FIREBUG・newn 代表対談。事業アイデアはトレンドを追わず、自分の心が躍るかで判断
当社はエンタメの力で、スタートアップ企業のマーケティングをメインにさまざまなビジネスサポートを行ってきました。スタートアップ企業が直面する課題、FIREBUGだからこそ提案できるソリューションを、事業成長の後押しとなった事例を交えて紹介する対談企画「Startup STORY」。
第4回のゲストは、newn代表取締役の中川綾太郎さん。今回は中川さんが起業を志した理由、そしてnewnで実現したいことについて伺います。
「絶対に就職できない」と思い、起業の道へ
佐藤:中川さんはペロリ、newnの2社を立ち上げられた連続起業家(シリアルアントレプレナー)ですが、経営者としてのキャリアはいま何年目ですか?
中川:経営者の定義が何かによるかと思うんですけど、ちゃんと“会社の経営”というものをやり出したのは22〜23歳のタイミングですね。いま33歳なので、経営者としてのキャリアは約10年になります。
佐藤:なぜ、中川さんは経営者になろうと思ったんですか?
中川:正直に言うと、「自分は絶対に就職できない」と思ったことがきっかけです。学生時代、朝がめちゃくちゃ弱くて1限、2限の必修科目の単位が全然取れなかったんですよ。大学1年生の頃すでに「大学は卒業できないな」と思っていました。
とはいえ、上京してきて東京の大学に入ったのに、ただ漫然と日々を過ごしているだけはもったいない。「どうしたもんかな……?」と考えていたところ、行き着いたのが“起業”という道だったんです。
佐藤:一般的には堕落していく人が多いと思うのですが、そこで起業の道を選ぶのは面白いですね。もともと経営者になろうと思っていたんですか?
中川:父親が経営者だったことも多少影響していると思いますが、いざ経営者になった理由は“経営者になる”以外に自分のキャリアの選択肢がなかったから。経営者になりたくてなったというよりも、経営者になるしか働く方法がなかったんですよね。
佐藤:結果的に、経営者であれば誰でもなれるからなった?
中川:そうですね。経営者は誰でもなれるし、自分自身が興味のある事業領域を選ぶことができて、その上で成功した場合のリターンも大きい。個人的には「稼ぎたい」というよりも、自分のやりたいことを仕事にできることや、先の見えないリスクを取ることの方が魅力的だったんです。
自分の中で経営者にならない理由がひとつもなかったんですよね。
最初の起業で味わった「失敗」
佐藤:最初に会社を立ち上げたのは、いつ頃だったんですか?
中川:大学1〜2年生の頃だったと思います。当時、共同購入型クーポンサイト「グルーポン」が流行っていたので、そのイベント版のようなサービスを開発してみたんです。イメージとしては、チケット販売サイト「Eventbrite(イベントブライト)」が近いと思います。
Eventbriteは講演会、コンサート、パーティーなどを企画する主催者が、イベントの企画からプロモーション、チケットの販売までを一気通貫で管理できるというプラットフォームだったんです。ビジネスの仕組みも、イベントの主催者に対して「チケット1枚にあたりいくら」というように従量課金で手数料をとっていくモデルで面白いな、と。
それでサービスを開発してみたのですが、そのサービスは思うように軌道に乗らず、一緒に開発をしていたエンジニアが辞めてしまうタイミングで畳むことにしました。
佐藤:いまの多くの日本のスタートアップのサービスは海外の事例を見て、「こういうのイケるじゃん」と思って開発されてると思うのですが、基本的にはそういう発想なんですか?
中川:今は割と変わってきているのですが、昔は考えたアイデアが自分の中で腑に落ちるくらい分かりやすくないと進められなかったんですよね。例えば、イベント系のサービスはすごく分かりやすいじゃないですか。イベントチケットがあって、それを買う人がいて、人が集まらないと困る。イベントの構造と抱えている課題は分かりやすかったので、最初に「やってみよう」と着手できたんだと思います。
当時は、そういった分かりやすい領域に対して、インターネットの可能性を掛け合わせられるような文脈が面白いと思っていました。
あと、学生の頃は朝から晩まで1日200本くらいニュースを読んでました。当時、テクノロジーメディア「TechCrunch」の日本版が立ち上がったくらいのタイミングで、まだ翻訳記事の本数も少なかったので、英語の記事を自分で翻訳して読んでいて。そういうことも、海外の事例を参考にするきっかけになっていたと思います。
事業アイデアは「定量」よりも「定性」を大事に
佐藤:そういった記事を読んで、中川さんはどういったことを感じるんですか?
