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【鬱れぽ】リセットできるわけじゃないけど|#024

今回から有料設定変更。2021年11月9日まで無料公開。

2日間。風呂にも入らず、ごはんもそこそこに、ほぼ眠って過ごした。

起きている間はnoteかTwitterを見漁っては、自堕落なことばかり更新した。

自分が鬱状態の最中一番ヒドイパターンだ。

どうにか暴れずに過ごせたことは幸いだが、まだ気は抜けない。

下腹部に時折痛みも出てくるから、おそらく生理ももうすぐくるのだと思う。めんどくさい。

今日は祝日で、両親とも家にいた。

めんどくさい。

気を使い合って過ごさなければならない。

父は外の作業小屋の片付けをしていたようだが、そんなことより自室のタバコ臭さをなんとかしてほしい。

そして作業小屋の片付けをするなら、断捨離に力を入れてほしい。

無駄な期待。


母は気を使ってかどうなのか、昼過ぎには自室に籠もっていた。

リビングに誰もいない隙きを狙って、というのも変な話だが、

キッチンを占領して保存食を作った。

乳製品アレルギーになる前もなった後も、

市販されたものより自分で作ったもののほうが甘すぎなくて好きだ。

材料もシンプルだし。

今日は絞り出しクッキーを作った。

アイスボックスみたいに、2色のやつを作りたかったが、なんだか魔界のクッキーみたいな中途半端な色気になった。


これで一晩は下に降りずに自室だけで過ごせる。


2日ぶりのシャワーも浴びた。

髪の毛がめっちゃ抜けた。

多分50本くらい。

さとう式シャンプー法で、3回洗った。

ついでに風呂掃除もした。

二日間お世話になった寝間着も洗濯機様に洗っていただいた。

ドライヤーまでしてる間に洗濯機様は仕事を終えてくれて、洗濯物は部屋に干した。寝起きに乾燥がひどいから。


食事と入浴を、両親がいない間にすませた。

途中父親がリビングに戻ってきてテレビをつけたが、

「今はテレビを見たくないから部屋で見てもらえますか」とお願いして追い払った。


父も母も私に暴力を振るうわけではない。

モラルハラスメントっぽいことは多少あるが、基本的には愛してくれているんだろうな、と思う。


でも辛い時抱きしめるとか、肩を抱くとか、そういうスキンシップは1ミリもない。


仕事に行けないと泣きじゃくる私に、母がかけた言葉。

「そんなに泣くなら行かなきゃいいじゃん。やめなもう。」

「泣いたってしょうがないじゃん。」

「○時から出勤予定なんでしょ、電話しなよ先に、迷惑かかるでしょ」


別に間違ったことは一つも言っていない代わりに、

私の期待はひとつも満たされていない。


「そんなに泣くまでよく耐えたじゃん。頑張った頑張った。もういいよ。とりあえず今日は休みの連絡いれて、落ち着いたら事情説明しぃ。自分で伝えたほうがいいけど、しんどかったら私がしてもいいから。しんどかったね。」


そう言ってほしかった。


理想と現実はちがう。



今日の居留守(?)も、母なりに気を使ってのものだろうと思う。


でもなんか、なんかちがう。


けどそれはもしかしたら、私に対してではなく、自分を守るための行動なのかもしれない。


私の顔を見てもなんて言えばいいかわからないし、シャイな母からスキンシップなんかできるわけもない。


本当に昭和のソレだ。



やっぱり学生の頃、しっかりお願いして留学すればよかった。


なんでよく考えもせず、導かれるままに大学、それもなぜか国立の大学なんてものに行かせてもらえて、ろくに授業にだって出ていないのに、卒業までさせてもらったんだろう。

ある教授は、私を卒業させることに逡巡したという。


是非とも留年なりなんなりしてほしかった。


なんの運命なんだろう。



大学4年間、この学費があれば、十分に手に職をつけるような学校にも行けただろう。


私の人生に国立大学卒業してますって肩抱きは、重荷なだけだ。


「国立じゃないですかー!」とか言われたところで、教員免許だってとってなければ、胸を張れるような成績だって資格だってとっていない。


得たものは長野への愛だけだ。



中3くらいから思い始めた。


海外に行ってみたい。

冒険がしたい。

毎日何が起こるかわくわくして過ごしたい。


国際系の高校に行けば、在学中に留学を経験できたらしかった。

知っていたら行きたかった。


大学生になってからも留学欲はあった。

「語学習得の留学なんて意味ない。行くなら何か目的を持って行ったほうが良い。」

国際協力で何度も海外へ渡航している教授の言葉だった。

留学資金だってなかった。

そのためにバイトをしてお金を貯めるなんて行動もとらなかった。

それくらいの思いでしかなかった。

だから卒業してもそんな日はやってこないし、

今の今まで、留学しないままだ。


ちょっこしスタディーツアーなんてものに参加して、2〜3週間海外滞在したことが数回ある程度。身についた語学なんて2〜3語程度だ。それでなにができる。


#もしも叶うなら

愛猫と両親には悪いが、私は世界二周に行く。


誰かのためでも何かを成すためでもなんでもない。


ただ自分がそこに行って何を感じるのか、見てみたい。


学んでレポートして感じたことを綴るなんて大の得意だ。


カメラと動画編集が得意なパートナーがいれば完璧だ。


でもそれがなんになるんだろう。


世界を伝えて、何になるんだろう。


よく言うよね、ボランティアをするために世界まで行かなくても、助けて欲しい人は国内にだっているよ、って。


青年海外協力隊に参加したいと思っていたこともあったし、周りに経験者だってたくさんいる。


でもいつも頭の片隅に、私自身の疑問としてソレはたしかにあった。


わざわざ海外?

国内にだって鬱病の人や自殺者がごまんといるのに?


これはもしかしたら、スポーツでうまく例えられるかもしれない。


中学校の部活動でも、やろうと思えばいくらでも練習はできる。


でも、同じ人間同士だけの練習では、一定ラインまでしか到達しにくい。


仮に外部との親善試合なり、合同合宿なりをしてみれば、得られる刺激は段違いだろう。


国際ボランティアも、多分きっと同じ理屈。

スポーツの世界には確かに勝ち負けがあるけど、やってみればそこには勝ち負け以外の価値がある。過程がある。得るものがある。


国際ボランティアじゃなくとも、世界とのつながりとは、人という種が生き残るために、必須のものなのだと思う。


人という種。


自分が死にたいときに、私は人類の生き残りに想いを馳せているなんて、滑稽だ。



飯を食い体を洗い、少しだけリセットがかかった。


冷静さがほんの少し戻った。



それでもまだ思う、


疲れた。



もう疲れたよ。



あとどれだけこんなことを繰り返さなければならないのか。



#もしも叶うなら


死んで世界を2周する


こっちの方がよさそうだな


いや、でも死んでもお金は必要ですとか言われたら意味ないわ


死んでもなお、きっと私は同じように苦労する気がする


死んでも解決しないんだ


なぁ親友よ。


首吊は苦しかったかい?

死んだ後のそちらの世界はどうなってるんだい?


遺書におまえは幸せになれだなんて、無責任すぎやしないかい?


どうしてわざわざ私に遺書なんか書いてくれたんだい?


それくらい想ってくれていたなら、夢にでも出ててきて教えてくれよ。

人生の攻略法とかさ。


私には君を追う勇気がないよ・・・。


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