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人の「ヤミ」は自分が本当は大切にしたかったもの

このインタビュー連載では、自分の特性を言語化していく「ジブン研究」の運営メンバー3人に、ジブン研究を始めた・関わったきっかけや、どんな想いで運営しているのかを聞いていきます。第2回は、運営の千葉桃(ちば・もも)さんにインタビューしていきます。

ーまず、どうしてジブン研究に運営として関わりたいと思ったんですか?

わたしは、人の内面にある隠れて見えないその人の魅力を知るのが好きで、3人1組での対話の中で気づきが生まれる「ジブン研究」に、運営として関わりたいと思いました。人の「ヤミ」が好きなことが「ジブン研究」に関わっている理由でもあるんですけど、個人で「専属ヤミ対話スナック」っていうのをやっていて(笑)

わたしが一番伝えたいメッセージとしては、「世の中に溢れている、普通という枠組みがあるけれど、そういう枠組みが合わなくても自分の大切なものを大切にして生きていいんだよ」ということで。

それを伝えたいから、個人でもそれをやっているし、ジブン研究でもやっています。


前提として、その人の心の奥にその人だけの大切にしたかったもの、「こういう自分でありたい」とか「これが好きなんだよな」みたいなのがもともとあると思っていて。

とはいえ社会に適応するために、社会にある普通っていう色んな価値観があって、そこに適応しながら生きていかないといけない。それが元々持っていた大事にしたかったものっていうのを、無意識のうちに否定したり、なかったことにしたりとかっていうことが起きているなと思ったんですよね。それをやっているうちに、だんだんもともと大切にしたかったものって闇に覆われて見えなくなってくる。

それで、「ヤミ」っていうのは「ここに大切にしたかったものがあるよ!気付いて!」っていうサインを出していて。

いろんな違和感だったり、もやもやだったり、痛みだったりっていう、いろんな形でサインを出しているんだけれど、それすらもう見ないようにして、ポジティブシンキングや切り替えによって抑圧されて、無視される。そして、そうしているうちにかわいいことに「本当に大切にしたかったもの」がグレる、それが「ヤミ」だと考えていて。


ー「社会に適応するための価値観」を身につけてしまって、本当は大切にしたかったことがグレてしまうって、例えばどんなことですかね?

例えば、本当はそのままの自分でいたいと思っていても、「強くならなきゃいけない」「逃げてはいけない」という社会の価値観に適応して生きていると、「強くなれない自分はダメな人間だ」といったグレたヤミの声が出てくることがあります。それって、そのままの自分でいたいっていう本当の願いを押し殺してるから、モヤモヤしたり苦しくなったりするんですよね。

だからみんな見ないようになかったことにしようとして封印しようとして、さらに「ヤミ」がそれに反発して、ネガティブなコミュニケーションとして外に発される、という悪循環が生まれる。

だからここでいう「ヤミ」っていうのは、その表現されてない宝箱(という表現をしてるんですけど)のなかに封印された、本当は大切にしたかったものとか、押し込められた願いみたいなものを「ヤミ」っていう風に呼んでいて、それが凄い好きだしその宝箱を開ける瞬間が凄く好きなんですよね。

そういうグレた「ヤミ」を抱えながらも生きているっていうことがまず愛おしいなと思うんです。


社会に適応するために作り上げた価値観・信念が強いと「ヤミ」が本当に言いたいことって見えないから、一旦脇に置いておいて、「本当は(自分の心は)なにを伝えたいたいんだっけ?」っていうメッセージを聞く、ということを、わたしは個人でも「ジブン研究」でもやっています。

最初はグレた「ヤミ」の声しか出てく来ないけれど、それも受け止めて聞いてるうちにだんだん素直になってきて、本当に言いたかったことを教えてくれるようになってくる。それが面白くてやってますね。

