これだけは言わせて!まだ『ワイルド・スピード』を観てない人に伝えたい6つのこと...
最近の映画では、目に見える敵対構造でいわゆるヴィランと呼ばれる悪役が描かれることが滅多に無くなった。代わりに世界恐慌や疫病、インターネット上の匿名・不特定多数みたいな現代社会における恐怖や悪の根源的なものを比喩的に人間の形に落とし込んで表現された悪の組織や、それら目に見えない敵と格闘する主人公を取り扱う作品が増えた。
ヴィン・ディーゼル主演『ワイルド・スピード(Fast and Furious)』は、2001年から続くファストサーガ・シリーズで、分かりやすく主人公グループと対立する様々な敵役と壮絶なカーアクションを繰り広げてきた。8月6日公開された映画『ワイルド・スピード/ジェットブレイク(FAST & FURIOUS 9: THE FAST SAGA)』も、その基本的構造は変わらない。
1. 本来のワイスピの面白さ
思い返すとワイルドスピードは、ストリートレースの荒々しいぶつかり合いとアングラな生活が舞台である映画であった。しかしいつの間にかそれは、恐竜映画やヒーローもので用いられるようなSFX(撮影特効技術)やVFX(映像視覚技術)が盛り沢山の、スパイ・アクション・アドベンチャー映画となった。F9と呼ばれるワイルドスピード9作目の本作は、20年にも及ぶシリーズの最頂点、しかしながら最大のスケールで描く映画の世界観よりも、ワイスピ・シリーズは、消費的な映画業界のニーズにおわれ、いかにド派手なビジュアルや視覚的技術を組み込むかということが重要視されることになった。人気作であるがゆえに、作品としての需要とその作品のあり方を正当化しようとするあまり、終わりの見えないビジュアルエフェクトへの追求というスパイラルから完全に抜け出せないところまで、両足を突っ込んでしまったというのが今作『ワイルド・スピード / ジェットブレイク』を観終わった素直な感想。
マーベル映画がスーパーヒューマン形式の作品基盤でシリーズを続けてきた一方で、『ワイルド・スピード』はプロタゴニスト(主要人物)らを、あくまでも現実離れした運転技術と度胸をもつ“人間”として描いてきた。
このことから明確に分かることは、制作過程において最も重要なプロットになっているのが、いかにこれらのヒーロー達を様々なシチュエーションに遭遇させるかという“枠組み”システムで、その中身はたいてい登場人物が過度な事故で大怪我を負ってしまうようなシーンが繰り返し、見るものを飽きさせないように詰め込まれてきた。
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