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エリンジウムの花ことば 第5話

 4月の最後の週に、デイサービスでは恒例の利用者さんたちの誕生会があった。二宮さんのお父さん、遠山 銀次さんは5/1生まれで、今年でちょうど80歳になる。5月の下旬の誕生会だと、だいぶ先へ行ってしまうため、僕が提案して4月生まれの利用者さん方と一緒に祝おうということになった。

 ひなた苑のデイサービスでは、誕生会をおやつのあとの15:30からに設定している。ねりきりやケーキなどのちいさなお菓子と、コーヒーや緑茶、ココアや昆布茶など、ひとりひとりの希望する飲み物を楽しんだあと、サプライズで、その月の誕生日を迎える利用者さんたちに前に出てきてもらう。レクで使うホワイトボードの前には人数分の椅子が用意され、呼ばれた人たちは何が始まるのか、首を傾げたり不安そうな表情の方もいる。

 ホワイトボードの裏面には、以前職員と利用者さんで作ったものらしい「Happy Birthday!」の文字と、巨大なバースデーケーキがアップリケされたタペストリーが、マグネットで貼ってある。裏返せば一瞬で、皆さんが誕生会だということに気づき、どよめきが起きる。

 誕生会で祝う利用者さんのご家族には、事前に日程を連絡帳などでお知らせし、希望すればひとりふたり程度なら、デイルームの後ろの方で見学をしていただくことも可能としていた。とはいえ認知症で落ち着かない他の利用者さんもいる以上、外部の方の立ち入りは慎重に運ばなくてはならないけど。

 初任者研修のあとのファーストフードで二宮さんと話した翌日、僕は職場から二宮さんの携帯電話に電話をした。4/30の火曜日に、4月生まれの方たちと、5/1生まれの遠山さんの誕生会があること、ご家族が希望されたら少し見学ができることなどを伝えると、ふたつ返事で「行きます」と言ってくれた。二宮さんは介護の仕事の経験もあるため、よけいな心配はしなくてよかった。少しでも知らない顔があると落ち着かなくなってしまう利用者さんに配慮して、気配を消してデイルームの片隅で見守っていてくれるだろう。初めて僕が送迎以外で仕事しているところを見てもらえる。がんばっているところを見せたい。二宮さんに見てもらいたい、そう思うと、いい会にしよう、と心から思えてきた。

 この日の誕生会の主役は3人だった。4月生まれはなんと 95歳になる橋本さんという男性と、これまた100歳になる柴田さんという女性だ。

 15:30ぴったりに、二宮さんがひとりでデイルームに入って来て、僕と目が合うと笑顔で軽く会釈をしてくれた。今日のいでたちはコットンの白い七分袖のシャツに、ひざ下ぐらいまでの丈の涼し気な紺のワイドパンツ。いつ見てもすっきりとしていて品が良い。

 今日はおめでたい100歳を迎える柴田さんのいる誕生会ということで、二宮さんに続いて施設長、事務長、理事長と、施設の偉い人たちがこぞって見にやってきた。二宮さんも軽く挨拶している様子がうかがえる。

 おおぜいの利用者さんが見守る中、向かい合わせにしたホワイトボードの前に少し間隔を空けて、左から歩行器の橋本さん、車いすの柴田さん、独歩どっぽの遠山さんの順に着席してもらった。歩行器と車いすを、女性の職員が黒子のように脇へ下げてくれるのを待って僕は始めた。

「さぁ皆さん、今日のちょこっとレク、何が始まるのか、もうお分かりの方もいますかね~」
 マイクは用意してあるものの、今は使わずに声を張る。
「今日は、はい! これです!」
 ホワイトボードをゆっくりと裏返す。

「あ~!」
「お誕生日……」
「ケーキだ」
 前の方に座っている女性の利用者さんたち数人が口々に言い、納得した顔になった。もちろん無表情で、何が始まるのか理解していない人もいる。特に男性たちは反応が薄い人が多い。僕は橋本さんと柴田さんの間に入り、床に片ひざをついた。

「ではね、端から順番にインタビューしていきますよ! まずは皆さんから向かって左、橋本 和昭さんです! はい、拍手~!」
 ぱちぱちと拍手がおき、それが鳴りやむのを待って僕はズボンのポケットにねじ込んでおいたマイクを取り出してスイッチを入れた。橋本さんの方へ向ける。
「和昭さん、皆さんにお年を言ってもいいですか?」
「あぁ、いいよ」
「ありがとうございます。橋本 和昭さん。昭和4年の4月6日生まれで、なんと今年95歳だそうです! お元気でいいですね。長生きの秘訣はなんですか?」
「よく食べて、よく寝ることかね」
「あっ、大事ですね~。和昭さんの好きな食べ物はなんですか」
「好き嫌いはないねぇ。なんでも食べるよ。でも、一番好きなのは寿司かね」
「お寿司、美味しいですよね! 僕も大好きです。これからも元気でデイサービスに通って来てくださいね」


 再び自然に拍手が起きた。寿命が延びたとはいえ、95歳でここまでの会話ができるのは素晴らしいことだ。認知症が進んでしまった人は、会話が成り立たない上、数分前のことも、人の顔や名前も覚えていられない。だから何度も同じことを聞かれたりするのはよくあることで、余裕がない時に繰り返されると、正直イライラしてしまうことも少なくない。

「さぁ、次は女性の方、柴田 はつ子さんです! はつ子さん、皆さんにお年、言ってもいいですか?」
「え~? トシ? なんで~?」
 はつ子さんは認知症がかなり進んでいて、日にちや時間の概念はもうなくなっている。
「とっても長生きで、おめでたいからです」
「う~ん。まぁ、いいけど。ところで私、いくつだったかね?」
 前の方に座っている利用者さんたちに笑いが起こる。ふと気づくと、デイルームの後ろの方で、椅子に座った二宮さんもくすくす笑っていた。


