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悪たればんばあ

悪たればんばあ

 大井川流域の寸又川山腹に『悪たればんばあ』という山賊がいた。多くの手下どもを従え、「長い髪を振り乱し、吊り上がった目でにらみつけ」、村々を襲った。収穫の時期には作物はごっそりと奪われた。抵抗する村は皆殺しにあった。収穫物を奪われ、追いつめられた村人たちは、団結して闘うことにしたが、戦いの勝ち目は薄かった。勝ち誇った山賊たちが酒宴の後眠りこけた隙に、村の若者が山賊たちの弓の弦を切った。そして必死の総攻撃、慌てた山賊たちが散りじりになるなか村人たちは、悪たればんばあを岩山に追いつめた。その時突然大地震があり、ばんばあは岩に閉じ込められて死んでしまった(『川根のむかし話』)。
 川根本町資料館『やまびこ』には「悪たればんばあ」が実際に使った大きな椀が展示されている。

山姥(やまんば)

 時を忘れて遊びすぎると、祖母はいつもこう言った。「こんな時間まで遊んでいると、山姥がやって来て、お前をさらっていく」と。恐くなって、祖母に聞き返す。「その子供はどうなるの?」。祖母は決まってこう答えた。「山姥は子供を食べてしまうか、遠くのサーカスに売り飛ばしてしまう」と。現在パフォーマンスアートの最高峰と言われるサーカスにとっては迷惑な話だが、その頃は、サーカスで演ずる子供たちを見るたびに心が痛んだ。そして、運動神経の鈍い自分は、サーカスは無理だから食べられる方だ、と思った。山姥は心底怖かった。

雪が降る

 「山と山が連なっていて、どこまでも山ばかり」の小さな村に、「七〇になれば楢山まいりに行く」風習があった。
「おりん」と「又やん」は、村の年寄りだった。
 おりんは七〇歳を迎えるにあたって、楽しげに身の回りの整理やら、お山へ行く準備を始めていた。「山へ行って座る莚(むしろ)などは三年も前から」作って置いた。一人息子の辰平は辛い思いで見ていた。そしてある日、おりんは「にぶりがちの辰平を責め立てるように励まして」、背板に乗って楢山への途についた。お山の頂上は岩陰に白骨や死体が転がり、からすが死人の肉を食べ、巣を作っていた。辰平は死骸の無い岩陰におりんを降ろし、「大粒の涙をぽろぽろと落として」下って行った。
 又やんは七〇歳を過ぎても山へ向かう素振りは全く見せずに倅から逃げ回っていた。そして同じ日、荒縄で罪人のように縛られて背負われ、山へ連れて行かれた。倅はしがみつく又やんを谷に向かって蹴飛ばす。又やんの身体は「毬のように一回転すると、すぐ横倒しになって、ごろごろと急な斜面を転がり落ちて行った」。すると谷底から「むくむくと黒い煙が上って来るようにからすの大群がまきあがった」。
 そこに雪が降ってきた。辰平は再び山を駈け上って叫ぶ。「おっかあ、雪が降ってきたよう」(深澤七郎『楢山節考』)。
 雪は安らかに死ねる幸運のしるしなのだ。

魔女伝聞

映画「楠山節考」(1983年/監督:今村昌平)

 魔女は大抵お婆さんだ。しかしお婆さん魔女は、本来は「人間に対して親切な、心の温かい、恵み深いゲルマン神話の女神」だった。しかし「キリスト教の異端者扱いの誹謗」(金田鬼一訳『グリム童話集』)によって悪魔的な存在とされてしまったのだ。    
かつて社会は貧しかった。男たちはいつも戦争をしていた。誰もが早くに亡くなった。「長生き」は「不思議」な事だった。その不思議の主役は女たちであった。民話や童話の世界では、その不思議が、山姥や魔女となった。「老い」は異界であった。
 止まれ、今、「老い」は日常なのだ。そこに異界はない。社会は「高齢化社会」と呼ばれる。戦いが無くなり、老いに慣れない男たちは「キレ、ワメキ、ボケ」、洒落た名前のホーム、つまりは楢山に拉致される。女たちは、競って美しく老い、遂には「美魔女」となって、街を闊歩する。

(地域情報誌cocogane 2023年4月号掲載)

[関連リンク]
地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)

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