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休職5週目の1週間で学んだこと感じたこと「映画の感想」「やったこと」「気づき」「深掘り」など徒然なるままに。

映画「最高の人生の見つけ方」を見て。
人生には必ず「自分の人生これで本当によかったのか?」と考え直す時期が来る。
主人公たちは余命半年を知って考え直すことになった。
自分の人生にも必ず「終わり」は来る。
2人が棺桶リストを達成していく様子は痛快だった。
生きているうちにやりたいことはどんどんやっていく必要がある。
家族と過ごす時間は本当に大切な時間だと思う。
つまらぬ意地は人生に不要だ。
「悔いのないように生きる」これが本当に大切な事だ。
カーターの問いかけ
・人生に喜びを見つけたか?
・他者に喜びを与えたか?
は、本当に重要な問いかけだと思う。
まずは自分を満たし、他者を満たす。
これが生きた証となるのだろう。
今の私には到底YESとは言えないが、
両方にYESと言えるような生き方を見つけ歩みたい。

映画「僕は、君のためにこそ死にいく」を見て。
来週、ついに念願の知覧特攻平和館へ行く
そのために昔見た映画を16年ぶりに見る。
死とは何か、生きるとは何か。
考えさせられるものがあった。
息をしているだけが生きているのではないかもしれない。
特攻で生き残った方が、肩身を狭く生きていたり
酒を煽って、廃人のように生きていたり、
終戦後人々が手のひらを返したように
価値観が変わったあたりの事は
ねんとも言えない気持ちになった。

資格を取るならを考えてみた。
教員免許(教育は興味がある)
電気主任技術者(腕に職をつけたい)
登録販売者(食いっぱぐれがないように)
今のところ興味をそそられるのがこの3つ。

個人事業主をするならを考えてみた
教室運営(カルチャースクールなどアレルギーや減塩などニッチに)
農業(1人で出来るあとは栽培の品種をニッチに)
コーチング・カウンセリング(共感性強み使い・しかし線引きが重要)
民泊・民宿(観光業は伸びると思う)
対老人(運転代行・買い物代行・パソコンスマホ・リハビリ)
ノウハウ販売(noteにて)


この1ヶ月に勉強したこと。
・内側がすべて(内側がかわればすべてかわる)
・ワクワクする方が正しい方向(直感と感情)
・自分を大切にすることは周りも大切にする事につながる
・自分を受け入れる(受容)
・自分を許す
・許可を与える(制限を解除)
・迷ったら身体に聞く
・認知→受容→成長
・1バンジー、1ミラクル
・すべてリクエストしたものが起きている。味わえ
・全部、自分の所為
・自分が何を発するのか(それが受け取るもの)
・選んだ道を100%肯定せよ
・それをやらなきゃ次に進めないやつだ
・受け入れる。心地よく過ごす
・今起こっていること、おもしろいアトラクションやん
・自分の気持ちを知る。知ろうとする
・目標を決めないと迷子になる
・自分との対話不足(何をしたいと感じている?今はどんな気持ちなのか?)
・「憧れ」を持つこと(羅針盤)
・真面目に生きるな、真剣に生きろ
・当たり障りのない決断をしない
15分以内に一旦の答えを出す
・1度死んだと思って生きる

