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「バイト禁止」の校則は高校生の生きる力を奪っているのではないだろうか

バイト基本禁止の高校

私が通っていた高校では、全校生徒が何らかの部活動に所属することを定められていました。

放課後は部活にいそしむ必要があるため、アルバイトは禁止。

例外的に家庭の事情がある人はバイトを認められていましたが、学校から特別な許可をもらう必要があり、「放課後、部活をする」よりも「放課後、バイトをする」ことのハードルが異様に高く設定されていたのです。

当時の私は部活動に励んでおり、その制度について「そうなんだ」くらいの印象しかなかったのですが……。

今振り返ると、また違った感じ方をしている自分に気づきます。

もちろん、部活は楽しい。

けれどあの時間を、学校の「外」である社会と関わるアルバイトに費やしていたら、また違った楽しさと学びが得られたのではないか……と。

社会性のある友人の話

年の離れた友人は、自分の学生時代を振り返り「頑張ってお金を稼ぐ親を助けるために、とにかく早く働きたかった」と話していました。

彼女から聞く学生時代のバイトの話はどれも面白くて、とても豊かな体験をしていたことを感じさせます。

そんな彼女は、当時のアルバイトも含めると、軽く30年以上は何らかの形で「働いている」ことになるそう。すごい。

「自分で働き、お金を稼ぐ」ことが人生の習慣として身についており、特に苦も無く毎日職場に通っているそうです。

お局さんと合わなくて心身を壊した私とは、天と地ほどの差。

対する私は朝、決まった時間に起きるのが昔から苦手で、毎日同じ場所に通学/出勤するのが苦痛でなりません。

何がいいたいかというと、働くことに向いてない(笑)。

高校生の頃からビジネス書を読むことだけは好きだったのに、どうしてこうも働くことに苦手意識を持ってしまうのでしょうか。

気質の問題もあるとは思いながら、別の原因かもしれないことにも思いを馳せてしまいます。

「閉じられた」学校と「開かれた」社会

その原因として思い浮かんだのが、「バイト禁止」の校則でした。

「はたらく」ことには、多かれ少なかれ人との関わりという要素が絡んできます。

接客業を選べば、同僚・上司・お客さんなど。

オフィスワークを選んでも、上司と同僚はいるし、社外の人との打ち合わせに出席することもあるかもしれません。

「働くこと」の中で出会う人たちが、自分に対してどんな立場であれ、ひとつ共通点があります。

世代と個性が幅広いということです。

全員が同い年という方がむしろ珍しく、同僚・上司・お客さんその他人々の属性は様々。

同姓・異性・年齢・話し方・求めていることが、本当に多様。

関わる相手の多様なニーズを読み取ろうとするうちに、仕事に役立ついろいろな力が育つ感じがします。

それらすべてが、学校ではなかなか学べないことだと思うのです。


対する学校は、ある種「閉じられた」空間。

同じフロアにいるのは同い年の個性豊かな面々。

個性はあれど、同学年ともなれば噛み合う話は比較的容易に見つかるものです。

また、特に小・中では、「クラスのみんななかよく」が求められます。

社会に出たらむしろ「苦手な人と、いかに角を立てずに距離をおくか」のスキルが大事であって、「なかよく」することを過剰に求められる機会の方が珍しいくらい。

「仕事が上手く回れば、不仲だろうがオッケー」とすら言えそうです。

ちなみに、ゴールデンボンバーが「ビジネス仲良し」であり、本来はみんなクールだという話が好き。

毎日べったり、互いのことを知り尽くしているわけでなくても、仕事をすることは可能なのでしょう。

年齢の違う先輩や後輩が校内にいるにはいますが、みんなどう関わって良いか分からない空気が流れているというか。

学年の違う人々を特別な指示もなく教室に放置したら、わざわざ違う学年の人に声をかけにいく人の方が珍しいのではないでしょうか。

少なくとも私の経験では、そんな雰囲気でした。