中川:海外のサービスなどを見て、そのサービスが「儲かりそう」「儲からなさそう」といった判断はひとつのフィルターではあるのですが、極論どっちでもいいんです。それよりも、さまざまなサービスを見て、実際にやるかどうかは自分の心が躍り、面白いと思えるかどうかが大事だと思っていて。
例えば、昔すごい開発してみたかったのはジャニーズのファンが推しを応援するために使ううちわが作れるアプリですね。このアプリはめっちゃ面白いなと思いましたし、今でもそういったものを作りたくなるときはあります。
佐藤:中川さんは意外と「定量」というよりも「定性」の人なんですね。
中川:だいぶ定性の人だと思います。それこそ、女性向けキュレーションメディア「MERY」を立ち上げる前に、最後まで比較検討していた事業アイデアはクラウドファンディングです。Kickstarterの日本版とか面白そうだな、と思っていたんです。
クラウドファンディングはインターネットの可能性が詰まっていると言いますか、誰がどう考えてもいいじゃないですか。クラウドファンディングが当たり前になる世界が実現できたら、めっちゃ心が躍る。そういうのは面白いと思いますね。あとは自分たちしかまだやっておらず、やるべき価値が自分の中で明確にあるものは良いなと思っています。
9ヶ月で空中分解した「アトコレ」
佐藤:イベント系のサービスを畳んだ後は、どういうキャリアを歩んでるんでしょうか?
中川:その後は修造(成田修造:クラウドワークス取締役副社長兼COO)とイシケン(石田健:ニュース解説者/The HEADLINE編集長)、そして自分と当時インターン生だった河合さん(河合真吾:stand.fm代表取締役 共同代表)で、アトコレを設立。500万円の資金調達を行い、アート作品の解説まとめサイトなどを手がける事業を展開していました。
ただ、一緒にやり始めて9ヶ月ほどで空中分解したんです。当時はサービスのユーザーもいないし、儲かる気配ないし、今みたいに資金調達の環境も整ってなかった。残念ながら長続きはせず、それぞれの道に進むことにしました。アトコレにはイシケンが残り、彼は1年ほど会社を休眠させた後、事業をピボットし成功させています。
その後に立ち上げた会社が、ペロリでした。そういう意味では、ひとりの経営者としてきちんとスタートを切ったのは、そのタイミングかもしれないですね。
MERY立ち上がりの要因は「トレンドを追わなかったこと」
佐藤:ペロリが立ち上げたMERYはすごく伸びている印象があるのですが、中川さんがこれまでに手がけられてきたサービスとは何が違ったんですか?
中川:事業トレンドを追っていなかったことが大きいと思います。当時、世の中はSmartNewsやGunosyが登場し始めるなど「ネイティブアプリ」が大きなトレンドになっていたのですが、創業当時の自分たちにはアプリを開発できるほどの力がなかった。かつ、キャッシュフローの関係で1年で黒字化を目指していたのもあり、アプリだとお金もかかりすぎるんです。
それで世の中のトレンドは追わず、ウェブから始めることにしました。みんながアプリをつくっていたタイミングで、自分たちは「時代はウェブだろ」と言って、ウェブサービスを開発していた。いま振り返ると、それが良かったのかなと思います。
佐藤:ペロリは立ち上げから何年後くらいにDeNAに売却したんですか?
中川:約2年くらいですかね。
佐藤:その中で一番楽しかったのはいつ頃ですか?
中川:楽しかった瞬間はないんですよね(笑)。当時、まずサービスが伸びているかどうかも分かってなくて、「なんか伸びてそうだ」くらいの感覚だったんです。
MERYは初日で6万PVくらい記録して、今はかなり良い数字だと分かるのですが、当時はたくさん人が来てるけど、これがどれくらい良いものなのか全然分かっていませんでした。また、いろんな人に相談しても、「これは上手くいかないからやめた方がいいよ」と言われていて、「やめた方がいいのかな」と思いながらずっとやっていました。伸びてそうだけど、伸びているかわからずにやっていたので、楽しかった瞬間はないんですよね。
会社を売却した後に感じた思い「何度も起業する必要はない」
佐藤:DeNAに売却したことで、働く環境が超スタートアップから大きな組織に変わったと思いますが、実際大きな組織に働いてみて、どうでしたか?
