女性の新しい働き方のスタイルを広げていく。HUBはここ、宮崎から|株式会社ウェブサイト 柳本明子
「ペイフォワード(Pay It Forward)」という言葉がある。誰かに受けた恩を、その当人ではなくほかの人へ送っていくこと。「恩送り」とも訳され、善い社会が生まれる基盤にもなる。
人生は「きっかけ」の連続に溢れている。いろんな出来事が自分と関わり、人生の方向が定まっていく。遠く見通せない道を、ライトを照らしながら進んでいく。その歩む姿を周りの人たちはちゃんと見守っているものだ。ふとした瞬間に助けが現れることもある。
想いが、優しい力が一箇所に集まる場所があれば、社会はもっと自由で暮らしやすいものになる。その力が地域に溢れ出ていけば地域に良い循環が生まれる。そんなHUB(ハブ:中心)が今求められている。
そんななか、宮崎市にはデジタルという文脈で女性の人材育成支援を行う“HUB”が誕生した。
「おしごとハブ」の種になった、シングルマザーの経験
JR宮崎駅から市街地中心部までまっすぐ伸びる駅前商店街通り「あみーろーど」。通り沿いの雑居ビルの一室から、何やら賑やかな声が聞こえてくる。扉の向こうはわいわいと楽しそうだ。その様は気軽な女子会のようでいて、実はセミナーの打ち合わせをしていた。
ここはデジタル人材育成拠点「おしごとハブ」。デジタルスキルの習得・実践を通じた女性の働き方支援を行っている。
時代が変わり、法制度が整備されてきたとはいえ、女性の働く環境は結婚に育児や介護などその時々で起こるライフイベントに影響されやすいのが現実だ。一方で、デジタル技術の発達やコロナ禍を経てより浸透したリモートワークなど、時と場所を選ばずに働ける条件も整いつつある。おしごとハブではデジタルスキルをきっかけに働き方の選択肢を増やしていくこと、新しい仕事が誕生することを目指している。
おしごとハブを立ち上げたのは株式会社ウェブサイトで代表取締役を務める柳本明子さん。明子さんは自身がシングルマザーとして子育てと仕事をこなしてきた経験を持つ。
「個人事業主として独立してから20年間ずっと女性のキャリア、ひとり親の支援がしたいと思っていました。食べていくことで精一杯だったけれど、ようやく次に踏み出せるタイミングがやってきました」
明子さんは宮崎県立宮崎商業高等学校を卒業後に上京。東京ではホテルや英国風パブで働いていた。22歳のときに結婚。長男を出産するも24歳で離婚。子どもとともに宮崎へ帰ってきてからは住宅設備機器メーカーに嘱託の営業社員として入社した。固定給なしの成果報酬型の労働。24時間がむしゃらに働いていたという。
「カタログの用意、CAD図から見積りの作成、工務店さんやショールームでのお客様対応。ひたすら営業に関する仕事をこなしていました。仕事の合間に息子をお風呂に入れて、ご飯を食べさせて、寝かしつけて。夜の11時にまた会社へ行って作業して。そんな毎日でした」
頑張って成果を上げ、それなりの収入を得ることができた。ただ、子どもは親へ預けっぱなし。保育園バックの準備もしたことがない。息子が小学生になり、学校から早く帰ってきたとて家で一人ぼっちになるのはかわいそうに感じた。そんなとき知り合いの「柳本さん、ホームページって自分でつくれるんだよ」という何気ない一言を思い出した。
パソコンを買えば家で仕事ができるかも。それなら息子を出迎えてあげられる。給料よりも理想とする生活を求め会社を辞めた。そしてパソコンスキルを習得する職業訓練校へと通うことになるが、ここでの出会いが明子さんの運命を大きく動かしていくことになる。
「大丈夫、柳本さんなら大丈夫」
「この時代がなければ今の私はない。すべてのはじまりはここから」
職業訓練校に通い出してからの数ヶ月は“人生のパラダイス”だったという。日中は訓練校でワードやエクセルを習い、自宅では購入したパソコンを触る日々。一日中パソコンを触っていられることが嬉しかった。明子さんにとって「がむしゃらに生きることから離れられる」時間が流れていた。そのころから「メモ帳」を開いてはhtmlを入力し、独学でホームページの構造、そのつくり方を学んでいったという。
「フォントサイズが変わったり、テキストが右から左に流れた! とか、そんな基礎の部分がおもしろかった」
当時はパソコンが世の中に普及しはじめたばかり。民間のスクールや自治体主催のパソコン教室が頻繁に開かれていた時期でもある。訓練校の職員が講師として派遣されることもよくあった。
そこに明子さんへ声がかかる。
「『柳本さん、講師やってよ』と訓練校の所長からお誘いを受けたんです。いやいや! できませんよ! とお断りしたんですが『大丈夫、柳本さんなら大丈夫だよ』って言うんですね。そういえば、どんなときにも必ず『大丈夫、大丈夫』と言う方でしたね」
その声に押されて講師を引き受けることにした。これが初のセミナー講師だった。以来、明子さんは現在に至るまで400件ほどセミナー講師を務めることになる。
