layers of clothing
2022.8.22
朝、目覚めて起き上がると、部屋の置き時計は十一時過ぎを示していた。
思考が停止した。チェックアウトは十一時だ。そうだ動きを止めてる場合じゃない、と思って自分を急かした。今すぐここを出なければ。しかし、自分の格好といえば昨日着ていたフェスTシャツだった。驚いた。残念なことに、汚いまま風呂に入らず寝てしまっていた。自分でも呆れた。このままチェックアウトをしても、風呂に入ることができない。シャワーのあるところを、これからわざわざ探すのか?なぜ好きなアーティストのライブがあるのに前日から用意しないんだ、とか一度に沢山考えているうちにも時間は過ぎていた。そうだ、延長が出来るか内線で聞いてみよう。昨日の夜に、フロントで教えてもらった内線のない番号を覚えていた。内線の受話器を取ってフロントにかけると、聞こえてきたのは昨日の受付を担当していた男性の声のような気がした。詳しく尋ねると、延長一時間につき千円かかるらしい。それでも、一時間もあれば十分用意ができる。そのまま延長をお願いすることにした。
最悪、化粧はどこか外でも手早く済ませることができるだろう。シャワーを浴びないと、と思って服を探しているうちに自分のiPhoneが目に入った。そうだ、ホテルの部屋に着いて真っ先に、念のため目覚ましを九時にはかけていたはずなのにな…。そう思って画面をつけて見ると、デジタル時計は07:15を表示していた。
ホテルの置き時計が電池切れなのか、よく見ると秒針まで静かに止まっていた。まだ余裕で朝じゃないか!自分がかなりバカらしかった。内線をもう一度かけて、延長はキャンセルしてもらい、落ち着いてシャワーを浴びることにした。それでも、わたしが昨日ここで倒れ込んで迂闊にも寝てしまったことに変わりはない。反省をしながら、ホテル設備のありがたみを思っていた。
出かける用意をほとんど終えて、再びベッドに寝転がっていると、友達から会えないかと連絡が来た。気持ちが明るくなった。よく会う仲の良い友達だが、最近は少し会えていなかった。彼女も今日は用事で大阪に来ているが、それが昼前には終わるからということで、大阪で昼ご飯を一緒に食べることになった。
今日はシガーロスの来日ライブがある。場所はZepp Osaka Bayside で、昨日の会場と近かった。けれども、梅田のほうが何かと便利だし、ビル街がかなり好きなので、大阪駅近くに宿をとっていた。もともと、今日は大阪駅周辺で過ごす予定だった。朝早く起きて、大阪駅のスタバのモーニングなどに行ってみたい、とか考えていた。寝てしまったけど。でも、その後には何をしようか、あんまり考えていなかったから、友達に久々会えるとなって急に楽しくなった。数時間後に駅の改札口で待ち合わせてから、ランチを食べて、買い物をして、カフェに行った。まだ外は暑いのに、服屋さんには秋服やニットが賑やかに並んでいた。
その日はいない、別のよく会う友達に、jettyちゃんの服のテイストが分からない、とついこの前に言われて、それは自分でも分からなかった。そのことを話すと、友達は今のわたしに似合う服を選んであげると意気込んでくれた。服が好きな彼女は、わたしにたくさん服の好みについて尋ねてくれて、とても楽しそうだった。楽しそうな彼女を見るとわたしまで楽しくなった。笑顔がとびきり素敵な彼女と、いまだ大人になってもこうやって会い続けることが出来ていることに、会う度に嬉しく思う。わくわくしながら話をする彼女は、私たちが公園で遊んでいた頃の無邪気な笑顔みたいで、とても可愛らしかった。彼女のよく行く服屋で、わたし達は茶色い上着を見つけた。わたしは足を踏み入れたことがないお店だった。フェイクレザーのジャケットで、少しシワの加工が施してあるオーバーサイズの上着。以前から秋冬に着る、レザー生地の(レザーでもフェイクレザーでも構わない。)服を探していたため、凄く惹かれた。甘過ぎなくて茶色だから強面な見た目にもならない。試着をしてみて、後ろ姿のところの上着の裾が、膨れている感じが可愛いと、推してくれた。