どこまで相手に伝えるか問題と自己受容について

婚活で出会った人と、今のところは良い感じに話したり、ご飯に行ったりできている。

こないだのご飯の時に、急に相手から「プロ野球の観戦チケットが当たったからどう?」と誘われたのだ。
もちろん断る理由はないし、ウェルカムなんだけどやっぱり旅行の移動が苦手な自分にとっては少したけど敷居の高さのようなものを感じてしまう。

パニック障害の診断が出たわけではないのだけど、過去にストレスが重なって、過換気のような感じになりそれ以来、「すぐに逃げられないと思うような場所や環境」が苦手になってしまっている。

そんな感じになって、もう十年ほど経つのだけど、なんだかんだ薬とか服用することなく、幾度となくピンチな状況を受け入れ過ごすことができてきた。【船と電車とバスはギリいける。でも飛行機は流石に無理なんじゃないかな、、、あと腎臓の検査入院で丸々半日以上ベットから動いてはダメと言われたときはもうほんとにダメだと思ったけど、なんとか乗り越えれた。「あれはほんとにえらかった!」】

「乗り越える」って書くとなんか歯を食いしばって「ふ〜ん」みたいなイメージだからあんまりこれから使わない方がいい気がしている(笑)確かに気分はそんな感じだけど、実際その状況を受け入れるしかないので、「乗り越える」だとなんかツッパネてる感はある気はするからできるだけ「受け入れる」って使お(笑)

この十年を振り返ってたしかに「乗り越えてきた」感覚はある。【もっと言うと、自分の人生にそういう感覚のことが多かった気もする】でも、やっぱりそれはしんどかった。もちろん、そのおかげで色々な恩恵をもらっている事も認識している。

でもこっから先、もちろん乗り越える事もあるだろうけど、どうにか「受け入れる」方に持っていけないだろうか?
もちろん受け入れつつも開き直らず努力することは大切だと思うし、去年から今年にかけて自分なりにそういう行動をしてきたつもりだ。

自分的には「ある程度受容できただろ〜」と思って婚活に参加したつもりだけど、実際いま付き合っている人がいて、旅行の誘いを受けて感じたのは「旅が苦手」な自分を果たして受け入れてくれるのかどうか?が心配だ。そう考えるということはぜんぜんまだ受容できてないのが浮き彫りじゃないか(笑)😂

でもどのみち、机上だけのもので受容できるものでもないし実戦あるのみみたいなところはあるからこれはこれでちょうどいい気もしている。

今のところ大きな心配は、そういう病気に関することを打ち明けて彼女が受け入れてくれるかどうかが心配だ。
主には、「IgA腎症」だということ。「軽いパニック障害」があるということ。

誰しも親しい人や恋人に「隠し事」は大なり小なりあるとは思うけど、どう考えてもこの隠し事は隠し通す自信がないし、なにより相手にも失礼だ。

どういうタイミングがベストなのか正直わからないけど、今のところ「正式に付き合う」タイミングがいいのかなと思っている。

相手の反応はもうその時の流れだけど、自分としてははっきり言う事で「自己受容」のようなものに近づけるのではないかと感じている。

やっぱり恋愛すると自分の受容してなさを痛感させられると同時に、多少荒療治かもだけど受容に前進する気もしている。

病気が分かって、もう5年ほど経つけどなんとなく自分の生を肯定しようと自分なりに工夫してきた感覚はある。
さすがにそろそろ自分を許してもいいんじゃないかな(笑)😂

そんなお付き合いができるといいな。

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