見出し画像

「謙遜」という名の戦略

過去の記事(自己評価の低さを分析してみた)でも書いたが、私は自分への評価がかなり低い

なので、「(私なんて)全然たいしたことないですよ」といった文言を使う場合は、9割は本音だ
 
残りの1割はというと、相手が無駄に自分への期待値を上げてしまうリスクへのヘッジだ。

自分を下げておくことで、蓋をあけたら「全然悪くないじゃん」と思ってもらえるよう仕向ける作戦だ。

人の心理としては、「私は何でもできます!」的な態度だと当然、じゃああれもこれもできるのね、と期待値が高騰する。輝かしい学歴の人が職場では「意外に使えない」みたいに言われるのも、そのような心理が起因しているのだろう。 

私は海外ドラマの「刑事コロンボ(Columbo)」が大好きで、DVDまで持っているのだが、このドラマの魅力は、一見冴えない刑事にみえるコロンボが、(たいてい)社会的地位がありインテリ層に属している犯人のアリバイを崩し、確実に追い詰めていく展開にある。

コロンボは、頭脳明晰にも見えず、刑事らしからぬ言動をとり、最初は相手(犯人)から見くびられている。人一倍努力家であるにもかかわらず、自身を「勉強不足」「無知」と謙遜することで、相手を油断させているのだ。視聴者は、そんなコロンボが犯人を追い詰める姿を痛快に感じ、魅了される。 

なにもそれはドラマの世界だけではない。アメリカの人気ドラマ『HEROES』(ヒーローズ)のヒロ・ナカムラ役を演じた日系人の俳優マシ・オカ(Masi Oka)さんは、子供時代にIQが180以上あると判定され、名門ブラウン大学を卒業。役者になる前は一流のエンジニアでもあった。いわゆる天才だ。 

かなりおぼろげな記憶ではあるが、アメリカ育ちの彼がどこかの雑誌で「謙遜することで、相手の期待値も下がり、その結果(期待以上に)評価される」といったような内容の発言をしていた。天才であるマシ・オカさんに対する期待値が下がることなんてあるのかな、とも思うが、彼レベルでもそのように感じるわけなので、凡人の私がその手を使わない手はない。

コロンボやマシ・オカさんといったすごい人たちを引き合いに出すのも、おこがましい気はするが、やはり「謙遜するということ」は、日本人が美徳とする文化というくくり以外に、戦略としても必要なのかな、と自己評価の低い私は、常々感じている。

https://x.com/ATF_TOKYO

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?