チョイスはおもろい方 
明石家さんま

何か小さなことを
一つ始めるだけで
人生は変わり始める

<子どもたちに今の自分の状況を説明することが怖い事の深掘り>
子どもたちに自分の休職にあることを説明することが怖いと思っている。
どちらかと言うと隠したいと思っている。
私のことを嫌ってしまうのではないか、
憎しみをもって自分のことを見るのではないかという恐怖がある。
それは、自分が昔オヤジに対して向けた眼差しのように。
そんな恐怖があるのではないか。
嫌われるのが怖いのか?
大した人物ではない自分に子どもたちが気付くのではないか?
何物でもない自分に気がつくのが怖いのか?
ありのままの自分にはなんの価値もないと気付かれるのではないか?
頑張っていないパパには魅力や価値がないと気付かれるのではないか?
価値のない自分を見せることの恐怖があるのか?
サボっている(働いていない)自分を知られる恐怖があるのか?
哀れな自分を見られる恐怖か?
そして、哀れな自分を見られたい願望でもあるのか?
哀れになって安心している自分がいるのか?
人に嫌われることが異常なほど怖い自分に気付く。
世間の目が怖い自分がいる。後ろ指さされる自分が怖い自分がいる。
目立ちたくないという自分がいる。
これは、中学生の時にいじめられた事に関係がありそうだ。
目立つとターゲットにされるのではないか。
目立ってはいけない。
ありのままの自分を見せては目立ってしまう。
だから、人に目をつけられるようなことは極力避けたい。
目立つといじめられる。人の機嫌が異常なほど気になる。
ありのまま生きては狙われる、いじめられる、嫌われる。
ひそひそと陰口を叩かれる。
だから、目立たないためなら、嘘をついても
自分の気持ちにフタをしても構わない。
隠せるのもならずっと隠しておきたい自分の恥ずかしい過去。
なぜ恥ずかしいのか?
自分が思春期に無職だったときに向けた眼差しそのものではないか?
いじめられたきっかけになった「中学生を機にの引っ越し」を
「オヤジ」を通して「人の所為」にしていたのではないか?
悲しみをオヤジの責任にして、
自分と向き合うことから逃げてきたのではないか?
自分の責任だということから逃げ続けてきたのではないか?
自分の人生の汚点を人の所為にして逃げ続けてきたのではないか?
いじめられたことにも、利点があって仲間を大切にする。
頑張って強くなろうと努力する。という良い点もあるのではないか?
自分の見たくないものにフタをして、目を背けて逃げてきたのかもしれない。
そもそも、いじめられたという弱点を見られたくないということが
恐怖の原因なのかもしれない。
そして、いじめられたことが弱点であるかもわからない。
人に目を気にし、気を遣うことで得たものもあり、自分の利点でもある。
短所も一方から見ると長所なのだ。
であれば、弱点だと思っている、いじめられた経験も長所に変えることが出来るかもしれない。
すべては自分に起因している。
幼なかったために人の所為にしか出来なかった過去と
向き合ういいきっかけなのかもしれない。
息子は、幼かった頃の自分なのかもしれない。
ありのままの自分をさらけ出すいいきっかけなのかもしれない。
嫌われたくない、
みんなに好かれることを必死に目指していい人を演じる。
そんなことをしているのかもしれない。
もういじめられたくない。
いじめられたことがあるという消せない過去を背負いながら
それを人に気付かれないために必要以上にいい人を演じているのかも
しれない。
自分の弱いところを見られたくないのは、
自分でも認めたくない過去なのだ。
不本意な引っ越しをした。
そして慣れない環境に必死に馴染もうと頑張った。
でも、上手く馴染めずにいじめられた。
悲しかった。自分が嫌になった。情けなくなった。
いじめられたことが人生の汚点だと思った。
そして隠そうとした。
自分はいじめられるような人間ではない。
弱い人間ではない。
そのことを人に気付かれないように努力ををし、
いい人を演じたのかもしれない。
ありのままの自分を隠したのだ。
情けなくなって、みじめになって、人の目が怖くなった。
目立つことが怖くなった。自分のことが嫌いになった。
大変だったね。よく耐えた。
そんな自分に耐えられなくなって、オヤジの所為にして
自分とは別のところに問題があると思い込んだ。
何もおかしくないと思う。
そうでもしないと、当時の私は心がパンクしてしまっただろう。
よく耐えた。頑張った。
大丈夫そんなこと誰も気にしていないし、覚えてなんかいない。
大丈夫、いじめられたこと、オヤジの所為にしたこと、それら全部を含めて
全部自分の人生なのだ。
そんな過去があったことも含めてすべてが私を構成する要素なのだ。
いじめられたことで、優しくなれたのかもしれない。
人に寄り添えるのかもしれない。
大丈夫もう、ありのままを見せてもいいんだ。
そのことで嫌いになることはないし、
逆に魅力とと捉える人もでてくるだろう。
嫌う人が出てきたっていいじゃないか。
その人とは合わなかった。ただそれだけだ。
すべては、人生に必要だから起きている。
なにかが欠けてもいけない。
すべて必要なピースなのだ。
だから自分に正直に生きればいいのだ。
悩んでいるうちに寿命が来てしまう。
生まれ変わるなら、生きているうちに生まれ変わろう。

休職5週間目が過ぎました。
GWも挟んだのであっという間に過ぎ去りました。
焦りが出てきますが、
家族はもちろん、親戚とも思いっきり遊びました。
とはいえ、嫁さんの両親の実家に行ったのですが
状況説明が上手く出来ていなくて
少し気が引けました。
こんな時もあるよね。

へこたれずに頑張りますよ!

なんしかカッコいい大人になろう。

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