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私はメディアアートという言葉になぜ執着するのか

なぜ、メディアアート、サイエンスアートに心を惹かれるか書きたい。
(内省的な文章のため、興味のある方だけ読んで欲しい)

私は世間で流行っているチームラボ、落合陽一の作るデジタルネイチャーや、美大に置かれたメディアアートの作品を自分のサイエンスアートと認めていない。

それは、単純に私が作者の意図に迫ろうと努力をしていないから、
認められないのかもしれないが、仮にわかったとしても、
自分が求めている物とは違うんだ。

私が認める、代表的なサイエンスアートの作品は2点に限られる。
それぞれがどういった特徴を持っているのか説明しながら、
自分の求めている物について理解したいと思う。

1. やくしまるえつこ「わたしは人類」

これは微生物のDNAを基に生み出された音楽である。

DNAがA,T,C,Gの四つの塩基記号の配列によって生まれる生物が違うことは
中高の生物の時間に習うことだと思う。

DNAから音楽を作るまでだったら、私の心をそこまで動かすことはなかっただろう。

実は、その先に、作り出された音楽の情報を微生物に埋め込んで、
人類が滅亡した後も記録媒体として残し続けようというプロセスがある。

発想自体は奇抜だが、音楽の持つ情報は細分化すると「0」と「1」の情報の集合体なので、それを生物の情報を構成するA,T,C,Gに変換するという試みで、決して論理が飛躍したものではないのだ。

発想が飛躍していながら、論理が通った作品となっているのだ。

この作品は人類滅亡後の未来のために、記録媒体としてDNAを使い、
自分たちの情報を永久に保存できるようにしておこうという新しい記録の保存方法や、微生物の可能性を訴えるものだった。

私にとってサイエンスアートとは何か?と問われたときに欠かせない作品の一つである。

2. アンドロイド・オペラ 「Scary Beauty」

これは人間が「生命らしさ」を感じる条件を搭載したロボットに、
オーケストラの指揮者をやらせてみた作品である。

このロボットの名前は「オルタ」という名前だが、人が「生命らしさ」を感じる基準を動き方や、反応方法など、様々なアプローチを搭載することで、
バージョンアップがされている。

単純に「生命らしさ」を感じる基準を搭載したロボットだったら、
私の心をそこまで動かすことはなかっただろう。

ただ、オーケストラの指揮者をしている「オルタ」を見て、
「生命らしさ」だけではなく、人間の知能をAIが超えてしまうような畏怖を感じざるを得なかった。それこそが、まさに題名のScary Beautyだろう。

制作者はバリバリのエンジニア気質のロボット研究者と、
サイエンス気質の人工生命の研究者がタッグで作ったロボットなので、
作品のようなアートとしての要素は意図していなかっただろう。

それなのに、人の意識の中でしか存在しない「生命らしさ」を分析し続けるうちに、アートの領域を越えてしまったのだと思う。

何か「知」を探究し続けた先に、言語化できないアートの領域に到達してしまったのである。

私はこれをハプニングと言っていいのか、事故と言っていいのかわからない。

とにかく、人間の言語では説明しきれない領域を扱うアートの魅力に
私は惚れた。

私にとってサイエンスアートとは何か?と問われたときに欠かせない作品の二つ目である。

まとめ

私がサイエンスアートに惹かれた理由は主に二つである。

1,発想が飛躍していながら、論理が通っている。
2,「知」を探究し続けた先に、言語化できないアートの領域に到達した。

結論、私が求めていることは、現代社会の枠組みにとらわれない
突飛な発想が論理性を帯びている
ことと、人間のあらゆる言語では説明不可能な物(アート)と可能なもの(サイエンス、テクノロジーなど)を混在させているという二つの側面が、メディアアート、サイエンスアートに惹かれる理由であり、求めていることに近いのだと思う。

だから、自分のやることは一つ。

「知」の探究のために歩き続けることだ。

そうすれば、突飛な発想は自ずと生まれてくるし、
探究しているうちにアートと遭遇することになるし、
説明を求められて論理性を持たせることになるだろう。

未来を変えようとか、大儀なことを考えず、
気になったことをあらゆる角度から捉えて、明らかにしていけばいいじゃないか。

バイオアート(生物を使う芸術)の父、ジョー・デイヴィスは言っていた。

全てのものは全てと繋がっています。つまり私は知の統一を強く信じています。私の見解では、自然の中で、知というのは本質的に繋がっているわけですね。ある物事に対して興味深いなと感じた時、後ろに行ったり前に行ったり、要するにどこに行っても色んな情報が繋がって出てくるのです。それを探求する欲求には逆らえない。
http://boundbaw.com/world-topics/articles/54
私が常々考えているのは、サイエンスとアートが結合して、素晴らしいもの、本質的なものがでてくることが何よりも重要だということです。私が生み出したものは「サイエンス」なのか、「アート」なのか? そんな議論は他の誰かにやってもらえば良いのです。手を組んで離した時にサイエンスにもアートにも分けられないもの、それが完璧な状態だと思っています。
http://boundbaw.com/world-topics/articles/54

そして、ここが重要。

私は常に3つか4つのことが頭の中で同時進行しています。宇宙の神秘を理解するためのイノベーションの鍵は、多領域に意識を広げるだけではなく、マギのように、多岐にわたる様々な分野の造詣を深めることです。しっかりと学び続け多領域の知識を深める先に、世界の真理があると思っています。
http://boundbaw.com/world-topics/articles/54

たまたま、自分の求めていることがサイエンスアートや、メディアアートの
作品にあっただけで、自分が本当に心から求めているのはサイエンスアートや、メディアアートそのものじゃない。

知の探究を多様な分野を横断することで、自分の発想を豊かにしたり、
人々の意識、思考に訴えかけ、イノベーションを起こすような、
知の冒険家になりたいのだ。

だから、サイエンスアートやメディアアートといった言葉に縛られず、
多分野を横断してイノベーション起こす冒険家になることを
このブログにて誓いたい。

ただ、イノベーションを起こす対象は果たして、
更なる知の探究のためなのか、お金が発生するようなビジネスなのか、
何に対するイノベーションを起こしたいかは不明だ。

今のところは両方とも目指していると言っておこう。

2022年10月19日
川崎市のとある喫茶店にて


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