言葉のウラ
人間は会話でコミュニケーションを取っているのみならず、このnoteの様に文章でもコミュニケーションを取っています。
時に絵やグラフ、また図解等もありますが多くは共通したツール、言葉を使っています。
言語によるコミュニケーションと思考を行なっている人が大半な状況でして、イメージや浮かんだ印象を言葉にして、てな感じです。
言葉には裏表
その中で、言葉を使う時に相手が自分の事を他者に映している、例えば自分の問題やトラブル、欠点を他人に投影してそれを批判する事で自分が安心する、または自分の非を他人に気取られない、責められない様にしているなんて事は多々、遭遇していると思います。
いま思い起こせばあれは…、なんて人多いのではないでしょうか?なぜ突然そんな発想になったのか、着想の元はなんなのよ?てな事が気になった経験は多くの人にあると思います。
しかも同じことをほとんど変えず他者の言い分を聞かず、自分の言葉(発言)と意思だけを押し通そうとするような場合にはその言葉のウラがありますし、責めるような感じや脅すような感じが出てきたら怪しんだ方がいいですね。
例えば…
浮気してんじゃないですか?
またはそれを思わせる事を言う場合には、だいたい言った本人がその行為またはそれに準ずる考えをしている、と言う事が多い様ですね。
ネットの話ではこういうのは割と頻発していますが、現実でも同様です。
実際に自分がやっていることや予定してる悪事なんて事、不貞な事をする場合にはどういう訳か、男女ともに誰か別の相手にそれを言っているっていうのはあるようです。
ついうっかり、万引してんじゃないの?なんてあちこちで茶化してた輩がいた中学時代、マジでそいつが万引き犯なんて事もありましたし、悪口は自己紹介なんて事が割と事実だったりする様な事は皆様も多々目的もしくは経験した事があるんじゃないでしょうか?
怒らないで聞いてほしいんだけど
と言われた場合はだいたい、相手を怒らせようとしてる時ですよね。
怒らないでと言う場合には、相手が怒る事を予想してるわけでそんな意図をせずに言ってるなら、相手が怒った場合に「怒らせるつもりはなかった」ってなりますからね。
だから相手が怒るもしくは相手を怒らせるようなことをいって優位に立とう、相手を自分の支配下に置こう、もしくは相手を格下扱いしてそれを正当化しようという場合にしかありえない、とも言えます。
似たような言いまわしなら「失礼だけど」「悪気はないんだけど」等でしょうか?
失礼と知ってて言うなら言うなってレベルですし、悪気がないならそう前置きする必要もありません。
最も、モラハラや宗教の洗脳的な場合にはその様な事を言わずに怒らせる様な事をして悪気はなかったとか、怒らせるつもりはなかったってなったりします。
その後、でもあなたのカルマがとか色々言い出しますから、その辺の見極めも大事だったりはしますけれど。
金の問題じゃないんです
大体金の問題です。
お金に関して執着が有るわけじゃないなら執着しているし、誰其と違ってお金の問題ではなくとか言うんもだいたいお金の問題です。
多くはお金が必要な世界に存在している訳ですし、ビジネスの世界ならお金がだいたい必要になるのは当然ですけれど、お金に執着しないとお金の問題じゃないとか言い出したら要注意ですよ。
信用の問題とか相手との信頼の問題と続く場合には言い訳の可能性が高いですよね。
お金の問題の責任を押し付ける為に、信用や信頼にすり替えている作業と見ても良いと思います。
実際にでは責任持って説明しますとかになったら慌てるのが普通ですし。
逆に、お金の話以前に信用問題等を言い出す場合には、相手は責任を押し付ける気満々だと思って良いのではないか?てのがビジネスや仕事の世界では気にしないといけない所。
自分が格上だと思ってる場合には、この様な事にも巻き込まれます。
隠している事は全部素直に言ってください!(強調!!)
