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わりと高めの音がわたしには聞こえているらしい なにも得にはならないけれど


はじめに

 さまざまな多様性があってみんないろいろ。それはじぶんにもあてはまる。ほかの方と似ているぶぶんもあれば、ここはすこしちがうかなと。

そんなことはあって当然だし、それもふくめてじぶん。だれにでもヒトにつたえるほどでないそんなちがいがあるからこそおもしろい。

でもなかには以前からふしぎだなと思えることが。

きょうはそんな話。

物理の実験で

 あれはたしか高校1年のころ、物理の実験室だった。「音」の単元。いつも物理の教師は短い演示実験をやりながら物理の法則などの説明をされていた。このときはオシロスコープとさまざまな周波数の音をだす器具をくみあわせて話をすすめた。

そして最後のほうでヒトの聴覚の話がでた。どのくらいの周波数の音を認識できるのか。「ほかの動物たちのなかにはヒトには聞こえない周波数の音を利用して行動する生き物がいる…。」など興味深い話を実験をまじえて話された。

「このあたりまではヒトにも聞こえるが、だんだんあげていくと、ほら、これ以降はコウモリ。」と教師はいいながら音は高くなりオシロスコープの波はこまかくなっていく。ヒトによってもそれぞれ聞こえる音の高さにちがいがあると説明。ここで実験。生徒みんなに手をあげさせて、周波数を変えつつ(高い音へ)聞こえなくなったら手をおろす。


クラスメイトと

 だんだんと音は高くかぼそくなりクラスメイトの手がおりていく。40人あまりの生徒たちのなかで手をあげているのはわたしをふくめて数人だけに。き~んとかすかに聞こえつづけている。そして手がおりていく。

「あれっ、まだ聞こえるの?」わたしだけ手をあげた状態になり教師がけげんそうにたずねた。こくんとうなづく。周囲からどよめきがあがる。すこしだけ不安になる。それから教師が機器のダイヤルをまわし、ようやくしりすぼみに音はちいさくなり突如きこえなくなり、ほっとして手をおろした。

「なかにはこういうヒトもいる。」と教師はほほえみながらわたしのほうを見つつことばをおぎなう。

われながら「やっぱりそうか。」とこの特殊能力に納得。それには理由があった。

団地に住まう

 わたしは父のつとめる会社の社員家族向けのアパートの3階に住んでいた。するとたまに2階から3階にむかう途中ぐらいからかすかに高い音がきこえてきた。なんだろうと思いつつ3階の厚い鉄のとびらをあけてわが家に。

すると家族のだれかがテレビをつけていた。こうしたことが何度かあり、わが家のテレビがついているとこの音が家にたどりつくまえでも音がすると気づいた。テレビの音声が聴こえてくるわけではなく、甲高い前述の物理の実験のときとおなじような音。

そこでたどりつくまえに家族にたずねてみた。テレビを観ていたよね?とたずねるとたいていあたり。鉄のとびらはとじていても聞こえていた。わたしの耳がすこし変わっていると気づいた。

モスキート音

 わたしの主宰する学習サポートでのできごと。ある生徒がわたしに「この音、聞こえますか?」とたずねた。年上のわたしをためすという。しばらくなにやらスマホでセットしてわたしの耳元へ。「うん、聞こえるよ。」とわたし。「へえ、先生若いなあ。」と生徒。

「何の実験なの?」とわたし。どうやら年齢を重ねるとこの音がきこえなくなってくるという。蚊が耳元で飛びまわるような音だった。これがきこえなくなってくるのかとしみじみ思った。

年をかさねて耳の聞こえがぎこちなくなるのはこんなところからはじまるのかもしれない。生徒から教わった。

おわりに

 なにもこのことはなにかに役立つわけでもない。多少のメリットとして蚊の飛ぶ音を認識できるぐらいかもしれない。

このあいだもじぶんでためしてみた。いまだこの状態のまま聴覚はつづいているようだ。

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