむかう。もはや結論としてじぶんでは修正には限界をかんじる。

おおなたをふるうようにバッサバサときりすててほしい。その結果じつに内容がなくシンプルになりはててかまわない。なにがいいたいのかわからなくなったら、こんどは文章の骨子を短文で示してくれるアプリ。まあまあつかえる。

表示された要点と、書こうと着手した段階での主題が一致しないならば、連綿とつむいだものがあやしい。てにをはを修正するだけで改善するならば、一から文法とニホン語の表現をやりなおさないと。

おわりに

 文章をみがく作業は一朝一夕でとたんに身につくものではない。しかもさびつきやすい。日々たえずこつこつ記しつづけるしかなさそう。

同時に書き記したものを客観視するのはむずかしい。たまにここを修正しようねと明示してくれるアプリのサポートをもらえるといい。


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