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2022 菜園総括 庭編の前口上 Part.2

昨日はいきなりのニュースに戸惑い、菜園総括を上げることができなかった。
日本の警察は今回の件に関し本腰を入れて犯人逮捕に全力を尽くしてもらいたい。

さて、前回の菜園総括は筆の進むままに書き出したら、やはり、といった具合だった。
最初から自分に強く言い聞かせて書き始めなければ、なかなか本題へは移れない。

とはいえ私の場合、本業と家庭菜園と国家と社会は切っても切れない関係であるため、残念ながらとくに問題を感じているわけでもない。

「Icon」日の丸というデザインが時代ごと日本人それぞれに意味を持つ。彫る行為に私を託している。

前回の内容を書きながら、結局のところ日本を衰退させている根本原因はどこにあるのだろうと考えた。

宮台真司がよく引き合いに出す、日本人は所属集団のポジション争いにしか興味がない、実は世界の中でも相当に自己本位な民族性を持っている、というような「日本人の劣等性」も大きなファクターだと思うけれど、私はGHQの戦後処理にその発端を見る。

米国は戦後日本を属国化するにあたり遥か昔から綿密な侵略計画を立てており、戦後は児玉誉士夫や岸信介など使えそうな人材を残す代わりにA級戦犯に全てを擦り付けるかたちで天皇家を保護し「米国のために働く日本」を作り上げた。

米国のために働かせるためには機構の全てを破壊するわけにはいかない。その当時、まだ人口は生産を担う労働力そのものであったからだ。
とはいえ既に大っぴらに奴隷とするには批判が出るような世界の雰囲気だった。だから、GHQが温存したのは天皇制から天皇を追い出してその座にすっぽりと、しかし、こっそりと米国が居座る大日本帝国体制そのものだったのだ。

つまり、てっぺんにこっそりと米国が居座りながら、戦前からの上級国民政治はそのまま現在まで引き継がれていると言える。
よく政治家の2世、3世はダメだとかいうけれど、一体どこがダメなのかと言うと、戦前の価値観や慣習、慣例を色濃く残した一群から輩出された輩であるからダメなのだ。彼らは一様に選民主義であるし、傲慢だ。

またそれらを取り囲むように勝ち馬に乗りたがる小利口な人間が烏合の衆のように寄り集まって、有識者会議だのを作ってはそこでの提言を根拠に上級国民と米国本意の政治が永遠に行われ続けるかのように見える。

しかし、2000年代以降の情報化社会によりこっそり居座っていたはずの米国にスポットが当たり始めた。その対応策として”中国・朝鮮による日本侵略”プロパガンダが垂れ流され、それらを一身に背負った形で登場したのが安倍政権であったと私は考えている。
寄らば大樹の陰と踏んで米国に寄り添っていれば安心とばかりに、対中外交で米国の影から強気な発言を繰り返し舐め腐っていたら、呆気なく暗殺されてしまったというのが故安倍晋三の末路ではなかったか。

なぜなら現在の監視システムで、山上が銃を作り統一教会に恨みを持っていることなど世界中どこからでも分かることだろう。ことにサイバー面で脆弱な日本のことである。山上は何らかの監視下にあったと見るべきだ。山上が適当に泳がされ、その発泡に合わせるようにして腕利きのスナイパーが発砲したとすれば、「令和のテロ事件」を作り上げることなどお茶の子さいさいだろう。

しかも、山上は下見を繰り返したというから、そんな人間が国民監視システムの目から外れていたとは考えづらい。利用されたと考えるのが筋だろう。そしてこのまま彼自身が闇に葬られるのを我々はただ傍観するしかないのだ。

結局は米中覇権争いの中で右往左往するしかないというのが、極東島国の運命なのかもしれない。

まぁ、こんないつまで経っても事実は闇の中であろう日本の黒歴史なんぞさっさと忘れてしまった方がいい。一市民には大して関係のないこと。

「安倍晋三はただ一人中国・朝鮮に立ち向かい、それでも日本人に理解されずに殺された、正義で悲劇の総理であった」「殉死した英雄、安倍晋三」
別にそんな解釈がいかに蔓延ろうとも一向に構わない。何を信じるかは人の自由だ。

それに本当に書きたいのは家庭菜園のことなのだ。しかも今回は私が土から育てている環境の話なのだから!!

と言いながら、最後に一言付け加えると、戦前から温存された価値観や慣習、慣例をぶち壊せる強さを持った市民政党を我々の力で主体的に担がなければ、我々の社会は大きいどこぞのシステムに収奪され続けるばかりですよ、ということだ。むしろこれから立つべき政党には参加意識の低い市民を叱咤激励するくらいであってほしい。選挙権を持った人々が寝ててくれればいいなどという考えは言語道断だ。

小さな個人が大きいものに頼りたくなる気持ちは分かるけれど、まずそれをやめるべき。自公は見ての通りだし、民主党系だって何もできはしない。
だからといって注意しなければならないのは、維新は自民の愚連隊みたいなものだし、参政党も根っこを自民と同じくした宗教右派だと私は見ている。最初は生長の家かとも思ったが、明治時代に流行って政治的に潰された世直し宗教の大本教あたりが手本になっていそうである。

いずれにせよ、何度も言うが、何を信じるかは人の自由だ。ただ、宗教には政教分離の遵守と適切な課税が必要だと主張する。

さて、なんと今回も前置きだけで埋まってしまった。。
ここから菜園総括を初めても、という長さ。
ここは思い切って繰越すことにしよう。

しかし、次回は必ず冒頭から菜園総括を始めることとする🔥

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