正義と悪についての考察 ~ji-jyo~
今日はこのテーマについて記事を書いてみよう。
でも正直このテーマは僕にとってはすごく難しくて結論はまだ出せないと思うし、今は頭の中でグチャグチャな思考の途中を記していくことになりそうだ…
このテーマについて考えたことはこれまでの人生で何度もあった。
それこそ初めはきっとまだまだ幼い幼少期の頃だって浅い考えだけど考えたこともあったと思う。
きっと幼少期の自分はこんな風に思っていた。
《正義はかっこいいなー、正義は大好き。悪は嫌い》
これはきっと幼い頃にテレビで観た戦隊物の影響だと思う。当時の理解力では細かい設定もあったのかもしれないけど、とにかく悪者がいて最後には必ず正義のヒーローが倒してくれる。そんなストーリーがお決まりだった。
それを観た僕は当然のように素直にそのまま受け止める。だから正義は絶対だった。あの頃は。
でも、そもそもその頃の正義と悪に対しての価値観はあってないようなもので、例えばそれを何を基準に決めるかと言えば親の判断だったり、先生だったり、友達だったり。周りの信頼している人が何かに対して正義と言えばそれは正義だし、悪いと言えばそれが悪だと信じてた。
だからこのテーマについての価値観の軸はもうブレブレもいいとこだった思う。まあ幼少期はそれはそれで仕方ないけれど。
歳を重ねてからも何度もこのことについては考える機会が多かった。
きっと生きていく中で、いろんな選択を強いられる度に一つの判断材料に自分の中の正義と悪が天秤にかけられるからだろう。
それにこのテーマはテレビでも本でもいろんなところで取り上げれやすいテーマで、それぞれの価値観で描かれていて、きっとどれも正しい気がする…
でもここ最近思うのは、やっぱり不変的な絶対的正義はこの世界にはないような気がする。もちろん時と場面が合致したその瞬間にはある正義が絶対的正義になることはあるかもしれないけど。
このテーマについて数年前に妄想の中で思考実験をして自問自答していたお話しをしてみたい。
人を殺すことは悪だろうか?
もちろんその時も今も僕は日本に住んでいて人生の大半は日本で暮らしているからそのことについては悪だと昔も今も思ってはいる。
でも妄想してみた。
もし生まれが異国の地で、紛争の絶えない場所に最初からいて、物心つく前からあちこちに人の死体があるのは当たり前で、物心つく前から人が人を殺しあう光景を見ていたらどうだろう?
そんな環境だし教育なんてまともに受けることは出来ず、自分の外の国のことなんて思いつきもしない。僕が大好きな空想や妄想なんてしてる暇があったら今すぐにでも食べるものを確保しなくちゃ、むしろないのなら誰かから奪ってでも食べなきゃ明日には飢え死んでしまいそうだとしたら。
そんな環境なら逆に自分が狙われるかもしれない。自分の家族が大切な人が狙われて、残りわずかな食糧を奪われるかもしれない。殺されるかもしれない。
もしも… もしもそんな環境にいるとしたら日本に生まれ住んだ僕たちの価値観は到底理解できないのではないのだろうか。
もしそんな環境下であったとしても人を殺めることは悪なのだろうか?
やらなければやられてしまう。明日はもうないかもしれない。
僕がそこにいたら大切な人が目の前で殺されて、自分も殺されそうなとき人を殺すのは悪だからと黙って抵抗もしないまま明日をあきらめるだろうか。
あくまで思考実験だけど、僕はその環境なら守るため、生きるために人を殺めてしまってもそれを悪だとは思わないような気がする…
こんなことも考えた。
今の価値観のまま、さっき話した環境下に流れ着いてしまったとしてそこから動けずそこで暮らさなければならなくなったとする。
自分と仲間数人とでその場所で生活するとして、到底ふつうの暮らしはできないだろう。
そんな中もし仲間の一人が目の前で殺されそうになっていたとして、そんな環境だから武器だってそこら中にあるのなら僕は武器を手に取るだろうか?
少なくとも今の価値観では人を殺めることは悪だと感じていて、そんなことは出来ればしたくない。けど、そのまま傍観していれば確実に仲間がやられてしまうのなら武器を手にするしかないんじゃないだろうか?
そこでもし自分が誰かを殺めてしまっても誰も責めることなんて出来ないししないような気がする。
ちょっと極論すぎて過激な文章になって申し訳ないけど、中途半端だとイメージしづらいことかと思い…
という感じに正義と悪について考えるとこれまた思考の沼にはまってしまう。
冒頭にも書いたけれど、このテーマについてはなんの結論も確かな自分なりの哲学も今はない。
ただ、幾度となく考察してきた中でこれからも考察していく中で感じたこと、思ったことは、
今はこの世界(この世といった方がいいのか)には絶対的な不変的な正義というものはないのではないかと思う。
時代が変われば正義の定義も変わって、その土地、土地でもそこにある正義の定義は様々で、人によって正義の定義はいくつもあるだろうから。
理想を言えばこの世の全ての人たちが幸せでいられる共通の正義の定義があってみんながそれを共有できる心があればいいのだろうけれど、身も蓋もないことを言えばそれは限りなく無理に等しい気がしてならない。
それにもしかしたらそれは逆に不自然でいびつなことなのかもしれないし…
やっぱり思考の迷子になってしまったな(T_T)
このテーマはこれからも生きていく上で付き合いが長そうだから、機会があったらまた考察してみよう。
こんなグチャグチャな記事に最後までお付き合いいただきありがとうございました(*'▽')
~ji-jyo~