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女性デザイナーの「やりがい」×「働く」を考える <後編>

SDGsの目標達成とデザインとの関わりを考えるこの企画。
今回は、社会で活躍され JIDA女性会員である3名の方にお集まりいただきオンラインでお話を伺いました。

前編・後編の2回にわたり
質の高い教育、ジェンダー平等、やりがい・働きがいの実現の目標から、女性の働き方を探ります。

<前編>はこちら

主 催 者:
公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会 関西ブロック

聞き手・文・絵:
公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会 関西ブロック SDGsとデザインチーム 小野綾香

JIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会)とは?


堀田峰布子(ほった みほこ)さん

株式会社電通
ビジネストランスフォーメーション・クリエーティブ・センター
サステナブルビジネス・デザイン部 部長

筑波大学大学院で修士課程修了後、パナソニック株式会社でプロダクトデザイナーとしてキャリアをスタート。多彩なキャリアと、現在6社目という日本人には珍しい豊富な転職経験を持つ。
HCD-Net認定人間中心設計専門家、日本人間工学会認定日本工学専門家。

<JIDAインハウス委員会 委員長>
<JIDA東日本ブロック>


餘久保優子(よくぼ ゆうこ)さん

石川県工業試験場 デザイン開発室 研究主幹。
金沢美術工芸大学大学院博士前期課程修了後、医療・福祉機器メーカーでプロダクトデザインに従事。デンマーク王立オーフス建築大学で客員研究生を経て現職。 福祉機器やユニバーサルデザイン、3D技術を専門に扱いながら、業務として伝統工芸から工作機械、福祉機器まで幅広く地場産業のデザイン開発支援に関わる。
社会人学生として金沢大学大学院博士後期課程修了(保健学)。
<JIDA北陸ブロック>


藤本英子(ふじもと ひでこ)さん

京都市立芸術大学デザイン科(環境デザイン専攻)教授
京都市立芸術大学卒。九州産業大学大学院博士課程修了。
株式会社東芝からキャリアをスタートし、独立後、起業家として活躍。
関西に戻ってからは母校で教鞭を執りながら各自治体の事業にも関わり、多方面で活動。
定年退職を控え第2・第3の人生を計画中。
<JIDA理事>
<JIDAインハウス女性デザイナー研究会1期>


女性デザイナーの「やりがい」×「働く」を考える <前編>はこちら

<後編>

前編に引き続き
ここからは、女性が人生の中で、より長く働き続けられるように、断片的ではなく長期的な視点が持てる方法をライフステージを交えながら考えたいと思います。

「人生100年時代」「生涯現役」という言葉を良く耳にするようになりました。0歳から100歳までを、小児期思春期、成熟期、45歳から55歳ぐらいまでの更年期、それ以降の老年期のステージに分けて人生を考えますが、定年を迎える年齢が60歳だったものが、これから65歳、70歳と移行してきて、能力のある方や働く意欲のある方はその先も生涯現役で働き、過ごしていきましょうという流れになってきています。

20代のときに40代50代のことは考えられないし、気づけない。
やはり長く続けていこうと思うと、若い世代のうちからその先のことを知ることも必要と感じます。 

ライフステージを考える


―― みなさん、ライフステージの中で、転機と感じる時はいつでしょうか?
 

ターニングポイント? 人生の節目

藤本/
だいたい30歳前後に一つの節目がありますね。結婚したら「子供はまだなの?」とか、結婚していなくても何かしらプレッシャーを感じたり、なんだか身体の変化を感じるのも30歳前後でした。私も周りも29、30歳あたりで会社を辞めるなど、何かここは一つあるなって感じます。

堀田/
私も29歳で初めて転職をしました。やっとデザイナーとして一人前になったと感じたり、周りが結婚や出産だったり。
女性のライフステージ、デザイナーとしてのライフステージとしても、30歳前後から何か一つステージがあるなって私も思います。 

女性初婚平均年齢29.4歳
第一子出生平均年齢30.7歳

厚生労働省2020年 人口動態統計月報年計(概数)の概況


―― 45~55歳頃も、もう一つ波があるのかなと思います。更年期に入り、そこを超えてからどう過ごすのか。50歳というのはどうですか?
 

