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邪推してもキリがない

「自分が今朝何をしているのか?」「自分が昨日の昼間は何していたのか?」などの疑問は、自分が実際に体験していたことだからすぐに分かる。
詳細までは覚えていなくても、ある程度の記憶は残っているから、よほどのことがない限り自分のことを疑うなんてしない。
しかし、自分ではない恋人や友達などが「いつどこで何をしていたのか?」などの疑問は、自分がその恋人や友人と一緒に過ごしていない限り把握できないから疑う余地が生まれる。
SNSの投稿やストーリーで自らの行動を頻繁に発信している人であれば、ある程度のことは把握できるかもしれないけれど、それはあくまでもその人が体験したほんの一部の瞬間に過ぎない。
だから、「どんなことを何時にしていたのか?」「誰といたのか?」などの情報を完璧に把握することはできない。
そこまで相手の情報を詳細に知りたいと思っている人は、ほとんどいないとは思うが。
恋人や友人、同僚などの仕事仲間の行動はほとんど把握できない以上、相手に対して疑いの目を向けていたら、いくらでも邪推できてしまう。それがどれだけバカげた疑いでも。


友人、恋人、家族、同僚、上司、後輩。誰にとっても親密で仲のいい間柄の人がいると思う。
その親密で仲のいい間柄の人に対しては、そうではない知り合いや他人よりも大きな信頼や好意を抱いている人が多い。
その人の言ったことなら、ほとんど疑う余地もなく信用できるから聞き流すように信じることができるけれど、そんな間柄の相手であっても時には嘘をついたり言葉を濁されることがある。
その反対に、自分も相手に対して言いづらいことを濁して伝えたり、嘘をついたことがあると思う。
そして、この2つの事実を踏まえた上で、邪推を始めると誰の言っていることも信用できなくなってしまう。
大抵の場合、相手に対してそこまで邪推することはないだろうが、場合によっては相手を邪推して勝手にネガティブな感情になったり、疑ってしまう時があるだろう。

「恋人が仕事だと言って出掛けて行ったけど、本当は浮気じゃないのか?」「友人を飲み会に誘ったら断られたけど、本当は僕を避けていないか?」

疑えば疑うほどに邪推は展開していき、心の中で勝手に深刻化させていく。
そして最終的には、無益な邪推によって自分の心を深く傷つけて立ち直れなくなり、ひどい人間不信に繋がってしまう。
こういった邪推や不安は、ほとんどの場合、自分のメンタルの弱さが原因だ。
自分にひどく自信がないから、自分と付き合ってくれる人間に対して「なんで自分なんかと接してくれるのだろう?もっと良い人がいるはずなのに。」と、ネガティブに考えてしまう。
しかし、実際には付き合い続ける価値が少なからず存在しているから、周りの人は付き合い続けてくれるだけで、それ以上もそれ以下でもない。
営利的な関係でも、恋愛的な関係でも、友情的な関係でも、それは同じ。
もちろん、時には人に裏切られて落ち込んでしまうこともあるかもしれないけれど、それはどんな魅力的な人間であっても経験したことがあるから、「ついてなかった。」「見る目が無かった。」と思って、気楽に次に進もう。


人間関係を築いたり保ったりする上で、お互いの信頼は必要不可欠な要因だ。
どちらか、もしくはお互いが相手を疑っている状態では、良好な関係になることはあり得ず、近いうちに人間関係が崩壊してしまう。
また、必要以上に相手を疑う行為は、無意識に相手を傷つけてしまう可能性がある。
特に、相手は自分のことを信用しているのに、自分は相手のことを疑っている状態では、起きやすい。
そんな状態で関係を続けるのであれば、さっさと関係を断ち切った方がお互いにとって最も得策だ。
また、信用している相手や信用したい相手に対しては、邪推せずにある程度純粋な気持ちで接することが最適だと思う。

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