中川:人生で初めて守安さん(守安功:元ディー・エヌ・エー代表取締役社長兼CEO)と原田さん(原田明典:常務執行役員CSO)という2人の上司ができたことは貴重な経験でしたね。一緒に働かせてもらうことで、たくさんの学びがありました。
また、限りなく優秀な人たちが集まっているとされる環境で働く人たちと一緒に仕事をすることで、仕事の進め方などで勉強になりました。あとは世の中にはこんなに優秀な人たちがたくさんいるのか、と。DeNAってすごい会社だなと思いました。
佐藤:会社を売却した後の人生で何か変化はありましたか?
中川:自分にとって必要以上の資産は生きる上でどうでもよくて。それよりもどれだけ大きく、面白くて、自分がやりたいことをやれる環境を構築できるかが大事なんです。そういう意味で、またゼロから働く人を集めて、事業プランを考えるのは大変。会社を売却すると、それをまた0からやらなくてはいけなくなるので、1度でやりたいことがちゃんとできる土壌があるのであれば、何度も起業する必要はないと今は思ってます。
あと売却して良かったのは、自分の人間性に自信を持てたことです。会社を売却した後、いろんな人から「売却したら働かなくなる」「売却したら人が変わるよ」と言われたんですけど、売却の前後で生き方が何ひとつ変わってないんですよね。それで自分の人間性が好きになりました(笑)。
newn、FIREBUGを通じて実現したい「個人のエンパワーメント」
佐藤:newnはどんな会社にしていきたいんですか?
中川:自分の中で「newnはこういう会社」というのがまだ明確に定まってなくて。ただ、コンセプトとしては「ニューリテール」を掲げていて、一流のスキルを持ったクリエイターがブランドをつくりたいと思ったときに、それをサポートする装置のような役割を果たせればと思っています。
インターネットがなければできなかったモノづくりができるようになり、変化していくライフスタイルにあったブランドができて世の中がハッピーになる。そうなったら楽しいだろうな、という感じでやっています。
いまブランドは合計で6つ展開していますが、自分がやりたいことをやっているというよりかは、例えば、7月に発表したミラー型のフィットネスデバイス「embuddy(エンバディ)」はメンバーが開発したものです。「ミラー型のフィットネスデバイスをやってみたい」と言うので、「つくってきたらいいよ」と言ったら、本当にDIYでミラーをつくってきたんですよね。
そこから中国で部品などを調達して出来上がってますから、すごいなと思います。熱量が高い人に任せた方が基本的に上手くいくんですよね。
佐藤:最後に、FIREBUGの社外取締役に就任してくれた理由を教えてください。
中川:佐藤さんが面白い人だからです(笑)。昔から言っていることが変わっておらず、ずっと「これからクリエイターの定義が変わる。モノづくりしている人や経営者などもクリエイターと呼ぶ時代になるので、そういった人たちがクリエイターとして活動するときに今の芸能事務所に入るという選択以外にも何かソリューションがあるべき。そうすると世の中がもっと面白くなる」と言っていて。それがいいなと思っています。
newnも広義でのテーマは「個人のエンパワーメント」なんですよ。自分の中ではいろんな面白い才能がより活躍できる世の中にできたらと思っています。目指す方向性は同じだと思いましたし、その世界を目指す上で佐藤さんが得意な部分と自分が得意な部分は違っているので、そこが上手くハマると出来ることはたくさんあるのではないか。何か力になれることはありそうだと思ったので、FIREBUGの経営に参画しました。
今までエンタメ業界は違う畑のように扱われていましたが、今後いろんな領域と交わっていくようになる。そういうときに佐藤さんのような人や宮崎さん(宮崎聡:FIREBUG代表取締役CEO)みたいなバックグランドの異なる人たちと一緒にやれたら面白いことができるんじゃないかなと思っています。
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