更年期でまだ、人生100年の半分

藤本/
私は幸いなことに、世の中一般で言われている「更年期障害」というのは自覚したことがないです。つわりみたいなもので個人差があるかもしれません。好奇心とか、仕事に一生懸命打ち込んだり、目標があって自分がやりたいことに集中していると、意外と更年期障害を感じずに過ごしていられるのかもしれないですね。

餘久保/
私も皆さんと同じ年齢で転職したので、そういった転機の時期が存在するんだと、改めて認識しました。
更年期でまだ、人生100年の半分なんですね。その先がすごく長いと思ってしまいました。人生100年って考えると、途中で働けなくなることはすごくもったいないなって本当に思います。民間企業で働き、海外に留学し、独身の時はその時を精一杯駆け抜けてきた感じがしています。とてもとても子育てなんかできないようなライフスタイルでした。

デンマークでは働きながらの子育て、男女平等は当たり前。子供はシッターに預けて、みんな自由に街に出かけるのが普通。
日本に帰ってくるとそういう環境もないし、そういうこともなかなか許されない。個人の観点になりますが、今の職場は男女平等で、保障があり育休や産休もある程度取りやすい、そういう環境で専門職として働けることにも魅力を感じました。
 
藤本さんが出産を経験された年代もそうだったかと思いますが、産前産後8週間の休暇だったと、出産を経験された先輩から聞きました。私達は1年間育休とか産休を取ることができましたが、その話を聞くと、取得できることがすごく贅沢なことに感じてしまい、迷いました。結局半年で職場復帰したけれど、高齢出産もあり体調が戻らず、風邪をこじらせて何度も肺炎になったりして。なんだか締め切りに追われているような余裕のない生活をずっと続けて。
「自分を休めよう」とか「身体を休める」っていうこと自体を忘れてしまってるような生活が、今もここ何年か続いています。

身体メンテナンスの大切さ

餘久保/
40歳を超えたぐらいから、休みになると何かしら具合が悪くなり身体に限界に来ていた時期だったのかなと思います。めまいがして起き上がれなくなって。夫や子供に結局迷惑をかけてしまうので、それからは少し働き方も考えなきゃいけないなと思いはじめました。
ストレッチをしたり水分をたくさん摂ったり。散歩したり運動したりっていう身体のメンテナンスがすごく大事だなって思います。栄養もすごく大事だと、いろんな本を読み、健康にも気を使うようになりました。
この先が長いので、どんなふうに健康を維持していけばいいかまだ模索中です。 


―― 体調不良になったときは、どのように立て直したのでしょうか?

餘久保/
不思議なことに、持ち直すっていうことが働きながらできたんです。
休日が来る度に体調が悪くなるけれど、明日から仕事だと思ったら、また動けるようになる。不思議ですね。土曜日に吐くほど頭痛がして、めまいがひどくて動けなくなっても、次の日は仕事だっていう日曜日の昼間ぐらいにはもう、すっかり回復して超特急で家事しているという感じで。緊張感か何なのかはわからないんですけど、使命感が勝つんでしょうか。
でも過労って怖いなって思います。
自分で身体のコントロールができないようになるんだなって感じています。 

藤本/
先ほどデンマークの話が出ていましたが、やはり日本は母親が、自分で育てなきゃいけないとか、そういう意識がすごく高い。シッター制度もまだまだ整ってないですよね。保育所に入所できない待機児童がいるとか、小学校に入学しても学童保育の教室に入れないとか、いろんな課題があるなって思います。

産休については、おっしゃる通り、当時は産前産後8週でしたね。
私は独立してからの子供を産んだので、逆に休まずに、ずっと働いていました。出産後、入院中の病院に仕事内容をFAX(当時はFAXが主流)で送ってもらう、そんな働き方をしてしまっていたぐらいです。両方の親がだいぶ助けてくれましたが、制度としては本当になかったですね。

