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小さな遠足【僕とパーツの人生紀行】
この間、僕たちはみんなで図書館に行った。
体はひとつしかなく、代表して歩いていたのは主だが、心の面では、僕たちはみんなで一緒に外出していた。
みんなで嬉々として出かける場所は図書館くらいではないだろうか。
「繊細」と「監理者」はカフェで読書や作業をするのが好きだが、「パニック少年」にとっては刺激でしかないから留守番を選ぶし、僕は部屋にこもって書いているのが主な役割みたいなものだから。
話を図書館に戻してみよう。
前のめりで、新しいもの好きな「翔」が、新着本の棚から2冊取った。
ライフスタイルエッセイを読みたがっていた「繊細」が、「住まいと暮らし」の棚から3冊取った。
僕は「子育て」の棚に行って、ピンときた分厚い本を1冊取った。(実際、2冊分のボリュームがある本だ)
さらに「監理者」が「ビジネス」の棚から3冊取った。
最後に文章の勉強をしたかった主が、たくさんの本の上に小説を1冊追加した。
貸出数の上限に達しそうなたくさんの本を抱えて、図書館を出る僕たちは満ち足りた気持ちになっていた。
今週も読む本がたくさんある。これで誰も退屈せずに過ごせるぞ、と。
以前の主は、自分が借りたジャンルに一貫性のない本の山を見て困惑していたものだった。
幼少期に「こっち」「やっぱりあっち」「でもやっぱりこっち」を繰り返し、コロコロ意見を変えては怒られた経験が記憶にこびりついているからだ。
主にとって気が変わりやすいこと、一貫性がないことは自分の欠点なのだ。
けれども「本」を読んでパーツたちという概念を知ったことで、この一貫性のなさは個性と見なせることが分かるようになり、逆にこの幅広さに自信さえ持てるように変わりつつある。
帰宅して借りた本を棚に並べると、みんなが満足した。
みんな読みたい本が違うので、しおりをいくつも用意して、日や時間によってあれを読み、これを読み……とつまみ食い的に読んでいくことになると思う。
この読み方も以前の主にとっては一貫性のなさを思い知らされる点だったが、今となっては誰もそんなことは思わない。
気がかりがあるとすれば、若干記憶を共有している僕たちが、行きつ戻りつ多読して、内容をきちんと理解していけるかどうかのものである。
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