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#25 デザインにおける他者と世界の理解について

僕はこれまでデザインの仕事をしてきた。
20代の時に素晴らしいデザイナーの方にゼロからデザインを教わり、それまでは研究一本槍で閉塞感に苛まれていた自分に新しい地平が開かれた。
デザインの実効性に魅了された。
同じ内容、同じものでも、想像的なものと象徴的なものの操作によってここまで異なる次元に昇華することができる。
しかし、それは決してデザインという操作手法によって可能になっているのではなく、むしろ人々がいかに誤解し、理解し得ないどうしようもない現実がそうさせているか、むしろ人々の世界に対する総力戦、あらゆる抵抗手段としてデザインというものも言語と同様に有効かを知ったに過ぎないと後々わかるようになってきた。哲学や詩がなし得ないことを軽々とデザインがやってのけていると一時期は誤解していた。その最初に出会ったデザインの師もそのことを多分わかっていたと断片的な記憶から推測できる。


他者が対峙する世界

それまで、哲学や詩や文学などの世界で僕は「不可能性」などを見つけては悦に入っている自分も含めた周りの言説がとても閉塞的で息苦しいと感じていた。
最初はデザインはそれを乗り越える実効性を持つ魔法のように思えた。しかし、2010年代中頃より世界的に広まった「デザイン」が単に経済合理性に関わる一要素として評価されはじめ、デザイン思考やらデザイン経営など色々な言葉が生まれては消えてくる目まぐるしさに、以前の閉塞感とは真逆の、どれもが可能である限り、どれも不可能で、その上誰もがそれを知りつつも信じたふりだけをして今年度だか、四半期だかをやり過ごそうとする界隈にうんざりとした。
それでも、自分などよりも何世代も上の、1970年代に雑誌の草創期をつくったデザイナーたちの言葉や考えなどに触れると、やはりデザインは死んでいないと信じることができた。
偶々だけれど、僕はVCから投資先の支援を求められることが多くなった。そのVCはやや特徴的で、研究者などを中心に投資する会社で、支援先となる企業もまだ研究者気質が抜けない、というか会社自体も研究室の空気感のあるような企業ばかりだった。
彼らの研究はどれも飛び抜けていて、素晴らしい破壊力を持ったものばかりだったが、投資を受けて事業会社となるとそれまでの研究室の空気ではやっていけない。人を雇い、投資家たちから、ステークホルダーから様々な要求や期待を投げ込まれ、それまで以上に研究などに打ち込む時間はなくなっている。研究を事業化させること、経営の視点をその軸にすることは本当に彼らにとって大学での事務作業などよりも一層プレッシャーのかかる事柄だった。
それでも、社会において課題とされることの解決のためには彼らの研究は多くの人々から期待されている。そのための人やお金が大きく動いている。研究者自身もそれを知りながら、唐突に事業という世界に放り投げられた、迷い込んでしまった戸惑いを隠すことができないでいる。多くの研究者が、自分に自信をなくしている様な状態に見えた。
僕は彼らとは全く異なる分野だけれど、やはり研究者を一時期は目指した経験からとても彼らに同情的になってしまいがちだった。それでもお金が動き、多くの人々がそこで会社員として雇われるというよりも、自らそれぞれが何らかの理由でもって代表者の研究者に期待をして入社して毎日を過ごしている。そうした組織がまずある程度地盤を固め、共通言語を持って事業そのものに専念できる様になることが当面の目標だと僕は感じた。
その時に、やはりデザインは必要になった。しかし、狭義のデザインがソリューションとして必要になる前に、その多くが「他者」をめぐる問題であり、このことを経営者たる研究者と合意する必要があった。経営能力、マーケティング力、人心掌握術や人材の確保という前に、特徴として研究というある一定の分野がある限り、そこへの人々の期待がどういうもので、さらに自分自身がこの研究自体にどう実感を持っているのかを言語化する必要があると感じることが多かった。

研究そのものにどういう価値を見出すか、あるいはコンテクストをデザインするか、別の言い方がよければ、どう社会にその研究の意義や可能性を説明するかをビジョンのデザインとしてやっていた時期もあった。しかし、それは結局はマーケティングをより高尚な言い方にしただけのことじゃないだろうか。大風呂敷を広げたようなコピーを自社のWebサイトに載せたり、CEOがNewspicksでドヤ顔で語っていたとしても、いつ吹っ飛ぶかわからないベンチャーに所属する社員たちからするとどれほど持続的な効果をもたらすだろうか。もちろん、そうした有名なメディアに露出することで誇りに思う社員もいるかもしれないが、僕に声をかけてくれて、打ち明けてくれる話はそういう社員に対してではない、別の社員に対しての不安だった。
リサーチとして社員たちにヒアリングを行った際などにも思ったが、結局は誰もが身近にいる人々、経営者や社員、ステークホルダーなどが「どういう世界と対峙しているか」に不安を覚えているんじゃないか。よく飲みにもいく、レファレンス採用ばかりなので互いに勝手知ってる、そんな身内同士でつくられた会社でも社員同士の不安は募っている。それは事業内容が云々というよりも、他者(CEOが、あるいは社員のあいつ)がどこを見て私にそう語りかけているのか分からないという不満や不安だった。
だからいくら互いを理解するための対話などをやっても、その場は温泉に入ったようにスッキリするけれど、すぐにまた同じような不安や不満が去来する。ワークショップデザイナーや、対話を重視する広義のデザイナーたちはあの手この手で相互の理解を確立しようと躍起になるが、僕はそこにデザインの限界を感じた。