一番困ったのが、赤ちゃんだったらベビーシッター、少し大きくなれば仕事が遅くなるときに夕食を作ってくれるようなホームヘルパー的なサービスの仕事があるんですが、これの両方を兼ねるものが当時存在しなかったんです。だから、赤ちゃんをある程度見ながら、「お帰りなさい」って子供にご飯を作ってくれるようなものがなかった。ベビーシッターはベビーシッター、この人はご飯作る人です、みたいに分かれていて、当時は疑問がいっぱいでした。
今は東京など首都圏では、子供を産んだ後や近所の子供を世話するような、プロフェッショナルなサービスが広がっている感じはあります。 

堀田/
違う視点ですが、男性も更年期があると言われるので、そういう話もJIDAの男性方で話してみると「そうだよね、50歳とか(体力的な衰えが)くるよね」みたいな「あるある」の話が出てきそうな気がします。
更年期は女性特有のものだとずっと捉えられてきましたけど、最近男性にも更年期がある、ホルモンのバランスが崩れることがあるというのを言われているのでJIDAでぜひ取り上げていただけると面白いかなって思います。 


―― そうですね、ライフステージや自分の生き方を考えるということも、自分自身の人生をデザインするという意味で必要だと思います。
今回は女性の働き方で企画しましたが、これを機に男性の方からもお聞きしてみたいですね。
  

キャリア教育について考える


―― 働き続けることの「障壁」のようなものは、今まで感じたことがありますか?
 

日本の課題

藤本/
今、社会全体で、日本の課題として感じるのは、やっぱり世界の女性ランキングがものすごく低いですよね。

ジェンダー・ギャップ指数_
日本の総合順位は世界156か国中120位

世界経済フォーラム「ジェンダー・ギャップ指数2021」

女性の地位向上や管理職増加を求められている

ポジティブ・アクション | 内閣府男女共同参画局

女性の国会議員の数も少ないし、地方議員だと女性がいないところさえあります。世界レベルで女性の活躍を増やそうと考えたとき、日本の企業はキャリアアップにしろ、まだまだハードルがあるのかなって感じます。
それは女性側にも問題があるのかもしれないですけれど。

私達世代は、そろそろ定年退職を迎える世代になってきていますけれど、どう考えても、役員クラスに入るようなルートをたどって上がってきていないです。
役員クラスの女性の人材を育てていない。育っていないというより、育てていないんだと思うんです。役員クラスに上がりたい女性はいるはずだし、私たち世代にもいたはずなんです。
そうなってないから、私もそうですけれど、独立したり、会社を辞めて自分が活躍できる会社に移ったのだと思います。
今はどうなのでしょうか。お聞きしたいですね。 

主体的な人生を歩むためのキャリア教育

堀田/
電通は今女性のマネージャー層を30%にする目標を掲げていますが、なかなか難しいようです。
けれど、正直今の時代、別に一つのところで上がっていくルートじゃなく、ルートはたくさんある。自分で主体的にキャリアを積んでいくっていう、キャリア教育を、これは本当に早い段階で、大学生ぐらいからやった方がいいかなというふうに思っています。
私は今6社目で、基本的にはキャリアアップもそうですけれど、自分がやってみたいこと、自分がスキルを拡張していきたいところが所属している会社の中で見つからなければ転職を考えて動いてきました。就職したらもう一生その企業にいなきゃいけないわけではもうないですし。

私のキャリアからお話しすると、キャリアをスタートしたパナソニックでは、デザイナーとして恵まれた会社で、すごく育てていただきました。
ですが、逆に「デザインしか」できなかった。もっとブランディングとかPRとかマーケティングとかをしてみたいという思いがあったので転職を決意しました。その後PHSのオペレーターのWILLCOMで、デザインディレクターとして、これはすごく珍しいことでしたけれど、デザイン決定権を与えられディシジョンができる立場になりました。同じく、NTTドコモでもデザインを決めるディシジョンの役割に就きました。Huaweiでは、プロダクトデザイン以外のプロダクトブランディングやマーケティングコミュニケーション、PRを経験し、現在電通におります。

一つの会社でキャリアアップをしないといけないというより、どんなふうに自分の人生を生きていきたいか、というようなイメージをしていると、選べる幅はすごく広がるんじゃないかなと思っています。

