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はたらきながら博士の学位を授与されたときにわき起こった感情


はじめに

 すこしまえのこと。ある大学院の総長からじきじきに博士の学位記をうけとった。授与式があるので大学院をおとずれることと事務から案内があった。授与式にむかうとひとりずつなまえをよばれ、まえに出て内容を読まれ、手渡しのタイミングでじきじきにひとこと声をかけていただけた。学士や修士とちがい破格の待遇。

このクニ全体をみわたすと博士論文を書いた経験をもつヒトはごく少数にすぎない。ましてや論文博士の制度自体はもはや伝説のせかい。すでに博士の取得に関しては課程博士がほとんどのはず。せっかくなので記しておこう。

きょうはそんな話。

修士を得てから

 当時、修士の学位のままで大学の助手に採用された。いまや世の趨勢で、理系の職を得るには博士の学位と研究実績がものをいう時代へと変った。わたしがわかい人物でないとこの時点で知れる。当時はけっこう博士中途退学者や博士の学位をもたずとも関連分野の査読論文をいくつかファーストオーサーとして募集の研究分野と合致していれば、応募できる職がそれなりにあった。

いまとは隔世の感がある。博士号をもちしかも一流の雑誌の論文をずらりとならべたうえで、任期制のひとつの職の募集に3けたあまりのヒトビトが応募してくるのがあたりまえ。しかもチームワークの時代。面接である程度の協調性をもつ人物かどうかもとめられる。

博士をもとめる

 そんな難易度の高い職につくまえの大学院の修士課程ですら、クラスでごくひとにぎりしか進まない。当時の定員はクラスの人数の20%程度だったはず。ごくかぎられた「狭き門」だった。地方国立大学では修士までとれたが博士課程については当時はなかった。修士を得て上場企業や公務員の研究職・総合職をえらぶ仲間が多かった。世に修士修了者はまれで格段に職を選びやすくメリットが感じられる時代だった。

それでも博士号は海外へ留学するうえで必須。大学でそののちつづけてはたらくうえでも必要なもの。はたらきながら論文博士をめざすことに。ふだんのしごととはべつに博士論文をまとめる作業がくわわる。

その年はとくに暑く、自宅で執筆したが扇風機をそばにおいてまだ小さい子どもの相手をしながらの作業。なかなかはかどるものではない。予定された期限にどうにか間に合わせ、遠くはなれた大学院の主査の先生のもとへあいさつをかねて手渡しにむかう。それから1年ほどやりとりをつづけてようやく完成。

博士号のかず

 いただいた学位記の番号をみるとまだ3ケタになったばかり。これにはおどろいた。長い歴史のある旧帝大の大学院にもかかわらず、博士を授与されるヒトの数はごくすくない。やはり変わりものの部類なのはたしか。

いっしょに授与式に参加した方のおひとりはみるからにご高齢の方だった。長年にわたる研究をようやくまとめられたうえでの博士号。30代そこそこのわたしがおよびもつかないほどの感慨深いものがあったはず。

さぞかしご苦労されたのだろう。総長もこの授与者をまえに訓示をなされ、その方を向かれて「長年の勉励にたいして尊敬の念が…。」と述べられていた。ほんとうにこちらも同感だった。ひとつのことにこれだけながいあいだ真摯にとりくみひとつひとつ言葉を紡いできた。これこそ文字どおり「博士」にふさわしい。

湧きおこる感情

 つぎつぎにわたされる学位記を横目に、はたらきながら博士論文をかきあげたようすが思いうかんだ。しごとのあいまをぬい、論文の内容についての打合わせのために主査を担当してくださった教授のもとへむかう。数か月にいちど飛行機で日帰りで訪れた。この分野では著名な方で大きな研究室にたくさんのスタッフをかかえていらっしゃる。

あるクニの重要な行政の委員としてのお仕事をちょうど引き受けていて日々とびまわっている。とてもおいそがしいはずなのに、わたしがおとずれると毎回満面の笑みでむかえてくださる。事前に送っておいた論文原稿に朱を入れて付箋をつけたところについてアドバイスをいただいた。

こうしたやりとりを何度か経るのと同時に、副査をしてくださる先生方のところにもあいさつとお礼に出向いた。

論文審査

 いよいよ書きあげた博士論文に関して発表形式による審査。会場の中程度の講義室には主査・副査の先生方のほかに研究科の関連分野の先生方や大学院のスタッフならびに学生さんらが参加された。わたしは何十枚かのスライド原稿をまえに40分ほど講演し、20分ほどの質疑応答を受けた。

どうもこのやり方が通例とこの場に来てはじめて納得した。学会講演は日常的におこなっていたので、なにもとくべつな原稿は準備せずにスライド内容をおぎなう言葉をつないでいくわりと手慣れた方式。

その日の審査はわたしだけのようで、おわったのちにスタッフのおひとりにうかがうとこうした審査が何度かおこなわれるとのこと。課程博士のほうはまとめて大人数でおこなうので、あさから晩までかかりたいへんらしい。

おわりに

 審査をおえた200ページをこえる博士論文は国立国会図書館に永久保存される。これはやはり感慨深いし身がひきしまる。もちろんのちの訂正等は制度上、本人であれば随時できる。

授与された時点ではごくごくせまい分野のごくかぎられた領域について、せかいで最初に知り得たのはわたしというところまで来てしまった思った。もはやこのテーマのここからさきは暗闇のなかにたたずんでいるにひとしい。

問題集の解答にあたるものはなにもない。もはや問いかけ自体すらみずから発すべきものだし、こたえを導いてくるのも自分自身(もちろん共同研究者の方々もいっしょに)がやり開拓すべきこと。孤独であり真摯な姿勢がつねにもとめられるきびしい立ち位置。もはやそこまで来てしまった。


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