HSPの分類が多すぎる!【繊細さの本質を知るために必要なこと】
「○○型HSP」って本当に必要?
「HSP」「繊細さん」のことが徐々に知られてくるようになりました。
同時に増えてきたのが、HSPの派生表現。
Twitterのプロフィール欄などに「○○型HSP」と書いている人をよく見かけます。
「私はHSPである」「私は繊細な気質を持っている」と一口に言っても、何に敏感に反応するか、人と会うことが平気かどうかなど、それぞれ違いがあるからだそうです。
でも……。その分類、本当に必要でしょうか?
私は疑問に思えてなりません。
そこで、HSPの本質についてあらためて書いておく必要性を感じました。
そもそもHSPの定義とは?「ひといちばい敏感」であれば、HSP
この記事では、私のバイブルであり詳しい専門書。
エレイン・N・アーロン先生の著書「ひといちばい敏感な子」をもとに話を進めていきます。
そもそもHSPとは、「ひといちばい敏感な気質を持った人」の総称です。
そしてHSP専門カウンセラーの武田友紀先生が、親しみを込めて「繊細さん」という、日本的でやわらかい呼び名を広めました。
もともとは、「○○型HSP」というものは存在せず、「特に繊細な気質を持っているか」「そうではないか」という2つの観点しかなかったのです。
自分はHSPかどうか?
気になる方は、HSP関連の著書に載っている「HSP診断テスト」をやってみることをおすすめします。
個人的な感想ですが、「自分はHSPかもしれない……」と感じる人は、高確率でそうではないかと感じます。
何らかの生きづらさ、「違うな」という感覚を抱いているからこそHSPに興味を持つのであり、何かしら惹かれるものがあるのではと思うからです。
何に敏感かは、人によって違う
服の素材 (ちくちくしているのが嫌、タグが肌に当たるのが気になる)
食べ物の味や食感
大きな音
小さくても断続的に続く音 (自販機、冷蔵庫)
人がたくさんいるところ
派手な色使い
HSPの数だけ、何が気にかかってストレスを感じるかは違います。
また、気持ちを落ち着かせるためにひとりになる時間「ダウンタイム」の長さや頻度も、おそらく違います。
あるいは、ダウンタイムをとらなくても、ストレスを流せるスキルを身につけた人もいるかもしれません。
そのすべてのやり方が、HSPと呼ばれて良いのではないでしょうか。
外交的なHSPと、内向的なHSPがいる3つの理由
一口にHSPと言っても、「○○型」という派生語が生まれるように、HSPにはいくつかのタイプがあります。
それは確かなことです。
しかし、あえて「○○型」という言葉を使わずに表現すれば、HSPのバリエーションは2つにしか分けられないのではないでしょうか。
すなわち、外向型HSPと、内向型HSPです。
この違いは何によって生まれるのか?
前述の本を参考に紐解いてみましょう。
「ひといちばい敏感な子」の中に、「HSCにさまざまなタイプがある理由」というセクションが3つあります。
そこにはこのようなことが書かれています。
そしてさらに気質的な要素として、アレクサンダー・トマスとステラ・チェスという人物による、9つの気質というものが紹介されています。
ここから分かるのは、HSPにはさまざまなタイプがいることが当たり前だということです。
人の数だけ個性がありますから、HSPの中に「○○型」という派生をいくつ作ったところで、すべての人を完璧にカテゴライズすることなど不可能でしょう。
また理由2つ目の「冒険システム」については、第3章で「HNS」という概念が簡単に紹介されています。新規追求型と訳される言葉のようです。
9つの気質では「チャレンジ力」に相当するもので、新しいことに飛び込む特性をさします。
HSP、かつHNSという人もいるそうです。
そしてそれは以上なことではなく、HNS的特性があって活動的。けれど同時にHSPでもある。
そういう場合があることも否定されていません。
活動的だけど、繊細で1人になれる時間が必要である。
それは充分にありえることであり、わざわざ「○○型」と分類することもないことなのです。
本当に大切なのは、生きやすい生き方を見つけること
HSPとトラウマの関係
他のHSPの方の考えに触れる折、同時に「毒親」「トラウマ」について語られる機会が多いように感じます。
私も自分の気質と子ども時代のトラウマが密接にかかわっていると感じています。