世界の分有

他者を理解することの不可能性についてはもう古くから語られている。今更それを述べる必要はないことは僕にとって常識だった。しかし、ビジネスの世界にくると、いやビジネスの世界じゃなくとも、人と仕事をするときに必ず「もっとあの人のことを理解しよう」という話が出てくる。「理解」が足りないのだ、まだまだ足りない、自分に足りないというのならまだしも、相手にそれを求め始める帰結は病的なほどに大企業だろうがベンチャーだろうが同じシナリオだった。そしてそのための手法をコミュニケーションデザインやら、対話やらという手法であれやこれやと生み出しては売りつけ、時間だけを浪費するような「デザイン」が増えてきたのがコロナの前から兆していた(僕の周りでは)。
デザインとは他者への架け橋、ブリッジをかけることだと得意気に語る「デザイナー」。僕は彼らにかなりの違和感を持っていたが、それはエディトリアルデザイン出身の人々の妬みや嫉みとは違う。僕は元々がデザインを体系的に学んできた人間ではないので、両者ともに尊敬している。特に後者の方には憧れさえ抱いている。でも、この両者のいがみあいのどちらにも与したくはない。
それよりも、デザインの本当の力は他者との架け橋ではなく、世界との架け橋を提供することだと思っている。もっと言えば、他者の対峙する世界への架け橋を提供する技術がデザインだ、と。

鎌田慧『自動車絶望工場』からの一節。

電気工場の女子労働者に会ったとき、かの女は、「ベルトコンベアは見ているのと、実際仕事をしているのではスピードがちがう」といった。この言葉はぼくを強く打った。

(鎌田 1983:283)

ラインの作業をしている「かの女」を理解しようとしても、出身や高校、給与や休日の過ごし方、好きなNetflixの番組、親は何歳ぐらいで、よく使うSNSなどを聞いたとしても「かの女」の労働の内実は見えてこない。もちろん、この発言を聞き出すのに「対話」が必要になるかもしれないが、それはインタラクティブであることや心理的安全性やらウェルビーイングを考慮した何たらは本当に必要だろうか。それよりも、やはり我々は端的にリサーチ、調査という従来の手法で十分ではないだろうか。「他者理解」を考えた途端に、あれでもない、これでもないとアプローチを厳選する神経症的プロセスが始まる。そうではなく、「他者の対峙する世界」こそ私たちは触れるべきものではないだろうか。その人を理解しようとしても、私たちも同様の人である限りは必ず限界を迎え、「経験不足だからミスが多い」⇨「経験をもっと積ませよう、あるいはもっと丁寧な研修を受けさせよう」など勝手なラベリングの上に独りよがりの解決策を押し付けてはまた再び「これでもダメならあいつはもうどうしようもない」などと失望している。
その人がどのように物事を捉えているか、その捉え方を知るだけで他者への不安や不満は十分に解消されるはずだ。人が人を理解する限りでのみ、他者を許容するなんていうことがあるならそれこそ地獄だ。「人のものごとの捉え方」が「対峙する世界」を窺い知ることができる。
先の引用で知る世界とは、「ベルトコンベアのスピード」によってかの女が振り回されること、それは身体の出来事であること。疎外は身体のレベルで起きていることであると、かの女の世界を分有することができる。しかし、これは言葉で描かれたことに過ぎない。他者の対峙する世界を開示する言語は、往々にして余りにも具体的なので、コンテクストが強固だ。その時にこそ、言語と現実を固く結ぶ見えない結節点としてのコンテクスト、文化などをいっとき解し、別のいくつかの仮留めで言語と現実を宙吊りにする技術こそがデザインではないだろうか。その時に、その人やその民族、社会、あるいは国などが対峙する世界を、「他者」である我々に提示してくれる。そうした作品、デザイン、プロダクトに出会う時、私たちは自分も一つの他者なのだといつもうっすらと感じながらそれらを眺めている。

他者と分有できる世界をさぐることは人類学や哲学、社会学にしかできない。しかし、調査者、探究者としての我々が出会った他者の対峙する世界を、改めてまた第三者と分有しようとする際にはデザインという技術が必要だ。世界を分有することは、言語だけではなし得るものではないのだから。

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