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(ショートショート)自分のために石を拾う


はじめに

 ある時期から礼さんはそれをはじめた。たしか高校生の頃から。きっかけは何だったか思い出せない。

遠出をするとそれなりに記念になるものをと考え、手っ取り早く身近にあるものを手にとった、そのぐらいのことだったかもしれない。

旅に出るとかならずそうする。なかには週末の通勤帰りでもおこなうことがある。


外出先で

 じつはその行動とは石を拾うこと。決まった目的があるわけではない。そうしろとだれかに命じられたわけでもなく、新たな宗教でもない。

鉱物学や岩石学に詳しくもなく、石の持つ魅力に目覚めたわけでもない。目についた石、ここから持っていってもだれからも咎められないところから入手する。

その場にある石を拾い上げたくても、人通りの多い場所では奇異に見られそうなので、靴のひもや靴下のぐあいを直すしぐさをしつつなるべく目立たないように。基本的に周囲にあまりひとがいない状況でさり気なく拾う。

石が集まると

 当然のごとく収集したら増えてくる。どこで拾ったかわからなくなるので石ごとに記号をつけて、PCで管理する。日時と場所を記録し、ついでにその日あったことをひと言そえる。それで満足している。

おそらく趣味の一種だろう。知恵を持つ生きものの特徴的な行動のひとつ。これもその範疇であり、そう不思議な部類ともいえないだろう。世の中にはもっと変な収集癖をもつヒトがいるらしい。使い終わった切符や切手、果ては牛乳ビンの紙フタやわりばしの袋など、どう考えても実用上は何ら価値は考えにくい。

だれでも思い当たるのではないだろうか。集めはじめると目的のものはほかの雑多なもののなかで、ひかり輝いて見える。いつもほしい物としてリストアップされていて、もっていないものはなおさら価値が高く、羨望の的になることがある。

だが礼さんの場合には明確にここだけはちがう。知らない街で歩いていてそうした「ひかり輝く石」にめぐりあうわけではない。

ただ、「ああそうだ、いつものように石をひろっていこう。」と思い出し、足もと近くにある中から適当な石をひとつだけ拾っているにすぎない。果たして収集癖といえるのだろうか。

自分を見つめる

 礼さんは人から趣味は何ですか、と聞かれるたびに「石集めです」とは答えない。話がややこしくなると容易に想像できるから。そこで無難に「音楽を聴く」と答えている。

この自分の行動は何のためにやっているのだろうとあらためて考えた。でもわからない。心理学を大学で専攻したおさななじみに冗談半分で聞いてみた。興味を示し、少し考えたあと「わからないなあ、もっと調べてみるよ。」と返事をくれたが、そののち話は出てこない。

やっぱり趣味なんだろうと思っている。メモを残したり、石をとりあえず手元に残したりしているから。そのうち話してみたら「素敵な思い出の品ですね。」とか「手頃な趣味だね。」とか言ってくれる人が現れるかもしれない。

おおかたの人の趣味なんてきっとそうだろう。大収集家やプロのコレクターからしたら、ほんと箸にも棒にもかからない、とるに足らないものだろう。それはそれでいいし、むしろそうありたい。悪い言い方かもしれないが、興味のない人からするとたいして意味がないことでは共通している。

いつもとおなじ

 近頃はずっとこのままつづけるだろうなと思っている。しばらく休んだり再開したり、気ままで何の支障もない。ほんの小石なので机の上に全部ならべるほどしかない。人様に迷惑をかけるでもなく、場所を取るわけでも石の重さで床の抜けることを心配するほどでもない。

これらの「コレクション」を眺めていると、ほっとくつろいでいる気持ちになれる。とくに仕事で疲れて帰り、寝るまでのあいだの石とのひとときはまちがいなくそうだ。あすもがんばろうという気にさせてもらえる。

これだけで十分じゃないかと思う。それだけの価値がある。他人にはわからないかもしれないが、すべて自分で選んだもの、自らの考えで手元に集まったものだ。無意識のうちに必要と感じて入手したのかもしれないと考えると不思議な感じがしてくる。


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