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文章を書くということは。

この半年、『宣伝会議』の編集ライター養成講座に通ったのは、

自分が始めるビジネスと並行して「書くこと」を

今後のセカンドキャリアにどう生かしていけるかを考えるためだった。

非常に充実した講義の数々で、

記事を書くということのイロハから応用実践まで

目からうろこのことばかりであった。

また文章を書くという行為には、

様々なゴールが設定されているということに

今更ながら思い至るきっかけにもなった。

私の場合であるが、幼いころから読んでいた種類の文章の大半は

ほぼ「小説」というジャンルに限定されてしまっていたため、

作家の語彙力や筆力、ストーリーテリングなどの要素に特に注意が向けられ

自分もこういった文章を書けるようになりたいと、

彼らの文章を熱心に模倣したりしていた。

が、今回学んだ「記事制作」の場合、

一番重要視されるのはまずは対象をどう端的に読者に理解させられるか、

文章力というよりわかりやすさ、そしてニュース性が追及される。

過度にとがった表現など理解の妨げになると切り捨てられることも多い。

小説では作家の個性が非常に表出しやすいが、

ライターはあくまで読者の代表であり原則(原則だが)、

自分の主張をストレートに表すことはない。

取材という行為を経て対象のモノやヒトに対して

世の中が今知りたいと思っている事実や考え方を平易に伝えることが使命。

なるほど、簡単なようで実に熟練の必要な仕事である。


ちなみに私が広告会社に勤めた最初の10年ほど

出来の悪いコピーライターをやっていたことがあったが、

これも当然作者の主張はそのまま表されるものではなく、

消費者の「共感」を得るということを最大の目的に

制作することを意識させられてきた。

商品の価値とクライアントの思い、

それと消費者や世の中の感覚の間にどう接点を持たせるかがとても難しく

悩んだものだ。

作者が表に出ないとはいえ、

世に残る名コピーといわれるものの中には、

書き手の心の内がひしひしと伝わってくるような

極めて文学的で美しいコピーも多数存在している。

当時は「写経」をしてそれらのエッセンスを吸収しようと試みもしたが、

なかなか実際の仕事に反映することが力不足でできなかった。

何にしても名人の域に達すれば、

おのずとその能力が文章からほとばしり

人を感動させるものなのであろうと思う。


小説家、ライター、コピーライター。

もちろんどれが優れているということはなく、

読者が何を望んでその文章を読もうとしているかによるのだ

ということだし、

逆に言えば望む読者がいる限り、

その文章は例外なく人類にとって必要な財産だと思うのだ。

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