「では発表しますね! 柴田 はつ子さん、大正13年の4月18日生まれ、なんと今年で100歳になられました!」
 おぉ~、というどよめきとともに、またぱらぱらと拍手が起きた。
「僕、今23歳なんですけど、そうなるとはつ子さんは僕の4倍以上生きて来られたということになりますね。戦争とか、つらいこともたくさん経験されて来たと思いますが、今までで、一番嬉しかったことはなんですか?」
「嬉しかったこと? う~ん、なんだろねぇ、あ。ここに来れたこと」
「え? そうなんですか? デイサービスに?」
「うん。だって、ここしか来るところがないもん。明日はなに曜日? 明日も来れる?」
「あ~、明日のことはあとでちょっと確認しておきますね! でも、ここに来るのが嬉しいなんて、僕たち職員も嬉しいですね! 明日からまたお仕事がんばれます」
 また利用者さんたちが笑顔になるのがわかった。

 はつ子さんの利用日は週に3回で火木土だから、明日の水曜日が利用日でないことは頭に入っていた。かつて長らく通っていたのが火水金で、その時の記憶が残っているらしいのだが、それを訂正し今の利用日を伝えたところで、何度も同じ質問を繰り返されたり、納得がいかないとれたりして、収拾がつかなくなることもあった。

 ふと、また部屋の片隅にいる二宮さんと目が合った。

 今までに見たことのない、真剣なまなざしではつ子さんを見つめていたのがわかった。気になったが先を続けた。

「では、次は遠山 銀次さん。お年は言ってもかまいませんか?」
 耳が遠いので、より一層声のボリュームを上げて言う。
「ああ、いいよ。俺もいくつだかちょっと自信ないねぇ。あんた知ってるの?」
 前の方に座っている方を中心に、どっと笑いが起き、なぜか二宮さんは下を向いている。自分の父親だと、恥ずかしい気がするのだろうか。

「もちろん知ってますよ! 遠山 銀次さん、昭和19年5月1日生まれで、明日ですが今年80歳になられます。銀次さんは、どんなお仕事をされていたんですか?」
「んー? 仕事? あれ、好きな食べ物聞かれるのかと思って考えてたのになぁ」
 またもや笑いに包まれる。
「あはは、そうか、それはすみませんでした。では銀次さん、せっかくだから、好きな食べ物をまず教えてください」
「そうねぇ、酒が一番好きだけどねぇ」
「銀次さん! それは食べ物じゃないですね!」
 前の方に座っている利用者さんたちはお腹を抱えて笑っている。後ろの方の利用者さんたちは、ぴんとこないのか、聞こえていないのか、無表情な方もいた。意識して二宮さんを見ると、下は向いておらず、銀次さんの方を見て微笑んでいるように見えたが、目は笑っていなかった。
「銀次さんは今年に入ってからデイサービスに来てますけど、どうですか? ここに週1回来るのは楽しめてますか?」
「そうねぇ。俺はお酒ばかり飲んでてちょいと危なかったんで、そんで娘にここへ来るように言われたんだよ。楽しいってわけじゃないけど、いろいろ勉強になるよ」

 そうだ、個人ファイルに書いてあったことを思い出した。遠山さんは、お酒を飲んでいて軽い脳出血を起こしたにも関わらず、奇跡的に後遺症もなく、今は普通に生活できているのだ。危なかったということは、意識を失って救急搬送されたりしたのだろう。二宮さんは、その時のことを思って笑えないのかな、と考えた。

 ひと通り3人の方のお話を終えてから、次はみんなでハッピーバースデーの歌を合唱する。今日は、いつもハーモニカ持参でデイに来る、82歳の通称ダンディ梅本さんというおじいちゃんが来所しているので、事前にご自身のハーモニカを荷物から出して渡しておき、合図したら曲を吹いてもらえるようお願いしておいた。男性職員のひとりが、後ろの方で座っていた梅本さんに歩み寄り、耳打ちすると梅本さんがハーモニカを構えた。

「では、梅本さんのハーモニカの演奏で、皆さんでハッピーバースデー歌いますよ! さん、はい!」
 ハッピーバースデー ディア〇〇~、のところを、僕が誘導して前の3人の名前を先に言う。
「ハッピーバースデー ディア『和昭さん~』『はつ子さん~』『銀次さん~』ハッピーバースデー トゥーユー♬」
 梅本さんは何度も演奏を頼まれているため、繰り返す部分も合わせてくれて、慣れたものだ。最後もカッコよく吹き鳴らしてくれた。おおいに盛り上がって来た。

「皆さん、すてきな歌声でした! どうもありがとうございました! 今日はね、特別に、柴田 はつ子さんが100歳のお誕生日を迎えられて、大変おめでたい、ということで、くす玉をご用意してます!」
 デイルームの脇にある畳の小部屋に待機させてあった金色のくす玉を、先ほど梅本さんにハーモニカの合図をした職員が運んで来てくれた。カップ麺の空き容器を洗って向かい合わせに重ねてつくられたそれは、周りの部分は施設の営繕担当のおじさんが指揮をとり、ドライバーのおじさんたちの協力のもと丹念に作り上げたものだ。中身の紙吹雪はレクの制作の時間に、何人かの利用者さんたちが「内職」などと言いながら細かく折り紙を切ってくれた。それも手先の良いリハビリになるため、一石二鳥だ。

 金色の折り紙で覆われたくす玉を、コートハンガーにS字フックで吊って、ひもをはつ子さんに握らせようとしたその瞬間、まさかの事態が!



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