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まどのそとに青空が見えて陽ざしがさしているとウズウズしてくるのはなぜだろう


はじめに

 このところ明けがたに低い雲のたちこめたの日がつづく。へやのなかはいつまでも暗く、起きるのがすこしおそめ。

このところそれとは関係ないがしごとを抑えぎみ。個人事業での収入はそれなりに。そんなに気にならないが感じることを記したい。

きょうはそんな話。

日々のくらし

 ひとりぐらしは気ままなもの。そのときの気分でだれに相談するまでもなく、しごとでかかわる数少ないヒトビトとの交渉と、それにともなう義務さえ果たせばあとは自由。

このやりかたがいちばんストレスがすくなくてすむ。よぶんになるべくかかえないいちばんの方法。あとは寝る場所の確保と食べきるだけの食物さえそなえればべつに欲しいものはうかんでこない。

そんなストレスにならない程度にいずれもセーブするなかで気になるのは唯一そとのようす。

晴れていると

 冬のさなか。多少のあたたかさを陽ざしに感じるとへやから抜けだし歩きたくなる。どうしても湧きでるきもちを抑えられない。これはある意味、まだ元気のある証拠かも。

これさえないときは用心したほうがよさそう。わたしの場合、そうなりつつある段階に気づいたら医者にみてもらったほうがいいのかもしれない。

歩こうとか、そとのようすが気になるのはそこで得られるもの、とりいれられるものがあるからにちがいない。それ相応に最低限なにかしら心身によさそうなものがありそうだと気にかかるのかもしれない。

陽ざしがくわわると

 とくに雲ひとつなく快晴はもったいない。そとで陽ざしを浴びないと損した気分になる。これもこのところくもりの多いせいかもしれない。

へやのなかをよわく暖房しさむさをやりすごすよりも、道ぞいの陽ざしをみつけながら歩いてからだをなかからあたためるほうがなにより健康的だし、きもちもさっぱりする。きのうは昼から雨の予報を信じて雲のたちこめるなか、空を見上げながら午前中に買い物をすまし、風呂まではいり終えていたのに、みごとにはずれた。

昼からひさしぶりの青空と陽ざし。スイッチがはいったように洗濯をはじめた。なんか得した気分だった。

活動的になるのは

 こうして晴れで気分が一転するのは生きものとしての本能なのかもしれない。ただ単純にこのところ陽にあまりあたってなくてビタミン産生がたりないのかも。

パソコンにむかい、室内に陽がはいりはじめたなと横目で見ながら気にしつつ、キーボードで文字を積みましていく。

おわりに

 出かけるのはへやでパソコンにむかうのとまさに対極。さてどこへ行こうかとそそくさと着がえる手間も惜しい。いまになって飼っていた犬のきもちがよくわかる。さんぽにむかおうと気もそぞろになりはじめる。

まだ打ち終わらないし、これからいまいちど修正しないと。このところこうしたきもちが交錯し気が急いて文がなかなかまとまらない。


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