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耳にここちよいことばをえらぶ、目にしてさらさらと読める文をつむぐには



はじめに

 日本語をあやつるのはなかなか。それだけ奥がふかい。あたまのなかでつらつらうかぶことがらを編んでいくように表現できたら。

理想はとおくにありなかなか手にとどかない位置にある。それをめざしたいし、いつかは手にしたい。そのためにすこしでも日々できることとは何だろう。

きょうはそんな話。

つっかえないで読める

 このところnoteに文章を書く文うえでこうするといいかなとこころがけていること。あたまにうかぶ順にいくつかあげる。

文の外見からは…

  • しろっぽくなるように。おなじ表現ならば漢語よりもひらがなの和語をえらぶ。

  • つなぎことば(接続詞)をつかわないでいいように文をやさしくつなぐ。

読みやすさとしては…

  • 文をなるべくみじかく。

  • 句読点の位置とかずに注意をはらう。

  • わかりにくいならば、すぐにいいかえる。

記事の形式として…

  • タイトルでアイキャッチできるか。いざなえるか。

  • 新聞のように「みだし」「あらすじ」「本文」の構成を。

  • ひととおり入力したらタイトルと呼応するか確認。

まだありそうだがこのへんで。

2年3年とつづけるうちに

 正座にたとえる。ながくすわると姿勢がくずれる。たまに気づいてただす。ちょうどそんなふうに文章をみなおす。やっぱりよくないくせやひとりよがりな表現がみつかる。

とはいえかたくるしくかんがえない。自然体で肩に力がはいらず、すぅとうつくしいすわりかたを体得するのが理想。たとえば茶道、舞踊、武道などを長年つづける方々の多くはそれを会得されている。からだのなかに1本しっかりした芯(心かも)ができている。精進の結果かもしれない。

こうした「うつくしさ」が文章にそなわるならば。それは嬉々としてうけいれたいし、ぜひとも身につけたい。

おわりに

 こうしてなにげなくPCにむかい、やみくもに文章を入力してもかんたんに上に書いたことを体現できるわけではなさそう。

日々さがしつづける。いつかはうつくしいすがたを手にしたいとたのしみ半分でつづけるしかない。

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