「クレジットカードが出たころ」
わたしが、大学生の頃は、まだクレジットカードは普及していなかった。
クレジットカードの種類は少なく、大手銀行の発行するクレカのVISAと
MASTERが少しづつ普及していったと思う。
当時は、JCBはサラ金扱いだった。つまり、よく分からない金融の会社でそこのクレカをもっていることは恥ずかしいことであった。
わたしの父は、その頃、厚生省技官としての医師を辞め、開業医になっていた。大手銀行で最高のカードであるVISAゴールドをもっていた。まだ、プラチナカードやブラックカードはなく、ゴールドが一番であった。
父が、家族全員に気前よく家族員カードを作ってくれた。
その他に、わたしは、書籍をよく購入するので割引になる「紀伊国屋DCカードのVISA MASTER」を取得した。仕事は、いいかげんなもので父の病院で医療事務をしていることにした。
当時は、まだ、パソコン、ネットのない時代である。ワープロさえなかった。すべては、郵便局である。1枚カードを申し込むと手続きに約一か月間かかった。
また、自分名義の銀行のクレカが欲しく、作ってもらいに行くと、先生の所のご子息様ですね、と言われ、父の稼ぎが大きかったので、無審査であった。
当時は、それと同時に、クレジットカードが普及していないものだから、クレカ決済にすると決済きを知っている人が少なかった。お店のクレカの伝票までもらったことがある。また、署名をすると何か問題があると困るので、電話番号を記載してくださいとよく言われたものだ。
その頃は、ワープロもないしネットもない。メールもない。
携帯電話さえない。
カードの申し込みは、ネットではできない。
電話してクレジットカード申し込みの用紙を送ってもらう。
手書きで、そこに必要な個人情報を書く。
まだ、カードが普及した頃なので、本人確認は簡単だった。
運転免許証か保険証のコピーでよかった。
それと引き落としになる銀行口座を書き、間違えないように銀行員を押すことである。
わたしは、対して使いはしないのにクレカのコレクターになっていた。
アメックスを申し込んだときに審査に落ちた。
沢山のクレカを申し込んでいたので、多重申し込みブラックになっていたのかもしれない。
アメックスに電話し、正直にクレカコレクションであり、個人情報を見れば分かるように大したものは購入していないので、分かっていただけますか?と言った。係員は苦笑しながらアメックスのカードを発行してくれた。
このくレカとは長い付き合いとなり、現在、プラチナになった。
VISA MASTER AMEX JCBと各社が揃った。
そこで欲を出し、さらにクレカコレクションを増やすために、セゾンカードと丸井のカードを送った。
簡単な審査のカードなのに落ちた。
納得がいかないわたしは、勤務していた国立国会図書館資料部調査課の収入証明を出した。立場も国家公務員である。
またしても、その2社は落ちた。
友人にその話をすると、会社員専用のカードじゃないかな、と言われ、そうかもしれないということで、無視している。
当時の審査で一番大切なのは、職場へ本当にそこで働いているかどうかの本人確認電話が入ることである。その電話に出ないと審査は終わらない。
ハラハラ、ドキドキと緊張したものだ。
現在は、年会費がかかるので二枚だけ残し後は解約をした。
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