なぜ、HSPはトラウマを抱え込んでしまうのでしょうか。
理由が2つあると思います。
繊細な気質により、周りの「嫌なもの」をたくさん感じ取ってしまった
親がHSPへの適切な接し方を心得ていなかった
周りの「嫌なもの」をたくさん感じ取ってしまった
HSPと非HSPでは、物事を捉える心の深さが違います。
厳しく叱責されても反抗したり、それほど精神的ダメージを負わない子どもがいる一方で、周りの人の怒りを正面からとらえて共感し、自分のことのように落ち込んでしまう人もいます。
ひとえに、HSPの気質の影響で、トラウマを抱えてしまうのではないでしょうか。
非HSPなら気づかなかったようなこと、簡単に受け流せることが、流せなかった。
また過去にはHSPという概念がなかったし、繊細なことは「弱さ」「欠点」と結び付けられることが今以上に多かったと思います。
だからこそ「我慢しなくちゃ」「強くならなくちゃ」という思いこみが先行して、適切な対処法を覚えるのではなく、トラウマになりながらも頑張り続ける流れが生まれてしまったのでしょう。
親がHSPへの適切な接し方を心得ていなかった
ほとんどの親は、自分がされたような子育てを子どもにもします。
それが代々受け継がれていくのです。
どこかの時点で親がHSPではない場合、あるいは周りの価値観や目を恐れて厳しくしつけた場合。
そのしつけを受けたのがHSPだと、厳しいしつけがトラウマの一因になることが考えられます。
本来、HSPに厳しい叱責は逆効果です。
「いけないことをした」と気付いた時点で自責と反省の念が働くので、充分に自分で自分を叱っているからです。
その上さらに親から怒鳴られようものなら、「自分はとんでもなくいけないことをした」と感じ、すべての自信を失ってしまうかもしれません。
HSPには精神的に落ち着いた家庭環境が必要だと思われます。
(「ひといちばい敏感な子」の中には、「母親も自分のニーズを優先しましょう」「母親が働くのに罪悪感を持たなくてもいい」というセクションがあります。
「落ち着いた家庭環境」とは気持ちの問題であり、日本的な家父長制を踏襲した価値観を述べるものではありません)
日本では「子どもには厳しく言って聞かせる」「多少たたくのは良い」という古い価値観が踏襲されている上に、
自ら積極的に動かなければ、「正しい子育て」について学べる機会がありません。
また学校で習う性教育は非常にお粗末であり、健全な人間関係の築き方や結婚、子育てなどの本来重要なことは、自分で知っていかなければならないことです。
つまり、子どもに対する適切な接し方、子育ての方法を、ほとんどの人が知らずに足掻いているということです。
また、「子どもはこうでしょ」「こうするべき」という決めつけも強いため、子どもの個性に目を向ける余裕が生まれづらい環境も根付いてしまっています。
これらの絡み合った要因から、HSP的気質を持った人が息苦しさ、生きづらさ、トラウマを抱えることになるのではないでしょうか。
分類したがるのは日本人の癖かもしれない
また過度に概念を分類し、自分をどれかにあてはめたくなるのは、日本人の癖ではいかとも思います。
広くいわれるHSPの中の一部にだけあてはまったら「○○型HSP」。
そうでないタイプの人は「△△型HSP」。
細かく分類することで、「自分は少なくとも、これには当てはまる」という安心感や帰属意識を得たいのかもしれません。
ですが、分類に心血を注ぎ過ぎると本質を見失います。
大切なのは自分の気質を分類することではなく、自分が生きやすい生き方を見つけることではないでしょうか?
分類や種別の違いで新たな疎外や争いを生むより先に、「私はこういうことが気になりやすいから、対策を考えてみよう/誰かに聞いてみよう」と、自分なりの対処を模索していくことが重要だと考えます。
HSPが生きやすくなるために
「HSP」「繊細な気質を持った人」という概念が浸透しはじめていることで、HSP関連の書籍・動画・漫画が増え始めています。
また、各地でHSPが集まるおしゃべり会も開催されているようです。
(私はまだ勇気が出なくて参加していません)
個人的におすすめのHSP本を別の記事にまとめてありますので、もっと身軽な生き方・人生の歩き方を模索している方の参考になれば嬉しいです。
読んで下さり、ありがとうございました。
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