最終的には、社会に適応するための価値観・信念も必要なものだし、自分が大切にしたいものは大切にしてるものであって否定しなくていいし、どっちもあるから今回はこっちを選択しよう、ってどっちの存在も否定しないでバランスを取るっていうことができたらいいよね、っていうのを目標にしています。


ー 一般的にいう「闇」と「大切にしたいもの」って、ももさんの話を聞くまでわたしの中ではすごくかけ離れてると思っていたんですけど、大切にしたいことの裏返しがももさんのいう「ヤミ」なんだ、表裏一体なんだ、っていうことが分かった気がします。


ー「ヤミ」の言語化って、最初からできていた訳じゃないと思うんですけど、そういう「ヤミ」的なものに興味を持ったきっかけはあるんですか?

最初は「ヤミ」って言葉を使ってなかったんですけど、自分の中にある闇的なものや弱さとか、感情の波が激しいなどの特性・生きづらさとか、そういう感覚みたいなものは「自分だけじゃないのかも」と考え始めたのが高校3年生あたりで。

周りの人を見渡してみた時に、なんだかみんな楽しそうに生きてるなと思っていたけれど、1対1で喋ってみたらなんかすごく深い「ヤミ」を持っていた子がいたりして。

闇のようなものを持っているのをは自分だけじゃないんだ、こういう闇を抱えて隠しながら、表むきは笑いながら生きてるけれど、それぞれ形は違ってもいろんな「ヤミ」を持ちながら生きているのかもしれない、って思ったのが最初のきっかけですね。

そこからは、飲み会とかで1対1になる機会があれば人の「ヤミ」を掘りまくっていて(笑)「やっぱりこの人にもあった!」みたいに、仮説検証していってた感じです。

結果的に誰にでもあるとも言い切れなくて、この人には「ヤミ」はないな、と思った人もいるんですけど。

ーそれは「こじらせてない」みたいな?

なんか、内側にあるものを表現しきれていて「ヤミ」として特にグレれていない状態。大体の人は表現し切れてない部分っていうのがあると思うんですけど。

「ヤミ」は大切にしてしたいことだから、大切にしたいものが表現され尽くしていればもはや「ヤミ」じゃなくなってるってことですね。

ーももさんの話を聞いていて、前のインタビューで「ジブン研究」でゆかさんが大事にしたと言っていたこととすごく似ているなと思って。

ゆかさんがインタビューのなかで、「多くの人が自分が向き合いたい特性を変えたいと思って「ジブン研究」に来るけれど、「別に変わっても変わらなくてもどっちでもいい」ということを言っていて。

なんかその感覚と、大切にしたかったことができてない状態を「ヤミ」として味わうみたいなところが、似てるなって思いました。それは「ジブン研究」をやる中でも、大切にしてることなんですかね?

その人が悩みとして持ってくるものってその大切にしたいものの裏返しっていう風に私は認識してるから、じゃあそれは何を大切にしたいんだっけみたいな視点で切り込んでいくことは確かに多いですね。

ーちなみにここまで聞いてきましたが、ももさんの「ヤミ」はどんなものがあるんですか?

わたしの「ヤミ」はいっぱいあり過ぎて、どれを言えばいいのか(笑)

ー 一番「ヤミ」だなって思うものからで(笑)

根本的に自分の存在価値があるっていう風に覚えてないっていうのが一番根底にある部分だと思っていて。なんかそこから派生して、承認欲求や依存など、いろんなものが出てきてるのかなと思ってるから、根底にあるのはなんかそこかなと。

「自分で自分の存在を認められてない」みたいな。

ー それは逆に、大切にしたいことで言うと、「自分の存在を認めたい」っていうことになるんですかね?