確かに、黒色は他のお店の違うデザインでもよく見かけるが、この茶色はこの服にしか持っていなさそうな色味だった。店員の人とも仲良くなれる彼女は、あれこれ服について楽しそうに会話をしていた。店員の女性の方も実は黒色を持っていて、この形のジャケットは去年も人気で…と丁寧に接客してくださった。袖口のスナップボタンの使い方や、胸下ポケットのちょうど裏側にも手を入れられるポケットがあること、など教えてくれた。ポケットがあることはわたしにとってかなり重要で、それに、友達との今日の思い出も大切に持っておきたくて、この茶色の上着を買うことに決めた。
友達と別れる前に、コインロッカーに荷物を一旦預けた。空いている扉を探すと、たまたま昨日のロッカーの隣の扉になり、それを伝えると「楽しんでるね。」と言われた。彼女の存在によく救われる。個人的に嬉しかったことや面白かった話をしても、変な受け取り方じゃなくて、真っ直ぐ、いいね、と言ってくれる。彼女ともまた近々、少し遠くに一緒に遊びに行く予定を立てようと話をして、よさそうな時期だけ決めて、駅の改札内で別れた。
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シガーロスのライブは、最高だった。
わたしの、大切にしたい"音楽"がそこにあると思った。
音楽といっても、演奏も楽曲も聴き方も様々だけれども、わたしがなぜ音楽をしているのか、という根本にあるようなところで、彼らの音楽はとても近くにあるように感じて、嬉しかった。
人間はこうやって、猫よりも蝉よりも魚よりも、長く生きているんだから、描ける感情が数種類なわけがない。喜怒哀楽は分類だとしても、実際はもっともっと複雑で、もっともっと色がある。そんなことを思わされた演奏だった。一曲一曲、似たような音の構成のものがあっても、確実に感情の色が違っていた。彼らが何をきっかけに、これらを作ったのかは知ることができないが、わたしにとっては意外にも身近にある感情に近かったり、忘れている純粋さだったりした。ある曲は、大切な人達との温かかった思い出。ある曲は、真夜中のリビングに座り込み、明日までに出す課題を仕上げないといけないのに憂鬱で立ち上がる気が起きず、ようやくテレビを消すあの感じ。ある曲は、動物や虫の死骸と対面した時。ある曲は、誰もいない体育館や病院の廊下でふと意識が遠くなる感覚。
アイスランドからこの遠いところまで来てくれた彼らに、何かを思い出させてくれた、彼らの演奏に、感謝の気持ちで何度も手を叩いて拍手を送った。最後は客席からの熱が音となって、演奏の一部かのように拍手が混ざっていた。
彼らの音楽には、壮大な自然が背景にあるように思う。ボーイング奏法で創る轟音は、大気が動いている気配に似た感覚だった。街のあちこちから広告や宣伝の音声が聴こえてきて、人々の活気でせめぎ合っているような日本の街の音とはどこか確実に違うと思った。
彼らは彼らの音楽で素晴らしい。
でも、わたしはわたし達の住む"街"が好きだ。
帰り道で、自分のバンドの練習音源を聴いていた。自分なりに曲の中に好きな街の音を織り交ぜているつもりで、それを聴いていた。自分達の楽曲だから自分の好みであるのはそうかもしれないが、それでも好きな街の景色やイメージが込められていた。過去の自分によって。あるいは調子のいい時の気分や、涙が出る直前の感覚。これが沢山の人々にすんなり受け入れられるとは思わない。もしかしたら、良いと思えるのは今のところ、わたし達だけかもしれない。
それでも大切にしたいな、と思いながらイヤホンをつけたまま電車に乗った。
途中でコインロッカーに寄り、トランクと上着の入った紙袋を取り出して、今日一日が確かに続いていることを思い出していた。今日買った、シガーロスのパーカーを取り出して抱き締めたりして、終わってしまった喪失感と満足感と幸せとで複雑な心を落ち着かせようとした。今日は、上着が二枚増えた。
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