修了後は個人事業主として開業。そのまま11年間、自宅を拠点に仕事を続けていった。
「やっていけるという根拠はどこにもなくて。ただ息子のそばにいたい、パソコン買ったしなんとかなるか、くらいのものでした。でも、何も知らないところからITだけで食べてこられた経験は今では大きな財産になっています」
2011年には株式会社ウェブサイトを設立。事業の規模も内容もどんどん大きくなっていった。ホームページの制作者としてだけでなく、会社の代表、セミナー講師、よろず支援拠点コーディネーターなど、さまざまな「顔」を持つようになった。どれも初めてのことばかりだが、そのたびに周りが「柳本さんなら大丈夫」と言ってくれたという。
「不思議と皆さんから『大丈夫』と言われるんです。何を根拠にそう言うんだろう(笑)。でも、その言葉を頼りに『私、大丈夫なんだ』と今までやってくることができました。私が今おしごとハブを通じてやっていることは、自分が培ってきた経験を『大丈夫だよ』と次の世代へ恩返しのつもりでパスしているのかもしれません」
ちなみに明子さんは宮崎日日新聞にてコラムを書いていたことがある。
そのタイトルは「きっと大丈夫」だった。
宮崎から全国へ! 女性のデジタル人材育成拠点
「クリスマスにお金がなくて、息子とイオンモールでポツンとなった出来事がすごく記憶に残っています」
月に3万円でも4万円でも手取りが増えれば、もう少しおいしいごはんを食べたり、いい思い出をつくったりすることができるのではないか。ひとり親世帯が増加傾向にある現状、自分と同じような気持ちを味わわせたくない。そんな願いから2020年末、ついにデジタル人材育成拠点「おしごとハブ」をスタートさせた。
月に3〜4回の定例会。毎回「なぜ、おしごとハブをやるのか」をこれまでの人生をもとに話した。一人でも多くの女性に生き方や働き方を変えるきっかけを与えることができればと、聞かれたことも出し惜しみなく答えた。スーパーのコミュニティスペースの一角ではじまった活動は徐々に活気を増していき、2023年夏にはあみーろーどへ移転した。
活発になるにつれ、参加メンバーにとっておしごとハブは「居場所」の側面も持つようになった。メンバー間でおしごとハブの今後についてミーティングを行ったり、セミナーを企画・提案したりと自立的に動くようになったのだ。公式LINEやSNSを立ち上げ、運営や情報発信を担うようになる。そのスピード感に明子さんは「みんなの成長スピードがすごい」と驚く。
「みんなの熱量と力に圧倒されています。私は場所を用意しただけで本当に何も教えてないんですよ。彼女たちが手探りでやってきたことがスキルとして蓄積されている。すでに私ができないことをやっている。この頑張りに私が応えないといけない」
みんな、どんな想いで参加しているのか。立ち上げ期から参加しているメンバーのうち、甲斐美佐さん、中島はるみさん、持永彩香さんは次のように話す。
「アッコさんに会いたくて毎回参加しています。とにかくみんなのやる気がすごい。それぞれ得意分野があって、そのスキルを盗むために通っています」(美佐さん)
「私は子育てと介護をするなかで、デジタルスキルを使って家でできることはないか模索していました。おしごとハブは子どもを連れて来ることができて助かっています」(はるみさん)
「柳本さんがおしごとハブを通じて実現したいことに共感しています。前職では出産や体調面から働き方に悩んでいました。女性の働き方について、私自身モデルケースになれたらいいなと思っています」(彩香さん)
「自立して働くことのできる女性を一人でも多く増やしたい。そのために私が提供できるのはデジタルスキルだっただけで、本当は何でもいいと思うんです。できることが増えれば正社員に限らず働き方の選択肢が増えて、生き方も柔軟になる。
女性は転勤や子育てや介護のように、自らの意思ではどうにもならない出来事で自分のキャリアを優先できない人生を歩みがちです。『私は旦那のせいで、子どものせいで、親のせいでキャリアを断念せざるを得なかった』と、あらゆるライフイベントを足かせに感じてしまい、誰かを恨むことにもなるかもしれない。
けれど、デジタルスキルを身につけ、リモートワークのような柔軟な働き方ができれば物事を否定的に捉えなくて済むはず。自分で世界を築く自由があれば毎日が楽しくなると思います」(明子さん)
同時に「人生を変えるきっかけを与えることはできるけれど、全員を救うことはできない」と厳しい口調で話す。あくまでも生き方を見つけるのは本人であり、もちろん甘い世界ではない。しかし、おしごとハブに通うメンバーを見るたびに確かな希望を感じている。「宮崎を女性のデジタル人材立国にしたい!」と高らかに宣言する明子さん。そのHUB(=車輪)は勢いよく回りはじめている。
(取材・撮影・執筆|半田孝輔)
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