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てもちのさまざまなものをどの順序ですこしずつ手放して処分していくか


はじめに

 長年生活しているとものがすこしずつふえていく。つかわないのにまだつかえそうとか、なにかになりそうと捨てきれない。

そのままにしていると文字どおりのゴミなんとかになりかねない。あやういのですこしずつ手放していこうとうごきはじめた。

きょうはそんな話。

ものがあふれる

 家を2世代むきにつくり、両親といっしょに住むだんどりをととのえていた。ところが両親はもとの家がいいと古い家をじぶんたちでリフォームしてとなりに住んでいる。

そのこともあって家族はすくないのに家がやたらとひろく感じる。そのひろいはずの家にスペースがあると油断して、いつのまにかものがふえてはっとした。

なるべく辛抱してつつましくくらし、ぜいたくをしているわけではない。にもかかわらずふえていくのはすてないから。たとえばPCやプリンター。多少の部品修理をおこなえばそこそこワープロとして、そしてそれなりの出力もできる。

にもかかわらずインクがつまったとか、紙を送れないとか、多少のストレスにねをあげてあっさりあたらしいものを買ってしまう。古いものはそのうちつかうだろうと置いたままになってしまう。いざ使おうとすると故障したままだったと思い出す。

そうした行動をくりかえすうちに、わが家はここ30年ほどの機器の展示場になりつつある。なにもこの中山間地にOA博物館をつくる予定はない。思いきって手放せばよいはずだが、根っからのズボラがわざわいして踏み切れない。

そろそろ潮時

 2年まえ。家のゆか板がどうもあやしく妙に継ぎ目を感じるなあとクローゼット付近を素足でふんだときにおもった。しらべると重い本の書棚をいくつも偏る位置にすえつけている。

これが床のたわみの原因とみた。案の定、なかの本を選別して読んでもらえそうなものは協力しているNPOにすべて寄付。のこりは処分。するとしばらくして床板の継ぎ目を感じなくなった。かなり荷重をかけてしまったようだ。

処分の手順

 こうしてなにげない行動で家を気づかないうちに歪ませて傷めてしまうのだろう。ほかにもいろいろある床のシミの多くはわたしが原因をつくっている。どれも処分しなものを置きっぱなしからおこる。身から出たサビ。

そろそろこの性分をあらためないと家が悲鳴をあげそう。まずは使わないものから処分しよう。まずはわかりやすいもの。あまり興味関心のないものからはじめた。すると着なくなった衣類。

つかわないものは記憶に残りにくい。したがって再発見のタイミングでわたしの場合にはすでに利用価値を失っている。おおかたそう。例外はほとんどない。ヒトにあげようにも迷惑するのが必定。

おわりに

 ものを処分してもかぜをひくわけではない。家はより広さをもてあますことになるがそれでいい。

不必要なものを処分しても最初からもってなかったのとおなじ。記憶から消滅。あれはどこにやったかなとさがしまわらないで済んでいる。


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