隠しているのはお前だろ!案件ですよね。
隠している事がないからこれ以上話す事ないですよ、と言うと信用が崩れるとか信頼関係構築ができないとか言い出すと思いますが、自分があるいは自分たちが隠し事しているから相手も隠していると言う、疑心暗鬼を吐露してるようなもんです。
ある条件に対して別の条件が出ても普通はそんなに困ることなんてないですよね。
対応すりゃいいだけですから。
でも大慌てもしくは居丈高等の態度で、隠し事してるなら話せ!とか言い出したら隠し事してるのはそちらでしょう?と言う状況。
とは言え、自分たちの隠し事がバレたら、もしくは裏でやっている事を相手に知られたくない、またはその相手に内緒でその相手の事を利用していたなんてあったら、困りますからね。
その時は隠している相手が悪いと言う為に必死でそうしようとするでしょう。
だいたいの場合これらを言って同じことを繰り返してきます。
その他にも
その他にも、「考え方を変えないと」てのもありますね。
大体、自分の考えに合わせろもしくは自分と同じ様に考えろなんて場合に使われます。
または、自分の考える最強の思考で考えろ、でしょうか。
大体そんなの約に立ちません。
「大人になれ」なんて感じのは自分等に合わせろ、自分等と同じ行動様式をしろ疑問をもつな、になります。
ひどくなると、「○○な感じの人とのお付き合いは控えたほうが」なんて言って親切風、気にしている風に言いますが自分の御しきれない相手とのつきあいを避けてもらう様に誘導してたりします。
また、問題が起こる、大きなトラブルの元になるなんて言い出す人はそういうモノを抱えています。
そういったトラブルや不安要素、また公になると困る要素を抱えている人ほど、大した事ではなくとも自分がトリガーになって問題になりそうな場合には大きく周囲を非難しますね。
例えば、本社の偉い人が遊びに来たとします。
特にこういった問題がとか、こういう対処してくれと言う話ではなく、社会情勢や経済の情勢、近々起こりうる問題に対処しないといけないから確認にとか話しを聞きになんて時もありますが、その事業所や支店、支所等のなかに問題を起こすあるいは既に問題を抱えている、上に知られたくない何かを抱えているなんて場合にはその様な事があったら非常に気になるでしょう。
やましいことがある人ほど狼狽えます。
福祉の関係ではNPOは横の繋がりをもって活動をより活発になんてな事が推奨されていますがその中の一つのNPOの役員級がトラブルの元、あるいは行政や公に知られたくない事をやっていたら(勿論他のNPOに内緒で)、役所や時に政治家が来ることですら大仰に騒ぎます。
自分に有利な立場で政治家や役所の関係者が来る場合にはなんの問題もなく喜びますが、自分と無関係な場合には切れる事も多いですね。
社会にでたら気をつけよう
これから新卒で社員になる人も、氷河期超えて正規雇用が目立たく決まった人もいると思いますが、いままでの様な社会や環境ではないのは理解していますね。
言ってしまえば、過去の価値観ややり方が通用しない、時に臨機応変に対処しないといけない事がまだまだ続きますけれど、その様な情勢下でもまだまだ過去の利権にしがみつく大人は多いです。
老害と言われる存在になりたくはない私ですが、それでも同年代(五十路界隈)の老害化は非常に目立っていると感じるここ1年。
コロナ禍では、対面の会話でなんとか立場を維持する事ができなくなっているしある意味では、能力重視になってるとも言えます。
勿論、経営者はより費用やコストを抑える方向に動く人も多いかと思いますが、しかしながらそれでは駄目だと気づいた人も少なからずは居るのです。
その様な人が生き残る、発展する可能性を持っているのがアフターコロナ、ビヨンドコロナと言われる時期だと思いますが、ただまだまだ過去の利権や権威に頼る、縋る人が発言力が強いのが世界的な実情じゃないでしょうか?
個性が大事と言っても利用できる個性で自分が理解できるモノしか利用しないで来て、新しいモノを拒否してきた人には滅びの時かもしれませんね。
勿論、革新的な考えを持っている!と豪語する人もいるかもしれません。
ただ、それってずっと20世紀から引きずってきてる古い新しいものです。
若い人や本当に新しいモノを持っている人はそういう人の敵と認識されてしまうと思いますので、言葉のウラをよく考えてうまく社会の主導権をとって欲しいと思います。
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