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アートのルールを無視していませんか?

皆さん、こんにちは…‼︎
デアです!

いきなりすいません…
序盤のタイトルからお叱り口調なのですが、
実はこれ…
自分に向けて叱ってますσ(^_^;)

今日は…
サイエンスアートを考える上で、

大事な心構えを
自分のエピソードを交えて、書きたいと思います…‼︎

そのため、
うまくまとまった伝え方ができないかもしれないのですが、頑張ります💪💪

1. ルール大国 理系(機械工)の世界

理系の勉強がキツすぎる😫

はい…
序盤から自分事を話します💦

自分は今、理工学部の機械工学科っていう
ガチガチの理系の学科にいるんですけど、
とにかくキツい…

何がキツいかと言いますと、
一切、感情も使えないし、突飛な発想も
許されないからです…
‼︎

具体的に言うと、
毎日が感情のない数式に囲まれて、

"機械のコレコレがどのように動くか計算せよ"
"この部品をこの精度で精密に書きなさい"
"論理に基づいて、この現象を説明しなさい"
などなど…

そうすると、
ふつふつと感情が込み上げてくるんですね😓

あーーーーー‼︎‼︎‼︎
この世に"魔法"があったら、
感情で何でも動かせるようになるし、
機械工学科なんてなくなるのにな(つД`)ノ

理系の皆さんや関係者さんを含めて、
こんな発言をしてしまい、ごめんなさい🙇🏻‍♂️💦

でも、こうやって自分の感情と発想を殺しながら、数式や計算という"ルール"に従う生活に
自分の価値が見出せなくなって、
ただただ…苦しかっただけなんです(泣)

2. ルールはどこでも必要なのではないか?

アートや芸術の世界って心地よいわ〜😌

そんなことがありまして…
ガチガチの理系の世界に疲れ果てた自分は、
サークルが芸術系だったため、
いつも、
自分の感情や突飛な発想が許される世界に
癒されに行っていました。

芸術系の世界ではどんなことも自由なのに、
理系の世界では決められた世界で息苦しい…

こんな感情を抱えながら、ある時、
ふと思いついたのです。

そうだ!
二つとも合わさればもっと頑張れるかもしれない…
‼︎

とね( ̄+ー ̄)

そこから、サイエンスアートに繋がるまでの
道のりとして…
一人で美大に行って、
"メディアアート"という言葉に出会ったり、
今は終わってしまったのですが…
森美術館開催の「未来と芸術展」
大興奮して、ノリでYouTubeチャンネルに
作品紹介の動画を挙げるなどの
数々の道のりがあったわけですね😓

しかしですね…
サイエンスアートについて、
これらの道のりを経て考え続けたのですが、
私が苦しんだ"ルール""論理"といった事は
サイエンスアートの世界でも大事にされている
ことが漠然とわかり始めまして…

私は思いました。

ルールはどこへ行っても逃れられないのか😫

そう…
サイエンスアート、アートの世界ですら、
価値を判断するためには"ルール"が必要ですし、美しさを追求する上でも"論理"が必要なんです。
なんなら、どこにでもルールと論理はあって、
そこから逃れることなんてできないんです…

3. 巨人の足にも登れないデア君

それならもう一度、理系の世界でも頑張ろ😠

と…
一念発起をしまして、
デア君は全力で理系でガチガチの
サイエンスの世界と格闘したのですO=(%)o

その上で、
私の感情や突飛な発想が邪魔をしてくるのですが…

MBTIを用いて自分の生き方や思考パターンを
知って、なんとか制御したり、
それでも制御できず、鬱になった時は
サークルや外部の人達に助けられながら、

ひとまず…
ガチガチの計算と論理の"理系"の世界を
乗り越えることができたわけです。

(大学3年時のレベルでね(^_^;))

これらの騒動を乗り越えて言える言葉は
一つ…

巨人の肩に乗った研究者や発明家ってすげぇ…

要するに、
私が先ほどまで言ってきた
"ルール""論理"という物は
世界を考えるために、
先人達(研究者など)が作り上げたものであって、同じ世界について考えるサイエンスとアートはこれらを学ばない限り、見えてこないし、わからない物同士…

そういう意味での巨人であり、

デア君は巨人の足に登ることすら、
精一杯な自分に失望したのです。゚(゚´Д`゚)゚。

巨人の肩に乗って物事を見ている
芸術家、研究者や発明家って本当にすごい…

世界について考えたり、知ることは
こんなにも苦しい物なのかよーーーー
‼︎‼︎

と蛸壷に向かって嘆きまくりました(笑)

結論: サイエンスアート、アートの価値はルールで決まっていて、それらをしっかりと把握しないとアウト

じゃあ、あの芸術の心地よさは何…?🥺

色々と書いてしまいましたが…

私が、自由だと思っていた芸術やアートは
ルールでしっかりと定められていたことが、
村上隆の「芸術闘争論」という本によって、
決定づけられました。

一部、引用させていただきますが…

自由なのは、作品を見て心を震わせる人
それぞれの感性だけだ
アートピースとは、
作り方や売り方や伝え方を知らなければ
生み出せないものなのです。
勉強や訓練や分析や実行や検証を重ねてゆき、
ルールをふまえた他人との競争の中で
最高の芸を見せてゆくのが、
アーティストという存在なのです。
芸術を純粋無垢に信じる姿勢を取りがちですが、だったら趣味人で終わっていればいいんです。

グサグサグサグサ…😖😖😖

鑑賞者としての立場では自由であって、
制作者には自由が許されないのか…

ということで、サイエンスアートという分野に
携わるということは、
サイエンスの計算や論理も、
アートにおける価値判断のルールも
両方共、大事にし続ける厳しさに耐えなくてはいけないということですね(泣)

繰り返しになるのですが、
どの分野に行ってもルールは存在していて、
それに従わなかったらアウト。

アートは甘い世界じゃないんだよ…‼︎

ということを…再び訴えるのでした(o|o;))

〜〜〜〜〜〜〜     〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ということで、話は以上です!

うまくまとまっていなかったら、
ごめんなさい…随時、編集致します💦

かなり厳しい現実を突きつけられたのですが、
他の本も読んでみて、
「サイエンスアートにはまだ厳密なルールが
存在していないので、作ろう!」

ということだったり、
「そもそも人間の脳みそは論理が嫌いなように
できている。」

という内容がありました。

アートにも理系と同じような厳密なルール
がある事が心に刺さりましたが、
サイエンスアート方には厳密なアートに比べて少し余白があって、考える余地がありますし、
まだまだ自分と戦う必要があるようです🤔

そのため、今後も道を見失うことなく、

皆さんに、サイエンスアートについて、
発信していきたいと思います…
‼︎

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇🏻‍♂️✨
これからもよろしくお願いします…‼︎

それではデアッ‼︎(( o|o)/~

《参考文献》
[1] 村上隆
芸術闘争論 幻冬舎文庫 2010/11/1

[2] 久保田晃弘+畠中実
メディア・アート原論 フィルムアート社 2018/3/24

[3] 岸田 一隆
科学コミュニケーション 平凡社
2011/2/1


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