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なぜいま木に興味を示すのか ふと若い頃に原点を求めてみた


はじめに


 木がおもしろい。

これまでさまざまなことに興味を示しちょっとだけ触れる、あるいはいろいろなところに首をつっこんでみるなど、どっぷり浸からない程度に接してきた。

そのなかで連綿とつづいているものがある。それに気づいたのはつい先ほど。どうやら原点を探れそう。忘れないうちに文をしたためよう。


興味を示す根源


 いったん興味をもつと身近におきたい性格のようだ。そのひとつが木。緑のしげるようすにいやされるが、それにもまして材料としての木材。

中学1年の技術家庭科で木工をまなんだ。ラワン材で工具箱をつくるのが課題。このラワン材、ごくふつうにベニヤ板としてホームセンターなどで目にするが、じつは無垢材もある。

その薄板を使い工具箱をつくる実習。中学に入学したばかりで何もかもが新品。かんなや両刃のこなど、おとなと同じ道具をしかも自分専用であてがってもらい、それだけでもう満足。しかもそれを使いものづくりができる喜びやワクワク感。いまでもその頃の高揚感は忘れない。

毎週の技術家庭科の時間が待ち遠しかった。やはり興味は修得のカギ。熱心にやっていると自分で言うのも何だが、まんざらでないできばえ。

校内営繕担当の理科教師(彼は生徒の間では口うるさいので有名)が、たまたま教室で各自が完成して置いてあった工具箱を見くらべ、「おお、これはいい出来だ」ととりあげたのが私のだった。


一片のラワン材

 むかしはこうした実習にけっこう時間をさけていた。道具の扱いはその機会をつうじてかなり身についたと思う。エンジンや電子回路などの基本も身につけられた。いまにして思えばなかなか実用的な授業だった。

さて前置きが長くなったがラワン材。作業すると材木の端切れが出る。わたしはかんなの調子をみるべく、ひとつの適当な端切れを使っていた。かんなの調子は2枚の刃の出ぐあいで決まる。それをみるためのためしけずり用だ。

いつも使うのできれいにけずれて木肌がなめらかで手ざわりがよかった。それで実習で使うためにかばんに入れていた。

すると学生かばんの中の常備品として居座ることに。100×40×8mmほどのサイズだからじゃまにはならない。ふしぎなものでそれ以来、学校でよいことがつづく気がして、いつもこの木切れがかばんにあるか気になりはじめた。

いいことがあるとこの切れっ端を取り出して感謝したり、何かにチャレンジするときにはふれてみたりした。翌日の学校のテキストの準備をする際も最後はこの木切れの存在を確かめた。もちろん高校入試でも。

おそらくこれが木との出会いの原点。ちがうかもしれないが濃くなり高まったのは確か。


修学旅行で木に触れる

 中3の5月頃だっただろうか。修学旅行は京都と奈良。木に興味を示していたわたしにはうってつけの場所。神社仏閣にはふんだんに木が使われている。

1400年以上経ってもびくともしないでいる法隆寺の建物や、大仏殿の束ねた柱の存在感。手に触れるとまさに年月を感じさせる古さは否めないが、まさにあたたかみのある木そのもの。圧倒されっぱなしだった。

その印象は今でも鮮やか。成人してからも最初の感動をたしかめるべく何度か同じ地を訪れたぐらい。

とくに京都に関しては特別な感覚が残る。子どもたちとも泊りがけの遠出だがチャンスがあればいっしょに訪れ、仕事でも半年の長期出張で家族ともども関西へ。京都線沿線に住むことにして、月に何度か京都を訪れた。

こどもたちの大学進学に関しては全国から選ばせたが、いずれの子も京都の地を選んだ。しかも専攻は植物。したがってわが家にとっては縁のある土地であり、植物との縁となった。


おわりに

 こうした若い頃の経験はその後の生き方に影響を与えがちなのかもしれない。そしてものごとの考え方にもその反映が感じられる。

 こうしたお守りと言うかおまじないというのか、小学校時代の小石、中学・高校の木切れと変わってきたが、これらはわたしには「安心毛布」としてはたらいた。

こどもの頃とは自信のないもの。安心感を自分なりに得ようとしていたのかもしれない。なぜか人に伝えてしまうとその効果が薄れる気がしていた。

それをだいじに身近に置く、あるいは携帯する。するとこれらのものが自分を守ってくれている。

一方、大学に進んで以降はこうしたものは持ち歩かなくなった。なぜそうできたのか、きっかけは何だったのか今となってはわからない。

思い出せたらまたnoteしよう。

(タイトル写真)にわの新緑のかえで(2023.3.30)

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