学生から見ると世代の離れている「先生」も、視点を変えれば「閉じられた」空間の中にいる人たちと言えます。

教員免許を持っているということは、つまり大卒。

小・中・高・大と「教育機関」の中で過ごし、また教育業界に戻って来た人たちです。

そして公務員なので一般企業に比べれば給与水準が高く、夜遅くまで仕事に追われることが多くて大変です。

「個性豊かな先生たち」も、開かれた社会の中では狭いカテゴリーの一職業。

社会人でありながら、社会の代表者ではない。

それなのに、子どもにとっては「先生がなんでも知っていそうに見える」のは不思議な話です。


※私の卒業高校には、一般企業を経験した上で教員に転職してきた、もっと視野の広い先生もいたことを、名誉と尊敬のために書き添えておきます。


世代の偏りによる、なんとなくで済む意見や価値観のすり合わせ。

「みんななかよく」の幻想。

教育業界から出たことがない先生たち。

そういう「閉じられた」空間から、学生のうちに出る機会だったかもしれない「高校生バイト」。


もしも高校生のうちにアルバイトする機会を得ていたら、私の視野はどんな風に広がっていたんだろう?

実現しようもなかった可能性を想像したりしてしまいます。

【考察】真面目な人がうつになりやすい理由のひとつは

「うつは甘え」と言われた時代も移り変わりつつあります。

うつは真面目で、物事を正面からとらえる人がなりやすい病気と言われ始めているところ。

どうして、人はうつになってしまうのか?

私なりの考察は、「学校から出られないから」です。


学生時代の私は真面目であろうとしていました。

というか、そういう生き方が身についていて、他の生き方を受け容れられませんでした。狭かったんです。

先生からの覚えがめでたければ成績が上がり、成績が良ければオールオッケー。

そう思って、成績のために積極的に発言し、分からないことは聞きに行き、クラスメイトを注意したり……していました。

同い年の子たちに嫌われても良いから、先生にだけは気に入られていようと奮闘していたのです。

今思えば扱いにくい子どもだったと思います。あまりに申し訳なさすぎて、当時の知り合いには、先生も含めてとてもじゃないけど会えません。

そんな私の価値観には、「指示する立場の人に従い、高く評価してもらえるよう行動する」ことと「みんななかよく」が根付いていたと自覚しています。

それが、学校卒業後に仇になってきたのです。

上司からの感情的な叱責に委縮してトラウマになってしまったり、性格の合わないお局さんと「なかよく」なろうとして無理に近づきすぎ、結局自分をぶっ壊してしまう結果になりました。

失敗から学べることってもちろんあるけれど、私にとってこの失敗から受けたダメージは大きすぎる。

お局さん関連の出来事からは2年ほど経ちますが、今だに回復しきれていません。

だから考えずにはいられないのです。

もしも高校生の頃、アルバイトをしていたら。「開かれた社会」と、仕事を通して多少なりとも関わる機会を持てていたら。

私はもう少し役に立つ処世術を身に着けて、ここまで沈みこむこともなかったんじゃないか……。

もっと浅い心の傷で済んだんじゃないか……と。


世の中には、学生のうちに起業して大成功している人もいます。

けれど「学校が絶対、先生が正しい」を信じ切っていた「模範的に近い生徒」だったはずの私には、学校の外で学べることがあるなんて、そちらの方が生きることにとって重要だったなんて、思いもよらなかったのです。

「閉じられた世界」での正義が、その外ではまったく通用しなかった。

むしろ違うスキルの方が、生きていくためには大事だった。


部活は、もちろん楽しかった。あれも高校生の頃しかできない貴重でありがたい経験です。

同時に高校生のうちに、学校の外で働くという経験も、学校の授業と同じくらい多くの学びに溢れているのではないでしょうか。

「学校に行かなきゃ何も学べない」ような気がしてしまうこと自体、真実から遠ざかっているのでは……と思うのでした。



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