借りた古民家を自分でリフォームして仕事場に:10年使ってわかったこと
はじめに
築70年の古民家の離れを教育サポートの活動拠点に使うためにお借りした。貸主様からわたしの使いやすいように手入れをさせていただけるお許しをいただいて改修。いまも家から歩いて3分の仕事場にしている。
なるべく費用(自分もち)をかけずに仕事の合間にその多くを自分で改修、それから10年の歳月が過ぎ台風にも耐えてきた。結論をいうと申しぶんなく使えている。
ごく初期におこなったリフォーム作業。ながもちさせるのに必要なこと、維持のために追加メンテナンスしたほうがよいところなど使い勝手をふくめて示したい。
「乾燥」が借りる決め手に
ながもちの決めては乾燥ではないだろうか。これほど湿気を感じない古い民家はなかなかないと思う。それだけ屋根と床下に注意をはらって建てて、念入りに維持されたのではないか。床下が現在の住宅と比較してとても高い。
この地域の古い民家はわりとこうした床下の高い建物が多い。床下にもぐりこめる。そのぶん玄関から座敷に上がるまでに小さなこどもにはたいへんなぐらいの高さの家がある。
さてこのはなれ。乾燥が行き届いているせいか建築当初の床材や板が傷んでおらず、いまだにしっかりとしている。
床下が高いので風とおしがいい。畳をあげて床板をみてもシロアリなどの被害がなかったようだ。大家さんがこれまで丹念にシロアリ対策や屋根瓦の点検などをこまめにしっかりなさってこられたとのこと。
木造でありながら基本の骨格に傷みなく、そのおかげでいくつもの大きな台風などをやりすごしてこれたのだろう。
改修から10年間使いつづけて、やはりこれがながもちの決めてだと感じる。下見した当初、乾燥しているなと感じた印象はまちがいなかったようだ。
この離れとは
ここは戦後すぐに入院できる医院としてつくられたそうだ。戦後すぐの食べ物すら事欠いたころのはず。建築をよく思い立ったものだ。この地域には大正から昭和(戦前)の民家が残っているが、このはなれはそんなに古い方ではない。
和風建築として当時の風情をいくつか残している。たとえば天井が高い。小壁(長押の上から天井まで)の高さが半間ある。堂々とした造り。
それから鴨居の上には窓枠があり、どうやら最初から使い古しのガラスがはめられていたらしく、さまざまな厚み。戦後すぐの状況を物語っているのかもしれない。
しかもそのうちの数か所は手づくりのガラスなのだろう。ゆがんだ景色がガラス越しに見える。手のこんだつくりの木製の窓枠が南側全面に使われており、独特の風情を与えている。
改修の方針
木でつくられているだけに時間とともに歪んできている。これも木材ではごくふつうのことでしかたがない。とくに部屋への出入り口にあたる場所の引き戸はたてつけが悪かった。
曲尺の幅の半分ほど上下でゆがんでいる。はじめて下見に訪れたときには、部屋に入るために引き戸をはずさないと入れないほどだった。
頻繁に出入りに使うのでここを真っ先にじぶんでやり直した(タイトル写真は施工後)。
昭和40年代末に医院としての役割を終えたあと、一部を増築している。この部分にはベニヤなどの新建材とトタン屋根を使い、傷みがすすんでいた。皮肉なことにあとの時代にくわえた部分がさきに傷んでしまっている。ここを手直し。
もちろん工事に資格のいる屋内電気配線と、手に負えないトイレの便器の交換ならびに床工事、増築部分のトタン屋根張替えについては危険なので業者に任せた。
とくに電気配線の古い布で覆うなどした配線は劣化していたので全面配線し直した。
トタンの扱いは難しい。とくに細かな凹凸に合わせてトタンを細工するにはそれなりに道具と経験がいる。したがって今回は見合わせた。これは業者にまかせて正解だった。10年後の今も大雨や台風にしっかり耐えている。雨漏りの兆候はいまのところない。
改修費用(6ケタ)の大部分(95%)は業者にまかせた部分だった。これは致しかたないと思っている。
入口引き戸の修理
さて部屋の内部に移ろう。部屋への入り口、ここの梁はさすがにゆがみがあるがそれほどではなかった。さしがねをあてつつ、なるべく左右の高さがそろうように敷居の溝部分をのみを使い、数ミリ程度けずり調節した。梁の溝も同様。それだけでのちに示す戸はスムーズに。