私がやや特殊なのは、専門領域がずっと通信事業にずっといたことです。
メーカーにもいましたし、通信事業のサービスの会社にもいましたので、物とサービスの両方見ることができる。IoTとか5Gに関しても、基盤的なところでずっと、専門性のある業界を多角的に見られたというのがすごく大きかったなと思います。
デザインやプロダクトだけではなく、人間中心設計専門家とか、人間工学の専門家などの資格も、転職することも視野に入れて取得していきました。
この話をすると趣味は転職ですかって言われますが、この経験からいろんな方の転職相談にのることもあります。 


―― やはりキャリアアップ、到達点を先に見ていたということになるのでしょうか。
 

デザイナーが、デザインを決めること

堀田/
若い頃は、デザインだけでなく、もっと、デザインの周辺にある、別こともやってみたい、そして、デザインの決定権がある「チーフデザインオフィサー」になりたいと思っていました。
それは、単純にデザインを決める人は、デザインの教育やバックグラウンドがある人が決めた方が効果的なのではと思っていたからです。
そういうことができる人になりたいなと、最初は漠然とそう思って転職をしました。


―― デザインが分かる方が、最後まで権限を持つというのは、非常に共感するところがあります。デザインの根底にあるものを考えずに進んでしまうときもありますね。
 

藤本/
堀田さん、素晴らしいですね。芯があるっていうのかな、自分がやりたいところの心があって進んでこられたんだなあ。
キャリア教育、大学ぐらいから始めた方がいいって言われましたが具体的にどんなイメージか聞かせていただきたいです。 

自分はどうなりたいのかを考える

堀田/
そうですね、私は転職歴があるので人生のゴールは?とよく聞かれるんです。特に外資系においては「何に、あなたの人生のゴールを設定してますか?」と。
そういったことも含め、じゃあ、自分は今後何を身につけなきゃいけないのかというのがある程度見えてくると会社も選びやすい。
一つの会社で、それがゴールまでのキャリアの積み上げとして足らないのであれば、転職や部署異動を考えることができると思います。

人生の評価は会社から言われたことが全てではないし、会社の評価が人生の全てでもない。
デザイナーとして、人間として、自分がどう生きたいのかを早い段階で決められるとすごくポジティブに、主体的に人生をドライブできる感じがします。特にデザイナーの人たちは、高校生ぐらいからデッサンの塾などに通って大学に入る人が多いので、他の人よりもすごく早い段階で将来の職業がある程度絞られるっていうメリットがあると思います。
その方向性の中で、さらに自分はどうなりたいのかを考える。

でもあまりそこにこうなりたいんだ!っていう思いが強すぎると視野が狭くなってしまうので、私は50%は戦略的に、50%は柔軟に考えておくと良いのではないかと思います。
「運と縁とネットワーク」を大切に思っているので、あまり視野が狭くならないようにあまり決め切らず、軽い気持ちで、自分をセットアップしておく。何が来てもいいように、どうしたいのかを決めるときに、ちゃんと動けるようにできたりすると本当に良いですね。
大学生の頃は、周りのみんなも、将来メーカーに行ってデザイナーになるんだろうな、ぐらいしか考えてなかったですが、就職をするときにもう少しその先のこと、もっともっと広い世界があるんだよっていうのがわかっていたら、また少し就職の選択肢が違ってくるだろうなと思ったりもします。 

藤本/
私もキャリア教育はすごく大事だと思っています。多分企業に入ってからでは難しいですよね。だから大学生ぐらいから、もしくはちょっと働き出したぐらいでもいいのかもしれない。気づいたときが、そういうキャリア教育を考えるときなんだなあと思います。
私は小学生の頃から将来こうなりたいって思いを持っていたので、やっぱりすごく動きやすいですよね、芯があると。そう思います。

時代もすごく変わっていくから、あまり狭めると何か意固地になってしまうので、駄目だよっていうことですね。
JIDAでもキャリア教育を考えることをやってみても良いのかな、と思いますね。

