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創作をあえて”自分でやる”という選択肢

お久しぶりです..!!
デアです(o|o)/

実は最近、僕に新しい趣味ができました。
それは、
AE(アフターエフェクト)というソフトを使って
アニメーションを作るという事です。

えっ、AEって何???🤔

AEというソフトは、簡単に言うと、
ハリウッド映画でよく見る映像のエフェクトを作るためのソフトです。
具体的に言うと、AEは、映像の中にアニメーションやCGを盛り込んで、
あり得ないシーンや、迫力のある映像を作ることが得意なソフトです。

ただ、このAEというソフトは他の動画編集ソフトと組み合わせれば、
作れない映像はないというほど強力なソフトなのですが、
覚えることや考えることが多くて、操作がわかりにくいんです(-_-;)

画面を開くと、

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こんな画面が開き、必ず迷子になります。

それでも頑張って、何か月かかけ、動かし方をようやく理解して、
力作の映像を作ってみるものの.....
YouTubeや他サイトを見れば、第二の壁に当たります。

同じようなアニメーション、CG素材がいくつもネット上に落ちている.....!!!!!!!!!

何か月もかけて作った5秒のアニメーションは
他の人たちが余るほど挙げているという現実にぶち当たるんだ(~_~;)

そう。最早、AEなんていう高度なソフトを一般人が使いこなす必要なんて
全くないほど、この世界はすごい素材で溢れています。
さらに、スマホのアプリを使えば簡単な操作で
凄い物が作れてしまうそんな時代でもあります。

さて、前置きが長くなってしまったのですが、
ここから本題に入りたいと思います。

こういった事はAEに限らず、小説やものづくりなど、
クリエイティブな世界では必ずあることだと思います。

こういった、
「それでも創作活動を、現代でやることの本当の価値、意味」
という事について考えることが、この記事の目的です。

よろしくお願いします(o|o)

1.簡単に素材が手に入る世界で

痒い所に手が届く事は、自分で作らないと成し遂げられない。

創作活動をやることの本当の意味を探求する上で"料理"と結びつけて
考えてみたいと思います。

料理は今や、コンビニに行けばすぐに調理された物が食べることができ、
飲食店や出前館、ウーバーなどを使えば、美味しい料理がすぐに手に入る
手軽に食欲が満たせる時代です。

そんな誰もが料理をしなくても良い世の中になったのに、


料理をしたいという人々の欲求はなくならないんです...!!!!!

それはどうしてなのでしょうか...??

作った人の視点で、理由を三つにまとめて考えてみました。
その理由を全て書いていきます。

一つ目は、手作りの料理には情が入っているということです。
料理は誰のために作るのかということによって、
使う素材や完成形が変わってくる物だと思います。
だから、
身近な人が作った料理ほど自分に合った好み、味付けがされた物に変わり、
コンビニやレストランでは食べられないかけがえのない物が創出できるからだと思います。
こういった手作り料理を全く違う所に住んでいる人が食べた時に、
同じ料理でも味付けや風味のあまりの違いから驚くことが多いのも
こういった料理の中にある、かけがえのない物の連続が要因になっているのだと考えます。
これらの事を自分はその人の情が入っていると例えました。

二つ目は、自分の世界が広がるということです。
料理は手間をかけて作るほど、その料理の中身がよくわかります。
例えば、チャーハンを一生懸命作れば、
某飲食店のチャーハン料理や友人の作ったチャーハンに使われている物が
ある程度わかるので、
「ここをこんな味付けにしているのか!!」
「エビを入れることで全体のバランスが整っている!」
など、うまく言えないのですが、食べた時の感想の質が上がると思います。
また、作った料理を誰かに食べてもらうことで、
感想をもらったり、食べた後に元気にしている姿を見るなど、
自分を中心に周りの人が取り巻く反応が変わっていくことが面白いからだと思います。
こういったことが自分の世界を広がることにつながっているのだと考えました。

