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夕飯の憂鬱から自由になるための30日【夕飯作らないチャレンジ総括】

こんにちは。亜麻ああさです。

1ヵ月間続けてきた「夕飯作らないチャレンジ」、今日が最終日の30日目です。

長かった。
それとも、短かった?

考えるたびに感じ方が変わります。

最終日ということで、この1ヵ月間で変わったこと、気づいたこと、これからも頑張っていきたいことを総括してみることにしました。

問い:人は本当に1ヵ月で変われるのか?

チャレンジを始めた時、私が課題として挙げていたことは2つ。

  • 時間、献立、自炊する/しない等々の面で、夕飯はもっと自由でいいことを体得する

  • パートナーさんがかけてくれた優しい言葉を、裏を探らずそのまま受け取れるようになる

そしてチャレンジが進んでいく中で見つかった新たな課題も追加。

  • 夕食後に虚脱しないこと

大まかに、以上の3つを目標にこの1ヵ月間やってきました。


チャレンジ2日目の記録記事にも書いたんですが。

人間て新しい行動を習慣として定着させるのに、21日くらいかかるそうです。

すぐに、パッと、一瞬で変われなくて当たり前。
21日間を最低限必要なラインだと捉えて、私にしては気長なペースで生きていけたらと思っています。

https://note.com/noel_story/n/n4081ac0e3ef2?magazine_key=m510e5dc88de5

このチャレンジは1ヵ月ということで30日間続き、その中で運命の21日目を通過した形になります。

課題報告1 夕飯はもっと自由でいい

ここからは、上に挙げた課題ごとに気づいたことや考えたことのまとめです。

「時間、献立、自炊する/しない等々の面で、夕飯はもっと自由でいいことを体得する」

これはチャレンジの中でメインとなる課題。


結果。
かなり身軽になることができました。

最近はほとんど白米を食べてません。パン派なので。

一昨日の夕飯はナチュラルにハムチーズトースト。理由はシンプルに「食べたかったから」。
「シンプル」と書くのは簡単だけれど、30日前の私はこのシンプルな感覚に従うことも難しかったわけで。

最初の頃は
「でも、夕飯は白米に合うものじゃないと」
「栄養が崩れるかも」
「誰か(記憶の中の親)に怒られる気がする」
根拠があるのかないのかも分からない、そんな理由が責め立ててきて、なかなか過去の習慣を変えることができずにいました。

身軽に「今日はトーストの気分かな」って食パンを取り出せる、小さくて大きな変化に驚かされます。

時間に関しても身軽になりました。
お腹が空いたら少し早めに食べたり、逆に遅めにしたり、食べなかったり。

習慣に流されるのではなく、自分の感覚に注意を向けて決めることができるようになってきました。


自炊する/しないはもう少し練習が必要だけど、だいぶ気楽になってきた手応えは感じています。

「今日は○○が食べたいから、作ろう」が自然にできるようになってきました。

以前は「そろそろ夕飯作らなきゃいけない時間だから、作業を切り上げてキッチン行かなきゃ」みたいな、強迫的な気持ちで料理していた日もあったので。

もともと料理は好きな方だし、せっかくやるなら楽しくやりたい。

手放しで楽しめる料理まで、もっと練習を重ねていきます。

課題報告2 パートナーさんはまっすぐな言葉を使う

下の記事にも書いたのですが、私は言葉の裏を考える癖がついてしまっていて。

その癖はトラウマに起因するものであり、他者からの優しい言葉をそのまま受け取ることが難しくなってしまっていたので、受け取り方を変えたいと思ってきました。

先日もパートナーさんからかけられた言葉でモヤモヤすることがあって。
でも同時に、その日は自分の成長を感じられる瞬間にもなりました。

モヤッとした感覚をしばらく抱えて眺めまわしていたら、急に「私が素直に受け取れてないだけじゃない?」と気づくことができたんです。
前はできなかったこと。


パートナーさんは「察して」待ちをしません。
思ったことは言葉の裏とか作らず言うし、自分の機嫌は自分で取れる人です。
仮に機嫌を悪くしている時も、私が慌てたり慰めたりしなくたっていつの間にか自力で機嫌を直してきます。

つまり、私があれこれ気を回す必要は(私が思うほど)ないということ。

気を遣って、言葉の裏を読んで、勝手に落ち込んだりしているのは、ひとえに私が抱えるトラウマと思考の癖によるものです。


そのことに気づいて、「ああ、言われた言葉の通りに受け取って良いんだ」と自分で気づくことができました。

それに気づくまでにかかる時間が、以前よりもずっと短縮されていました。これは快挙!

落ち込む時間が少なくて済むってことですから。


願わくは今後、モヤッとする瞬間そのものから無くしていけるといいなと思っています。

言葉の裏を読むって疲れます。本当はやらなくても良いことなのかもしれないですから。

これに関しては、すっきり解決した! という報告はできないけれど、進歩を感じることができました。

課題報告3 虚脱が減った

下の記事に詳しく書いたんですが、夕食後に虚脱感に襲われてなんにもできなくなっていました。

一気に力が抜けてしまうほど、「夕飯」という時間帯は緊張感のあるものだったんですね、昔。

で、チャレンジ期間中にこの虚脱感がどうなったのかというと。


頻度が減りました。


本当はこれも「なくなりました!」って言えれば綺麗だったんですけど……。なかなか根深いみたいで(;´∀`)

でもね、頻度が減っただけでもすごくありがたいし、私にとっては嬉しい変化なんです。

食後に自然とお皿を洗いはじめることができたり、お風呂に入る余裕があったり、するようになりました。

だらだらとYouTubeに吸われていた時間を取り戻しはじめています。(でも時間吸われるのも楽しいよね)


その日の体調、表に出ているパーツなどの事情でまだ虚脱する日もあるけれど、これまでよりずうっと少ないペースです。

今後も練習を続けてさらに頻度を下げていけるようにしていきたいです。

回答:人は1ヵ月で変わり始められる!

以上の振り返りを踏まえての結果。
ゆるやかにではありますが、私は変わることができました。

映画とアニメと小説の観過ぎで、劇的な変化を求めてしまいがちだけれど、私の身に起こる変化は21日以上かかるようなゆっくりしたもので。

けれども確かに、30日前の私(たち)とは違った自分でいられる感覚があります。


問い:人は本当に1ヵ月で変われるのか?

答え:変われました! または、変わりはじめることができました。


「夕飯は憂鬱」から「夕飯はまあまあ」に格上げした感じ。

変化それ自体は喜ばしいことだけれど、同時に少し寂しい気持ちにもなります。

そもそも夕飯という時間と行動にトラウマがなければ、私はこんなチャレンジをする必要もなかったわけですから。

これは「変化」ではありますが「進化」ではないと思っていて。
単に今まで我慢していたマイナスを、向き合ってプラスの方向に修正しはじめただけ。


フラッシュバックの要因は、まるで地雷原のように、日常生活のあちこちにまだたくさん埋まっています。

いつ踏み抜いてしまうか、また他人に踏まれるか分からない。

もしかしたらこの警戒は一生続くものなのかもしれません。


今回のチャレンジで、私たちは変わることができると実証されました。

マイナスをゼロへ、ゼロからプラスへの道のりは、他の人たちより遠回りでゆっくりかもしれないけれど。
私たちの心の平安のためには重要だと思います。

だからこれからも「これはどうにかしないと駄目だ」と思った時には、少しでも生きやすい方向への変化を求めていけたらと思いました。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

亜麻


画像はPixabayからお借りしています。

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