ひたすらこもっていた時期とくらべて青空をみるともったいないと思えるようになってきた
はじめに
昨今の状況からまわりをうかがいながら、用心しつつうごきはじめたかんじ。ちょうど穴から顔だけ出しているみたい。きもちはすこしだけまえのめりになりかける。
いや待て。そんな立場じゃないだろうともうひとりのじぶん。そう、老いた両親だけでなくわたしも基礎疾患もち。うっかり近寄れないし、しっかり世話するのはいままでとおなじ。きもちばかり先走り、慣れて身についた行動で制御する感じ、
街のきぜわしいうごきを遠まきにしつつ、そんな微妙なきもちをかかえる日々がつづいている。まえむきなのはたしか。
きょうはそんな話。
先日来
つい1か月前に昨今の状況を行動面から総括した記事を書いた。
それにつづいてこの状況をきもちのびみょうな変化の面から書いてみる。まずはこの状況におちいったころをふりかえる。
3年半まえのこと。状況がどうもおもわしくないのは諸外国のようすからあきらか。以前のSARSなみの注意が必要だとはやめに学習サポートにあつまる生徒たちや保護者の方々に話した。わたしは生化学者という立場でもある。いつもどおり科学的な根拠をもとめる。まだまだ判断には情報がたりない。
どれだけの注意をはらい行動すべき状況なのか、わからないうちは最大限の注意をはらうのは科学ではごくふつう。おおげさにみえる実験用の防御用具などといっしょ。状況がつかめればゆるめればいい。その逆はよくない。
先手をうてた
周囲よりもはやく行動をとりはじめた。保護者の方々のなかにはわたしの判断にけげんな表情をうかべる方もいらしたのをおぼえている。その変化をかんじて大げさかなとあたまのすみをよぎったが、いや、ここはこのままでいこうとふりきった。
この判断で先手を打てた。おかげできもちにすこしだけ余裕ができた。すぐにかつてない状況におちいり学校がやすみに。全面リモートで生徒たちと接する機会を数か月のあいだたびたびくりかえす。わたしはたんたんと行動していた。おちついてまわりの状況をつかめていたのがふしぎ。
この数か月あとには例年の半分以下の収入になったにもかかわらず、自営業にはありがちなこととへいぜんとしていた。さまざまな支援を行政から受けられたので、感謝しつつ平常時の自営業特有の「不安定さ」にないこうしたサポートに、きもちとしては息をつけた。
いっぱいいっぱいだったというよりも、まわりの余裕のない方々をなだめ、勇気づけ、なんとかサポートするほうがたいへんだった。やっぱりついていけない方々が想定以上に多かった。リモートに急変したり、学校に登校せず昼間もこどもたちが家にいたりの状況は、保護者の方々にとっては心配の種。それはよくわかった。
気づかい
そこで昼間のサポートをさまざまおこなった。じぶんがいつも以上におちついて行動できていたのがふしぎなぐらい。
日常とほぼかわらない(鈍感なのかな)わたしのようすは、こどもたちや保護者の方々のきもちをおちつけるのに多少は役だったのではないかと思う。「昼間にみてもらえるのでたすかります。」とおっしゃる方々の声を聞いてこちらもよかったよかったと胸をなでおろした。
おわりに
わたしが心身の面で大波をくらわなくて済んだのはさいわい。もちろんさざなみ程度はもちろんいくたびか経験した。それもいまとなっては冷静に行動に対処できたなと思える。先手をうてたのがさいわい。よかったにちがいない。それでもサポートしていた方々のかなりの方が途中で断念された。どうされたのだろう。
ダメージはわたしの側にはないといっていい。その程度のことでどうこうなるものでない。ひごろから心得ている。すでに昨今の状況のなかばあたりで、先のほうをむいていたのはたしか。きもちの面ではアフター〇〇の状態だった。きもちが先走らないか心配するほど。
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