自己批判からいたわることへシフトする
「疲れたら休む」ができない理由
たくさん怒られて育ってきた人、批判や反対に接することが多かった人は、自己肯定感が低めに設定されていることが多い。
世界の捉え方に「よく怒られる」という要素が入ってしまっていて、よく怒ってきた他者の口調や観点が内在化されていて、自己批判を強めてしまうのだ。
「このくらいで疲れるなんて、自分は駄目な奴だ、貧弱だ」
「他の人はもっと頑張ってる、自分も頑張らないと」
「すぐイライラしてしまうなんて私は駄目だ」
「すぐ涙が溢れてくるなんて、私が弱いからだ」……。
そんなふうに原因を自分の「駄目さ、弱さ」に求め、自分に鞭打って頑張り続けようとしてしまう。
続けるうちに疲労の認識から自己批判に至る思考の速度はますます上がり、「疲れた」が「自分は駄目だ」にかき消されてどんどん分からなくなる。
実は、疲れた時は休んだ方がいい。
……などと書くと、「なにを当たり前な」と思われるだろうか。
だが事実、僕たちは少しまでまで疲れた時、素直に、批判なく休むことができていなかった。
少しずつやり方を身に着けて上手くいっているところなので、今回は自分の休ませ方と考え方のコツを紹介したい。
まず人との比較をやめよう
自己批判から脱出するために、まず人と比べることをやめよう。
そもそも疲労を認識しようとする上で、人と比べることには意味がない。
「他の人が頑張っていること」と「あなたが疲れを感じていること」のあいだには、なんの因果関係もないからだ。
単に相手にはあなたより体力があったり、その作業に対する心理的負担が軽いだけかもしれない。
あるいはじぶんより頑張っているように見えるだけで、本当は悩み事が気がかりで本調子ではなかったり、無理して頑張り続けているだけかもしれない。
自分より優れているように「見える」だけで、実際のところは分からない。
疲れは疲れ以上でも以下でもないのだ。
「自分は疲れている」
それは単なる感覚の状態であって、そこには本来「良い」も「悪い」もない。
疲れるのが「悪いこと」だと判断するのは人間であって、疲れそのものに悪いレッテルが貼られているわけではないのである。
感情の表出はたったひとつの原因で起きる
むしょうにイライラする日や、なぜか悲しくてたまらない日。
弱さ・駄目さを理由に感情を押し込めてしまう前に、もう少しその感情について考えてみよう。
僕は感情のコントロールが難しい理由は、たったひとつしかないことに気づいた。
それは疲れだ。
必要なだけの睡眠時間が取れなかった、昨日の大きすぎた疲れが残っている、いろいろ考えすぎて・感じすぎて心が疲れた。
ひとくちに「疲労」といってもその原因は様々で、どこからやってくるか分からない。
暗いニュースのみならず、心を大きく揺り動かされるような映画・マンガ・小説・ゲーム……そしてそこから考えをめぐらせたいろいろさえ精神的刺激になり、疲労を生じさせることがある。
神経がたかぶるから感情のふり幅も大きくなり、自分で抑えるのが難しいレベルに達することがあるのだ。
こういう時は、沸騰した感情という鍋に蓋をして抑え込もうとするよりも、まずは自分を落ちつかせること――火力を弱めることが大切である。
そもそも火力が強いから鍋がふきこぼれるのだから。
僕の場合、疲労の回復には睡眠やタスクのそぎ落としがいちばん効く。
疲れていることを素直に認め「今日は休む日にしよう」と思い切ってペースダウンするのだ。
ちなみに眠らずとも、体を横たえるだけで休養や気持ちの切り替えといった効果は得られる。
登山家の田部井淳子さんは、慣れない山小屋でも翌日の登山に備えて「体を横たえておくこと」を大切にしているそうだ。
もし「寝る」「横になる」時間と余裕が取れない時には、手軽なひといきつく方法として
「落ち着こう」と意識して何度か深呼吸
ひとくちでも良いから温かいものを飲む
ちょっと甘いものを食べる
頑張りのゴールをつくる(ここまでやったら絶対休む!)
