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定年制と平均寿命の乖離に考える

日本における定年制度は、明治時代の後期に一部の大企業で始まったものです。1902年に定められた日本郵船の就業規則には、55歳定年制が明記されているそうです。この時代の男性の平均寿命は43歳です。ただし、当時は新生児の死亡率がまだ高い時代であり、それを補正すると50歳程度になるようです。それでも、平均寿命よりも定年の方が後に来ていた時代なのです。文字通りの「終身雇用」が実現できていた時代です。  
平均寿命はその後、大幅に長くなります。これに対応するために、1986年には60歳定年が努力義務化され、1998年には 義務化に至っています。その後、2013年には65歳までの継続雇用が義務化されます。さらに、2021年には70歳までの就業機会の確保が努力義務化されました。この「就業機会の確保」とは、企業での直接的な雇用を求めるものではなく、企業外を含めて就業を確保できように努力することを義務化するものです。ただし、課せられているのは「努力義務」ですから、これに対応している企業は今の時点ではけして多くはありません。いずれにしても、明治時代から平均寿命は30歳以上も延びているにも関わらず、定年年齢は10年しか延びていない現実があります。  
よく使う手ですが、マンガのサザエさん一家の例を取り上げて考えてみましよう。サザエさんのもともとの舞台は1950年頃だといいます。当時の定年年齢は55歳、男性の平均寿命は58歳でした。波平さんの年齢設定は54歳だそうです。定年まであとわずか、そして平均余命もあとわずか4年という存在です。カツオは11歳ですから、波平さんはカツオの高校の入学式に参列できるのかどうかが微妙なところです。  
その後、1961年に国民年金法が施行され、国民皆年金が実現されました。当時の社会保障制度の設計思想 は、「定年まではしっかりと働いて稼いで納税して欲しい。そうすれば、定年後は社会保障制度のなかで国が面倒をみるからね」というものだったと推察できます。定年制度と社会保障制度がしっかりとリンクして、国民の生活を保障していた時代です。  
時は流れました。2023年の平均寿命は 男性81.05年、女性87.09 年になっています。当時の社会保障制度の設計思想を堅持するのであれば、定年年齢は80歳になってもおかしくないのです。しかし、さすがにそれでは産業界がもたないとの判断からか、現時点でも65歳にとどまっています。ここに15年ものギャップが生まれています。こう考えてみると、日本のもともとの社会保障制度の考え方は、すでに綻びを見せているどころか、完全に破綻しているといっていいでしょう。この事態を補完するために、国はNISAやiDeCoのような 税制優遇措置を打ち出しています。これは、社会保障の代わりに国民の自助を拡大してもらうことを税制の面で後押ししようという戦略です。  
キャリアの発達を研究した理論の多くは、1950~1970年代にその礎ができています。しかし、いまや時代はこれらの理論で検証してきた研究成果を超えるところまできてしまいました。当時の前提を超える長寿を私たちは獲得したのです。そこにはさまざまな新たな問題が生じてくることは間違いありません。
働くというのは、生活のための金銭的収入を得るため だけの行為ではありません。社会とつながる、居場所をつくる、自分らしさを発揮する、自分が役に立っているという感覚を得るといった、かけがえのない行為でもあるのです。そして、それらを獲得するためにも、金銭的な安定もまた必要です。学術的理論というのは過去のお手本を理解してそれを上手に活かすことで意味をも ちます。しかし、私達の平均寿命は過去にはない水準に達しました。長期化する老年期の問題は、この時代に生きる私たちが、自分たちの頭で必死に考えて立ち向かうしかない、真新しい問題なのです。


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