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エリンジウムの花ことば 第1話【全9話】

あらすじ
 介護施設で働く23歳の僕、久保田 あおいは、新しくデイサービスに通ってくるようになった利用者の男性、遠山 銀次の娘で51歳の二宮 瞳子とうこに恋をしてしまう。コミュニケーションの取り方や、ほどよい距離の置き方に悩みながらも、健気けなげに利用者に寄り添おうとする葵に、既婚者でありながら瞳子も惹かれてゆく。
 一方、大先輩の介護士、福沢が「絶対にリーダーになれない理由」を知った葵は、自身の恋愛とも重ね合わせ、同じてつを踏むことなく、みんなが幸せになれる未来を模索し始める。

あらすじ


 僕はこの時、一生分の恋をしてしまったんだ。

 今となってはあとの祭りなんだけど、今まで他人にまったくと言っていいほど関心がなかった僕を、とりこにするには彼女はじゅうぶん魅力的だった。

 僕が今働く介護施設「ひなた苑」に入職したのは今から4年前。高校を卒業して情報処理系の専門学校に入学したものの、周囲のキラキラした同世代の空気になじめる気がしなかった僕は、当然勉強にも身が入らず、夏がくる前には学校を辞めた。

 とりあえず工場のラインの夜勤仕事に就いたけれど、これも続かなくて1か月で辞めた。ただ、さすがに家族にはなかなか言い出せなかった。父に職場まで車で送ってもらっても、そこからこっそりネットカフェに行ってやり過ごしたり、お金がない時は公園で野宿したりした。結果、すぐに家族には、仕事を辞めたことを知られてしまった。

 母に「あおいはおばあちゃん子だし、優しい性格だから介護はどうかしら」と言われた時、正直すぐにはピンと来なかったけど、日曜日に新聞と一緒に入ってくる求人広告を見て、ダメでもいいやとなかば軽い気持ちで面接に行ったらあっさりと採用になった。それが今の職場だ。秋に19歳になって、施設長に「年明けと言わず、すぐに来て」と言われ12月1日からの勤務となった。ここで4回誕生日を迎え、僕は23歳になった。


 今年最初の出勤日、1月4日。着替えを済ませて男子更衣室を出ると、事務所からトイレに行こうとしている航平リーダーに呼び止められた。

「おはよう久保田くん。明けましておめでとう。今日から新規でのご利用者さんが来るから、個人ファイルに目を通しておいてね~。つっても、要支援2の独歩どっぽ、ほぼ自立でラクな人だけどね。机の上にファイル出してあるから」

 岸 航平さんは僕より9歳年上の32歳。デイサービスとショートステイを束ねるリーダーで、185cmの長身、ガタイがいいにも関わらず、色白で童顔と物腰のやわらかさで、女性の利用者さんたちに大人気の頼れるリーダーだ。僕も航平さんに負けず劣らず童顔で、認知症の人からはちょくちょく中学生と間違われてしまうが、航平さんと違って僕は身長163cm。仕方がないこととはいえ、せめてあと5cmくらいはほしかった。


 ひなた苑のデイサービスは、1日に25~30人の利用者さんが来所する。時間は基本9:00~16:00。月曜から土曜までが利用でき、日曜と年末年始は休み、祝日やお盆などは稼働している。

 送迎は3人の老練な60~70代の男性ドライバーと、デイやショートの職員で近場の人を単発で担当するなどして回している。僕はデイサービスのフロアが見渡せる事務所に行き、机の上に出してあったバインダーを確認した。遠山 銀次と大きく背表紙にテプラが貼られた新品の個人ファイルを開く。

「遠山 銀次・79歳、要支援2。独歩どっぽ、ほぼ自立……か、認知症もほとんどなし、山形県出身、元造園職人。へぇ……」

 通常、介護認定が下りていざ介護サービスを受ける段階になると、キーパーソンと言って家族の中から代表窓口の人を決めてもらう。ほとんどの場合、配偶者や子ども、たまに子どもの配偶者、つまり息子のお嫁さんなどが多いのだが、この新規のおじいちゃんもキーパーソンの欄には『二宮 瞳子とうこ・長女、同居』とあった。

 航平さんがトイレから戻ってきて言った。
「久保田くんに今日その時代劇みたいな名前のおじいちゃんとこ、行ってもらうから~。よろしく頼むよ! 認知症はほとんどないけど、かなり耳が遠いから、ボリュームマックスでね」
「時代劇みたいな、って……まあ確かに、昔『遠山の金さん』ってドラマありましたよね」
「やっぱりほんとにそういうのあったっけ? でもこの人銀さんじゃん。ちょっと惜しいな」

 そんなことを話していると、地続きのショートステイのフロアからやってきた夜勤明けの福沢さんが、疲れた顔で話しかけてきた。

「久保田はなんで遠山の金さんを知ってるんだ、年いくつだ?」
「お疲れさまです、23です。あ、僕おばあちゃんと一緒に住んでて。再放送とか一緒に観てたから」
「だよなぁ。俺が子どもの頃に親が観てたドラマだ。ま、俺の親はもういないけどな」
「福沢さんて、おいくつなんですか」
「53だよ。久保田の親より上なんじゃないか」
「え、意外。40前半あたりだと思ってました。白髪とかもないし。僕、ひと回り年の離れた兄がいるんで、父はもう60代ですよ」
 ほんとうに、福沢さんは年齢よりも若く見えた。身長は173cmぐらいで、体格はいわゆる細マッチョというやつだ。髪は七三分けにしているけど、垢ぬけた印象で黙っていればイケメンで、人目を引いた。
「そうか、その新しくデイに来る銀さん、ショートもそのうち利用するようになったら情報共有、しっかり頼むぞ」
「了解です!」
「『了解です』はダメだ。『承知しました』と言う癖をつけろよ」
「はい、了解です……、承知しました」

 40前半、と言った時、福沢さんの口もとがほんの少しだけ緩んだのを、僕は見逃さなかった。


 3台ある大型送迎車の白いキャラバンに乗り込む。今日の僕が担当するコースの運転手は気の合う鶴野さんだ。68歳の鶴野さんは昔、このひなた苑の特養でリーダーをしていた介護福祉士でいわば大ベテランだ。年齢とともに膝を悪くして、やむを得ずドライバーに転身したので、送迎に関しても介護士目線で実にきめ細かい配慮を見せてくれる。尊敬する人生の先輩だ。そして頭が見事につるつるなので、名前を呼ぶたびに笑ってしまいそうになるのは僕だけではないはずだ。

 新規の遠山さんの自宅は、ひなた苑のデイサービスに通ってくる100人あまりの利用者の中で、施設から一番近いのではと思われた。僕の足なら歩いても恐らく1分ほどだろう。正面入り口から数えて5軒めの戸建てだ。マックス6人乗せられるキャラバンで、近い方は一番最後に迎えに行き、一番最初に降りてもらうことになる。

 5人の利用者の方々が乗り、いよいよ一番最後、6人めの遠山さんの家の前に到着した。鶴野さんがサイドブレーキをかけるのを見届けて、僕がキャラバンから降りていったんドアを閉めると、すぐさま玄関のドアが開いた。

 僕はこの瞬間、恋に落ちてしまった。

 初めて会った、新規利用者遠山さんのお嬢さん、二宮 瞳子とうこさんに。





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