最後に三つ目は、やりがいを得られるからだと思います。
先ほどの、
一つ目で、情が入った料理を作ることでかけがえのない物が生まれたり、
二つ目で、料理の中身がわかったり、周りの人の反応で世界が広がっていくことによって、料理をすることが"やりがい"に変わっていくことを知るからだと思います。
言葉で説明するのは難しい、
何だか、心の中で何か自信を得たような
生きることに強くなる感覚を修得できるからだと思います。

他にも、料理をゼロから作っているほど他の事に応用が効くなど、
細かい理由も挙げられると思います。

これらのことを創作に当てはめるとどうなるのでしょうか?

先ほどのAEを調理台、作った動画を料理と置いてみましょうか。

・一つは、手作りの動画には情が入っているということです。
・二つ目は、手作りの動画は自分の世界が広がるということです。
・最後に三つ目は、手作りの動画はやりがいを得られるからだと思います。

少しおかしな表現になってしまったのですが、
これは全て当てはまるのではないでしょうか...?

自分は動画作りだけでなく、小説や作曲などの全ての創作にも
当てはまることだと考えます(o|o)/

誰かが作った物では得られない物が自分の手で作るという事には
詰まっていると思います。

2.スマホのアプリを使うことは創作しているのか?

"作っている"と"もらっている"ことの境界線

実は、同じ創作でもスマホのアプリを使うという選択肢があります。
動画編集もスマホのアプリのおかげで、
派手な映像やプロ顔負けの映像も作ることができるようになりました。

ただ、これは本当に作っていると言えるのか?

自分は”作っている”と”もらっている”ことの境目だと考えます。

これも先ほどの料理に置き換えてみればわかるのですが、
そば作りをするとして、そばを打つという最初の工程からやるほど、
先ほど紹介した三つのことが得られ、そばを茹でるだけなど、
工程を省略した所からスタートするほどその得られる物が
少なくなっていくと考えたからです。

工程を肩代わりしてもらうほど、
誰かからもらうことに近づいていくので、
得られる物が少なくなっていくというのが自分の考えです。

だから、最初に感じた、
動画編集で自分の作った物と、
ネット上に落ちていた物のクオリティを比べることは本当に無駄なことで、
何をどれだけ自分が得られたのかということにだけ着目すれば良いと感じました。

買う、もらうという選択肢を選ばずにあえて作る(創作)するということは、
生きることに強くなることだと自分は思いますg(o|o)q

最後に:自分で作ることには、自分で価値を見出すしかない

ここまで創作することを趣味のAEから、創作を料理に結び付けて、
いかに自分の手で作ることに意味があるのかということについて、
書いてきました。

そもそも、こういった事を記事にしたいと思ったのは、
バイト先にて、

AEやPremireProみたいな動画編集ソフトを使っててもカッコつけてるだけで、スマホで同レベルの物が作れちゃうよね。

という声を耳にしたからです。

操作の難しく、手間がかかる工程をAEやPremirePro(同じく動画編集ソフト)では迫られるけど、
スマホアプリを使えば簡単に同じような動画が作れてしまうという事に
どうしても反論したかった。

そんな背景から、この記事を書かせていただきました(o|o)

色々と書いて最終的には”生きることに強くなるから”と締めくくったのですが、いかに自分で作ったことを他の楽をして作った物と対比して、
価値を見出すという事が本当に大事だと思いました。

料理はどんなに楽をして作られるようになっても、
手作りは残り続けるように、
創作するという行為の価値は、
自分が見失わない限り、あり続けると思います。

そんな事を信じて、またこれからも創作と向き合っていきたいと思いますo(o|o)/

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この写真には言ったことの説得力が全くないけどね( ̄﹏ ̄;)

それでは、またお会いしましょう...!!
デアッ( o|o)/~

《出典画像》
https://gameanimation.info/archives/2836
AEの操作画面

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