そうだと思います。「そのままでただ存在していいと思いたい」みたいな。

なんか最近森に還りたいって思うんだよね(笑)森って、木とか動植物とかがたくさんいるけれど、自分の存在価値とかを考えずにそれぞれがただ生きてる訳で。自分が生きるためだけにいて、でもそれによって循環が生まれて。ただ生きてるだけなのに他の植物とか動植物が役に立ったりとか、土へ帰って命の循環が生まれていたりとかする。

なんかそういう循環の一部でありたいなと思っていて(笑)

存在意義とかっていうのを考えなくてもただ存在していいと思いたい、でもそれができてないから存在意義を作りたくなっちゃうんですよね。


ーちなみに、例えばわたしは「愛着鍾愛傾向があるから自分はうまく恋愛ができない」みたいに、「幼少期の体験が成長や今の自分に影響するのはしょうがない」と思っていて。だから、ネガティブな表現として外に出てしまうのも、むしろ自然だなと思う部分もあって。

だから、自分のそういう特性をあまり「ヤミ」だと思っていなくて。ももちゃんがそう思わないのは何でなんでなんでしょう?


なんかそういうことにしちゃうと今を変えられなくなっちゃうと思うんです

「こういう流れで来たからこうならざるを得ない」みたいな形でできちゃうと、出来上がったストーリーを歩むだけになっちゃう。なんかそれは結構しんどいことだなと思っていて。

わたしも幼少期からの人生グラフみたいなのを書いて、「今自分はこういうストーリーの上にあります」みたいに表現することもあるけれど、

それをしちゃうと今「これ次こういうフェーズが来るんだろうな」みたいなストーリーが出来上がっちゃう気がするんです。でもそうじゃなくて、これからどういう生き方をするかって選べると思っていて

「こういう流れで来たからこのままそれを背負って生き続けます」ではなく、「今気付いたんだからその大切にしたかったものをこれから大事にしていければいいじゃん」っていう風に、生き方の選択肢を増やしたいなっていうのがありますね。

ー 確かに。私もその愛着障害でうまく行かなかった恋愛もあるけれど、やっぱりそれでいいとは思っていなくて、自分がハッピーに生きるためにそこは変えていきたいと思ってるから、納得ですね。


ー「ジブン研究」で対話をしていく中で、変わらなくてもいいなって思ったりやっぱり変えたくないなと思うヤミがあってもいいけれど、やっぱり根底には何かよくより良くしていくとか、気付いた現状や課題や特性を変えていくのがいいっていうのがももさんの中にあるっていうことですよね?

変えていくというか、もともと大事にしたかったものを思い出して、それを否定しなくてもいい生き方を探していくみたいなイメージですね。


ー「ジブン研究」を運営している中で、難しいなと思うことはありますか?

個人でやっている「ヤミ対話」は1対1なんですけど、「ジブン研究」では3人1組でやっていて。3人1組でやると視点が増えるので、また違った角度で掘って行けるのが面白いなと。

ただ、ぶっちゃけ1対1の方が得意ではあるんですよね(笑)自分が興味のあることや気になるところを聞いていけばいいから、やりやすいのは1対1の方で。

やりやすいのは1対1の方なんですけど、でも3人1組じゃないとできないことっていうのもあると思っていて。

それは、私が気付かなかった視点をもう一人が持っていたり、一人だとわたしが思っているだけっていう認識になるけど、もう一人いることによって「これはこの人だけが思ってることじゃなくて2人も思ってるんだから、その他にも思っている人がいるかもしれない」って思えたり。

1対1じゃなくて場になるので、3人になることによって、より社会的に認められる考えなのかもしれない、という風に信頼感が増すんですよね。

ー最後に、「ジブン研究」にはどんな人が向いていると思いますか?

自分一人で「ジブン研究」のようなことができる人も、いるとは思います。でも、「一人でどうやって向き合っているのか分かんない人」「向き合いたいとは思ってるけどそのエネルギーがない人」には来てほしいですかね。

あとは、「一人じゃどうしたら分からない人」。自分一人で自分と向き合うのって結構しんどいので。「ジブン研究」って吐き出す場になっていて、それが安心材料になってたりもしているので、一人で悶々と考えるよりかは聞いてもらう人がいた方が、自分と向き合うことも進めやすいのかなと思います。


インタビューされた人

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