つぎに引き戸。この戸は大きくゆがんでいる。敷居の溝には何度も力が加わった擦れあとが残っていた。戸はゆがみを直しつつ汚れが目立つのでかんなをかけ、そのあとサンドペーパーがけ。周囲のゆがみを修正。
2枚の戸のそれぞれ下部にノミで掘って溝を2か所ずつつくり、戸車を入れた。これで見違えるほど出入りは楽に。
引き戸の下部は杉板ではずせたので板部分の汚れをかんなとペーパーでけずった。薄板のふしの穴は実家をリフォームした際にとっておいた古いスギの薄板をのみで穴の形状にあわせてけずり、木工ボンドで固定しつつ木づちで打ちつけて埋め、ペーパーがけ。
取っ手部分は小さな金具で周囲は障子の一部だったため、この周囲の障子紙の傷みがとくに激しい。サポートを受けるこどもたちが頻繁に使うので開け閉めしやすく、よごれにくいほうが望ましい。
そこで、障子の木組み数個分をそっくり丈夫なうす板材に変え、その横部分に金具をはめ込んだ。これで少々手荒くあつかってもだいじょうぶ。障子紙はやぶれないタイプを採用。
10年使って出入り口はなにも手入れがいらない。さすがに取っ手部分の板(タイトルの写真)は使用感がでてきたが何ら支障はない。障子紙の色あせはわからない程度。ながもちするものだ感心している。
明るく快適に
本間6畳の二間つづきの部屋の壁、欄間と天井は無垢の板張り。したがって70年あまりを経てさずがに板が黒く褪せている。とくに昼間でも曇天や夜間は暗い。せっかくの南面のあかりとりを活かせない状況だ。
壁面はしっくいの色合いにしたかった。しっくい塗りは費用がかかるし、原状復帰には向かない。やむなく費用を抑えていずれ現状復帰しやすいようにあかるい色の合板をはめた。ひとが触れるもとの一部の板の壁面には障子紙を貼った。
薄板の欄間部分はそのまま化粧合板を取り付けにくいため、まずはもっとも上の部分(天井との境)と中央部に垂木として荒材(25×35mm)を木ネジで固定。そこへ合板を打ちつけた。釘が目立たないように頭を同色に塗った。
合板を設置したあと、アクリルペンキで古色づけした細い角材を吊り束部分の側面に木ネジでしっかり固定、ねじの頭は同色を塗った。これで一見すると板をはめたようには見えない。ある規模までの地震で万が一合板が脱落しても長押におさまる。
この作業で見違えるように部屋が明るくなった。やはり心地よい。風通しがよいので夏はひとりのときには冷房をつけなくても網戸にして風を通せば過ごしやすい。むかしの夏の室内の感じ。もちろんサポートを受ける子どもたちが入るときは高圧電力の業務用クーラーを入れる。
部屋の内装などに関しては、10年で手直しはしていない。多少使ってきた場所を補修して塗装し直した部分がある程度。畳を何度かあげて状態をチェックしているが感心するほど乾燥状態を保っている。
上記以外のリフォーム内容
10年前におこなったそのほかのリフォーム部分について列記した。
これらの作業から10年すぎたが、とくにそののち支障が出た場所はない。すでに70年あまり経って安定している骨格部分が安心感を与えてくれている。きっとこの家は手入れをしさえすれば100年もつだろうと思えてくる。外壁板の塗り直し(屋外用塗料)を3年ごとにおこなっているぐらい。
おわりに
手を入れるうえでもとの古民家のもつ雰囲気をある程度残しつつ、原状復帰しやすいようにした。その線で費用をおさえつつできる範囲で心地よく過ごせるにはと考えつつ手を入れてきた。
せっかくの昭和の面影をふんだんに残せて、その風情こそが心地よく過ごせる源泉だと思うので、そこは維持しようとした。
手直しすればきりがない。生活の場ではないので教育サポートに使わない風呂場は改修せず現状のまま。最低限、見苦しくなく不満を抱えず使えればよいという前提。
とくに昭和の増築部分(流し台とその周囲)に関してはぜんぶ取り除きたいほど傷んでいたので、最低限これ以上傷まないようにするねらいで作業した。今回はこの部分の改修については触れなかった。
関連記事
広告
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?