堀田/
ロールモデルは、一つじゃなく、たくさんある。
こういう人がいます、こういう人もいます。こういう人も、こういう人もいます。自分がやりたい、なりたいのってどういう人に近いですかみたいな、そういう多様性のある提示ができるだけでも子供たちや学生たちには違うのかなあと思います。

藤本/
そうですね、若者たちに見えているのは親、せいぜい先生ぐらいですね。そこを広げてあげるっていうのはすごく大事ですね。


―― 親の見識の範囲内で、子供と進路の話をするというのも少し選択肢が狭まってしまう原因にもなるかと思います。そういう意味では、JIDAや実際に社会で活躍されている方の感じておられることやロールモデルを見せることで「こういう働き方があるんだ」と、学生の頃に知ることができたらすごく世界が広がると思います。
 

さいごに

これからの働き方で思うこと


―― これからこういう働き方ができたらベストだなって思っていることはありますか?

堀田/
「プロボノ」で社会起業家の方の支援などをしています。
会社では経済性が重視されますので、少し経済性から離れたところで社会課題を解決するアプローチで、学習障害に教育コンテンツを提供する団体のサポートを行っています。
できれば、社会課題を解決しつつ、収益を得られるような両輪が成り立つ仕組みを作れると良いなと思います。

餘久保/
私も同じです。20年以上、障害を持っている方の自立を支援する団体に携わっていて、それがライフワークのようになっているんですが、そういった活動にボランティアということではなく、副業としてより深く、広く活動できたらいいなって思います。試作するにも材料費が必要ですし、利益を次の活動に投資して、その先が循環して広がるように、輪を広げていくような活動で社会に貢献できたら良いなと考えています。
自分がやりたいことで誰かのためになることを、主業務とは離れた縛りの少ないところでできたら、もっとワクワクした人生になるなあと思います。 

藤本/
私自身はあと2年で定年退職を迎えます。大学の教員生活を10年を目途に変えようかと思っていましたが、気付けば20年。
でも大学の仕事だけだと続いてなかったかもしれない。JIDAの活動や、20ぐらいの地方自治体に対しての景観とかいろいろなアドバイザーをしているんです。そこで自分が役に立ったり喜んでもらえたりするので、そういう活動があって生かされてるって思います。

定年退職後は、拠点をいろいろ移しながらやりたいことをやっていきたい。「フーテンの寅さん」のようなデザイナーっていうのが私の夢なので、いろんな地域に行って、そこの地域のデザインをしてまた次に移る、そんな生き方をしていきたいなと思っているところです。

いろいろなことを思いますが、今本当に時代が変わってきましたよね。
コロナ渦で、オンラインや、家で仕事をする選択肢ができた。
自分が持っているツールで近所だけじゃなく世界中に発信できるって、なんてすごい時代になったんだろうと思います。

おそらく今までのキャリアアップのやり方が、ここで大きく変わるだろうと感じます。
こういう時代になれば、空気も良くて都市部へのアクセスも良い、環境のいいところで子供を育てながら、家で仕事ができる。最高の時代になってきたなと思います。キャリアアップのあり方も変わるでしょうし、女性も組織に縛られない働き方ができる。子育てしながら、病気でも、家でも仕事ができる、いろんな可能性が広がっていると思います。
これからそれをどう考えるかが、これからの生き方のチャンスでもあり正念場と言えるかな。
本当に、女性には追い風の時代になってきたなって思っています。

ワクワクすること、いっぱいありますね。




今回お話しを伺って、皆さんがそれぞれ何事もチャンスと捉えて行動されていて、心が常に前向きだと感じました。
「女性」としての限定的な立場での話ではなく、男女共通の感覚として話される姿勢も印象的でした。

日常の生活から細やかな感性が養われていること。
コミュニティや社会に関わり、広い視野を持つことの大切さ。
地域を越えてオンラインで話せる今回のような機会や、場所に縛られずに行動ができること、こういった流れがさらに加速して、その場所にいなくても、その場所にいる人たちと同じように仕事ができる「働きたい気持ち」が優先される環境が整うことは、働き方の選択肢として非常に有効だと感じました。

貴重なお話しをお聞かせいただきありがとうございました。

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