見出し画像

神社の社格で番付編成した!-解説 社格編-


ご挨拶

こんにちは!
前回は神社の社格で編成した番付表を発表しました。
今回はその番付の基準になった社格について解説したいと思います!


そもそも社格ってなあに?

これは読んで字の如く「神社の格」ですね。
神社をランク付するというと罰当り・非常識に思われるかもしれませんが、実は古代から近代までは朝廷や政府が神社を格付していたんです!古代の有力な神社とはその地域の豪族つまり有力者の氏神なので、高い社格を与えて優遇することが全国の統制に繋がりました。近代では維新政府が国民統制の為に全国の神社を利用しようとして神社制度が整備され、その中心のひとつに社格制度があったのです。
このように、時代ごとに社格を定める理由があったんですね!
とくに有名な社格として延喜式と近代社格制度があり、今回の番付編成でも重要視して参考にしました!


色々な社格

それでは以下に具体的な社格制度について解説します!

延喜式

平安時代に定められた全国規模の社格制度が、この延喜式です。
905年に醍醐天皇の命で律令の細則である延喜式の編纂が始まり、この延喜式の中で全国の神社の一覧表がまとめられました。これがいわゆる延喜式神名帳で、ここに記載された神社を式内社と呼び、朝廷が行う祈年祭で幣帛を受ける特別な扱いを受けていました。この式内社を当時の重要度等を勘案して大社・小社に格付したわけですね。さらに大社の中でも特に霊験あらたかな神様、すなわち名神を祀る神社を名神大社と呼んで最高の社格としました。
これにより延喜式では名神大社>大社>小社という序列が成立しています。
※もっと細かいことを言うと延喜式には官幣社と国幣社の区分があり、官幣大社のみが月次祭・新嘗祭(一部は相嘗祭も)で幣帛を受けました。

御朱印に「式内社」と墨書きする神社もあります。(千葉県の麻賀多神社より)
神社の由緒にも記載されていることが多いですね。(奈良県の大名持神社より)

近代社格制度

古代の延喜式に並ぶ社格制度が、この近代社格制度です。(一般的に旧社格といった場合はこの社格を指します。)
明治維新後、政府の神祇官が各地の重要神社の社勢や由緒を調査し、その結果に基づき皇室に縁深い重要神社を官幣社、地方の重要神社を国幣社と定めました。そして官幣社・国幣社のそれぞれを大社・中社・小社に格付し、
官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社
という官社の序列が成立しました。
また、各府藩県に式内社や国史見在社等の由緒・社勢等の調査を命じ、その結果に基づき府藩県社>郷社>村社という諸社の序列が成立しました。
1871年にこれらの序列をまとめた太政官布告が公布され、近代社格制度がスタートしたんですね。
この旧社格は今でも社号標にも残されているのが確認できますよ。
※当初は国幣大社・官幣小社はありませんでしたが後年定められました。他にも南朝方の皇族・人臣等を祀った神社を中心に別格官幣社があり、官幣小社と同じ待遇であつかわれました。靖国神社もここに列格していますね。また、廃藩置県によって全国の藩が消滅したので、藩社に指定された神社は実際には存在しませんでした。

社号標に「官幣中社」とあります。(岡山市の吉備津神社)
近代社格制度の廃止を受けて旧社格の部分を埋めている場合も。(大阪市の住吉大社)
こちらは戦後建立の社号標で「元」としていますね。(三重県の敢國神社)

一宮・総社

延喜式や近代社格制度は聞いたことが無くても、一宮という名称は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
これも古くからある社格で、令制国ごとに定められていました(令制国とは、武蔵国や摂津国といった古代の行政区分のことです)。各地の令制国の長官である国司が着任後、国司自らその国内の有力神社を巡拝するイベントがありました。これは有力な神社から順番に参拝しており、最初の神社を一宮、次の神社を二宮と呼んでこれがそのまま国内神社の序列となりました。これを一宮制と呼びます。
時代が下ると、国府の近くに総社という神社が出現するようになりました。これは国内の一宮・二宮等の神社をまとめて祀る神社で、総社を参拝すれば国内の神社を巡拝したことになるという、とてもインチキ効率的なシステムです。
これらの成立の経緯から一宮は文句無しに格式高い神社である一方、総社は必ずしも格式高い扱いを受けているわけではないようです。
※一宮制は朝廷が定めたわけではなく各国で決めていた為、国によっては一宮のみで二宮以下が無かったり、九宮まで決められていたりと内情はバラバラだったようです。また、一宮制はあくまでも国内のみで通用する序列ですので、今回の番付のような全国規模の比較には使いにくかったりします。ですので、今回の番付に際してはこの制度は考慮外としました。

相模国一宮の寒川神社
相模国総社の六所神社

二十二社

先に解説した延喜式の延長線上に登場するのがこの二十二社制です。
古代の朝廷は延喜式の式内社を中心に祈年祭等の祭祀を行っていましたが、律令制が衰退していくにしたがって徐々に簡略化していき、祭祀対象が特定の神社に集約されていきました。その完成形が畿内を中心とする22の神社を祭祀対象とする二十二社制です。
伊勢の神宮を筆頭に伏見稲荷大社や住吉大社に大神神社といった現在も有名な神社が名を連ねており、まさに最高の社格といえるでしょう。


勅祭社

全国の神社の中でも特に重要な神社の祭事には勅使が参向していました。そうした神社のことを勅祭社と呼びます。
古代には賀茂祭・石清水祭・春日祭が三勅祭とされていたことが知られ、現在では日本全国の16社が名を連ねています。


国史見在社

日本古代の歴史書である六国史に記載された神社を国史見在社といいます。
六国史とは以下の歴史書の総称です。
・日本書紀
・続日本紀
・日本後紀
・続日本後紀
・日本文徳天皇実録
・日本三代実録
「正史に記載されている=朝廷から認められていた」ということで、後世に一種の社格のように扱われました。


神階

延喜式成立前から朝廷は神社に位を授けており、これを神階といいます。
7世紀頃には神階の昇叙が行われていたことが日本書紀に記されており、その後も度々昇叙があったことが六国史に記されています。現在では多くの神社が最高位の正一位まで昇位しているため、今回の番付編成のような社格の比較には使いにくい制度ですが、古代時点の社格という見方で六国史終了時点の神階を参考にしました。
※伊勢の神宮は皇祖神であるため、日前神宮・國懸神宮は準皇祖神の扱いを受けていた為に別格扱いとされ、神階が叙されることはありませんでした。

社内に正一位の幟を立てている神社もあります。(岐阜県 洲原神社)
延喜式の社格同様、神社の由緒にも記載されていることがあります。(奈良県 大名持神社)

一代一度大神宝使の制

天皇が即位した後、朝廷から全国の神社に神宝を奉献していました。これを一代一度大神宝使の制、または一代一度大神宝奉献と呼びます。
選ばれた神社は畿内の有力神社、各国を代表する大社の他、特に皇室と関わりが深かったといわれる神社が名を連ねています。
厳密には社格ではありませんが、二十二社や一宮に列格した神社が多く、今回の番付編成では参考の一つとしました。

次回

今回はここまでです。
次回以降の記事で幕内入りした各神社について解説しますので、またご覧頂けますと幸いです!

#神社 #御朱印 #初詣  #御朱印巡り #一宮 #番付 #二十二社 #延喜式 #勅祭社 #延喜式神名帳 #社格 #初詣2024 #見立番付 #近代社格制度 #一代一度大神宝奉献 #神階


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?