なども効果がある。
深呼吸と温かい飲み物は、疲労と緊張でこわばった体を少しでもゆるめて適度に力を抜くため。
甘いものは脳に栄養を送ってもう少しだけ頑張るため。
ゴールを決めるのは、無理な頑張りを永遠に続けないためである。
ゴールは「今日の夜まで」でも「この作業が終わるまで」でも構わない。眠い・疲れている時は、時間を気にせず寝てしまおう。
会社によっては15から20分のお昼寝時間「パワーナップ」を取り入れているところもある。
ちょっとした休息はパフォーマンスを上げるからこその仕組みだろう。
ここで、休養を実行するにあたってのコツがある。
休むことに慣れていないと、「頑張ればできるのに、頑張らずに休む」ことに罪悪感を抱きがちだ。実行するには大いなる勇気と思い切りが必要になる。
その通り、思い切ってやってみよう。
何度かやってみれば、休息の後の方がパフォーマンスが上がることや、気分が落ち着いて過ごしやすくなることを体感的に理解できるようになってくる。
すると児童思考で「こんなにイライラするなんて、自分は……」と思った時も、「いや、経験的に分かるけどこれは疲れてるだけだ。少し休んだ方がいいな」と気づいて休みやすくなる。
ちょっと休むという寄り道をすることで良いパフォーマンスと良い機嫌を保てるなら、休むのも案外悪くないものだ。
疲労の認識と休養は、「うさぎとカメ」のカメなのである。
【かんたんワーク】思考の軌跡を追ってみよう
ここで、思いついた時にいつでもできる簡単なワークを紹介しておく。
「思考の軌跡を追う」というものだ。
人間は1日の6万回もの物事を思考していると言われている。
そのほとんどは脳味噌の自動運転であり、意識しなければ自分が何を考えているか分からない。
……のに、思考は自分自身に多大なる影響を及ぼす。
無意識のうちに流れる思考は無意識に過ぎず、そこに存在してはいる。
だから自分が知らないうちに思考から影響を受け、セルフイメージが形作られたりもするのだ。
折に触れて「自分は駄目だ」と考えていると、本当にそう思えてきてしまうように。
だから、自分がどんなことを考えているのかに自覚的でいられるようにしよう。
1日24時間、365日を目指さなくても構わない。
1日のふとした時にちょっと手と足を止めて
「今、私は何を考えていただろう?」と思考の糸を辿ってみるのだ。
例えば今「自分は弱いな」と思いついたとしたら。
立ち止まって(慣れてくれば動作を続けながら追えるようになる)考えてみる。
「どうしてここ(自分は弱いな)にたどり着いたんだろう?」
↓
「子どもの頃に悲しかったことを思い出していたんだ」
↓
「窓の外に見えるあの公園を見て、思い出した」
↓
「最初は子どもたちの歓声を楽しそうだと思っていたんだ」
↓
「さらにその前は、デスクワークに集中していて……」
思考の糸を追っていくと、自分の思考の飛躍・回顧・流れを把握することができるようになる。
フラッシュバックが起きると時間の流れを失ってしまい、悲しかった出来事の中にずっと前からい続けたような気持ちになることもあるが、思考の糸を追うとフラッシュバック的出来事の想起はほんの一瞬で、直前まではまったく別のことを考えていたことに気づけることもある。
これはフラッシュバックからの脱出にも効果があるかもしれない。
思考を追うのに慣れてくると、セルフイメージを作る「自動思考」に気づきやすくなれる。
思考は高速で流れているので、
「疲れてる。自分は駄目だ」が自動化されていると、ワンセットで流れていきやすい。
だが前述の通り疲れはただの状態で、自分が良いか駄目かの評価とは一切関係がない。
自動思考を捕まえて、その真偽を検証することで、ネガティブなセルフイメージに気づいて「でも、それって別の見方もできるんじゃない?」と軌道修正していくことができる。
このワークの良いところは、いつでもどこでもできることだと思っている。
特別な道具も部屋も要らないし、材料となる思考は1日中脳内を流れているのだから、なくなる心配もしなくていい。
散歩中、電車の中、ランチを飲みこんだ時など、ちょっと思い出した時にぜひ試してみて欲しい。
疲れるあなたは悪くない。批判→いたわるへ
最初の批判の言葉を振り返ってみよう。
「このくらいで疲れるなんて、自分は駄目な奴だ、貧弱だ」
「他の人はもっと頑張ってる、自分も頑張らないと」
→あなたが疲れている状態と、あなたが駄目で貧弱かどうかの間には因果関係がない。
感じているものを否定しても、疲れはなくならないのだ。
「すぐイライラしてしまうなんて私は駄目だ」
「すぐ涙が溢れてくるなんて、私が弱いからだ」
→強く感情が揺さぶられることには何らかの理由がある。
疲れているのかもしれないし、感動的な映画のことを、あるいは悲しかった過去の出来事を思い出しているのかもしれない。
感情を否定して無理矢理動き続ける前に、ほんの1分でもいいから自分を落ち着かせる時間を取ろう。
休むことは、悪いことではない。
昼間は活動しなければならないわけでも、生きているすべての時間を「やるべきこと」に充てなければならないわけでもない。
「頑張らなきゃ」と思っている人はたいていすでに頑張っている。とてもとても。
少しペースダウンして、自分自身に目を向ける瞬間を増やしても良いのではないだろうか。
直也
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