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昔も今も

「あそこは幽霊が出ますよ‼️」

山羊ミルクのアイスクリーム屋「メーメー  関ヶ原牧場店」の店員は真顔で教えてくれた。

沢尻エリカ似の客は「別に。心配していないわ」と短く答えるとアイスを受け取り。寒いテラス席でアイスを食べ始めた。それは秋が過ぎ去り、真冬の寒い日の事だった。

沢尻エリカ似の女の名前は吉永あすか。グレーのビジネススーツにヒールの低いパンプスを履いた観光目的にしては不思議な格好をした女だった。

吉永はアイスを食べ終わると小早川秀秋が本陣を構えた松尾山の方へとゆっくりと歩き出した。

小早川秀秋は西軍から東軍に寝返った武将で松尾山は歴史好きがよく行く場所である。

松尾山の周辺の畑は雪が積もり、民家もほとんど無い、とても寂しいところだった。更に麓から頂上までは約40分掛かる。雪山に登るのにビジネススーツにパンプスはやはりおかしい。

しかし、吉永はそんな事は気にした様子もなく松尾山の入り口にたどり着いた。

松尾山の入り口には脇坂康治本陣跡の小さな石碑があり、吉永の目の前では身長約150センチ位の筋肉質の老人が布で石碑を一生懸命に磨いていた。

老人は真冬日に素手に水に濡らした布で石碑を磨いている。

吉永は老人に対して「真冬日に素手で水仕事をして大変ね」と声を掛けた。乾いた冷たい北風のようないつも通りのしゃべり方だった。

老人は「脇坂康治はマイナーな武将だからわしが掃除しなければすぐに汚れて字が読めなくなるのじゃ」と無愛想に答えた。その声は剣道や柔道のような武道を嗜む人間共通の野太い声だった。

吉永は老人の手元を冷めた眼で見ながら次の言葉を探しているようだった。

すこし間を空けてから次の言葉を吐き出した。

「ねえ、あなたはここで脇坂康治の幽霊に会ったことはある?」

「無いね!」と老人はぶっきらぼうに答えた。当たり前としか説明しようがない。幽霊に会ったことを科学的に証明出来る人物は未だに居ないのだから、会った事があっても正直に「会ったことがある」とは初対面の女に言える訳がない。

吉永はやはり冷めた口調で老人に頼み事をした。

「もし、脇坂康治の幽霊に会ったら、この手紙を渡して欲しいの」

老人は面倒くさそうに腰に着けた手拭いで手を拭くと吉永から手紙を受け取った。老人の手は赤切れひとつなく、とても真冬に水仕事をしている手とは思えなかった。

吉永は手紙を渡すとその場を離れた。老人は吉永の背中を見ながら既視感を覚えた。

「あの女に遠い昔にどこかで会ったことがある。しかし、何処だったか全く思い出せない」

吉永は石碑から少し離れた場所から急に振り返り老人にゆっくりとした口調で語り掛けた。

「真冬に水仕事をしていれば赤切れが出来るのが当たり前のこと。詰めが甘いですよ康治」

老人は少しずつ遠ざかる女の背中を見ながら、高原の湧き水のような冷たい汗が全身に流れるのを感じた。そして、全てを思い出した。

「あれは豊臣秀頼様の母君の茶々様に違いない。脇坂康治の幽霊であるわしがここにいるのじゃ、心臓が止まり、温かい血が流れていない茶々様がここに居てもおかしくはない。」

老人はそこまで考えると震える手で鞄の中からタバコを取り出し、火を点けた。

「わしは約400年前に死んだ後になぜかこの世に地縛霊として残った。その後は変身の術で老人や若者に化けて悠々自適な生活を送ってきた。貴婦人に化けて鹿鳴館で社交界にデビューしたこともある。茶々様はわしの変身の詰めの甘さを指摘したのじゃ。」

老人は震える手でタバコをハイペースで吸い続ける。

「わしは生前、家臣に切腹を命じる君主と個性的な家臣に板挟みになっていた。隠居中も色々とあった。しかし、幽霊になってからは悠々自適な死後の生活を送ってきた。この手紙のせいで400年間の気楽な暮らしを終わらせたくはない。しかし、もし茶々様のバックに織田信長公の幽霊が居たときに、わしがこの手紙を無視すればわしはどうなる?わしは磔刑にされるかもしれん。」

そこまで考えて老人はタバコの火を携帯灰皿で揉み消した。

「今のわしは心臓は止まり、温かい血が一滴も流れていない。一度死んだお陰で他人の痛みはよく分かるが自分の痛みは全く分からん。磔刑にされても大丈夫か?いや、あの信長公は磔刑以上のことをするか?磔刑かそれ以上か?問題はそこだ!」

老人は財布の中から百円玉を取り出し、コイントスで決めることにした。

老人は約72年生きて、約400年死んでいる。サッカーはもちろん知っている。元ブラジル代表のペレはユース時代から知っていた。

老人はコインを目と同じ高さに投げ、それが自分の手の甲の上に落ちた。そこで老人の運命は決まった。

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