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過去が近くなる日
どうも。「無気力」です。
「過去が近くなる日」
疲労や体調などの事情によって、解離がひどくなる時がある。
そういう時は「パニック少年」が表に出てきて帰り方(他のパーツとの代わり方)が分からなくなったり、ひどいフラッシュバックが起こったりして、気持ちが落ち込んでしまいやすくなるのだ。
精神衛生によくないし、好きこのんでその状態にとどまっているわけではない。
抜け出し方が分からなくなるのだ。
Jessieは「過去が近くなる日」と表現したが、なかなか的を射ていると思う。
フラッシュバックは過去を再体験するということだから。何度も何度も。
これまで幾度もこの状態に翻弄されてきた僕たちと主だが、今回は新しい段階の対処法を見つけることができた。それをシェアしておきたい。
「今現在」にしがみつく
「過去が近くなる日」と表現されて、思いついたことがある。
解離とはつまり、今現在から離れようとすることだ。
現在進行中のストレスフルな状況をやり過ごすために始まったことなので、この捉え方は理にかなっているのではないかと思う。
確かに最初は、現在のストレスからの苦し紛れの脱却だった。
それが今は、意識を過去に囚われやすくして憂鬱の原因になってしまっている。
じゃあ、あえて逆をつけば良いんじゃないだろうか。
つまり、「今現在に集中しまくる(「繊細」談)」ということだ。
フラッシュバックのさなか、僕たちは現実的な感覚を失う。
身体感覚ごと「その時」を追体験するので、今座っている椅子、あるいは立っている床、手に持っているものの感触すべて薄れて消えていくのだ。
だから逆をやって、フラッシュバックから脱却することを試みた。
爪先までの身体感覚を意識した。
体を覆う服の感触を意識した。
手に持った鞄の持ち手を、足を包む靴と靴下の隙間を、踏み込んだ足を跳ね返す地面の感触を意識した。
だんだん心が戻ってきた。
これを「パニック少年」が彷徨い出しそうになるたびに、しつこいくらい何度もやった。
するとだんだん落ち着いてきて、ついに「パニック少年」は表を他のパーツに譲る方法を思い出して帰っていった。これでみんな安心だ。
いつのまにか拒否感が消えていた
明確な結果を得て、達成感に満ちながら気づいたことがある。
僕たちが思いつき、実行したこの方法には、すでに名前がつけられているのではなかっただろうか。
「マインドフルネス」という名前が。
僕たちは「マインドフルネス」が苦手だった。というか拒否感を持っていたのを思い出した。
トラウマケアの方法のひとつとして、「マインドフルネス」が取り上げられることがある。
理由は確か、ここまで書いてきたことと同じだった。
解離は現実感を失うことだから、マインドフルに現在を感じて落ち着きましょう、というような。
振り返れば、僕たちにはそれができなかったのだ。
「今現在」に集中しようとすると、ものすごい拒否感で、どうしてもできなかった。「パニック少年」が集中することを嫌がり押し返した。
解離を封じることは、地に足をつけることは、逃げ場を失うことと同義だと思っていたからだ。
もし、目の前でトラウマ的状況が発生したら? 深く傷つくようなことが起こったら。あるいは記憶を刺激されたら。
解離を封じられた僕たちは、一体どこへ逃げれば良いのだろう。(逃げ場を失ってしまう)
そんな考えを手放すことができないでいた。
だから一時期は、わざわざ「マインドフルネス以外の対処法」を探していたものだ。
回り回って、結局僕たちはマインドフルネス的対処法を見つけている。
でも悔しいとは思わない。
むしろ自分たちの成長を感じて満ち足りた気持ちになっている。
いろいろなことが変化して、「今現在」に集中していても安全だと感じられるようになったという意味だから。
心理的な安全基地はまだ狭い範囲かもしれないが、これから広げていけたり、拠点を増やしていけたらいいなと思う。
その一歩を踏み出せたんじゃないだろうか。
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