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続・NYのダウンタウンで見つけた愛

前回、noteに書いたダウンタウンのストリートアーテイスト、New York Romanticの訃報に関しての新たなニュースが今日、飛び込んできた。

https://note.com/jasminflower/n/nafc5e29c236f

New York Postというローカル紙によると、彼は6月14日にBrooklyn Bridgeからイースト・リバーに飛び込んで亡くなっていた。

私は直接彼に会っていないので、無責任に聞こえるかもしれないけど、この事を知った時、病気とか、あるいは政治的な見解の相違でプロテストで殺されたとか、そういった望まない形で向こうの世界に行くことよりも、まだ自分で死を選んだ事の方がある意味マシだと思った。

もちろん、私たちや残された街の人たち、この街のダウンタウンを愛し、彼のアクションを心から応援し続けてきた人たちには彼の死はたまらない。

でも、ものすごく悲しい事だけど、不可抗力で向こうの世界に行く事にならなかったいうのは、ある意味彼自身の納得した選択によるものだったってことだ。

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前回のnoteにも書いたけど、彼は数年前に街に立ち、ハートを地面に描くという行為でこの街の人たちに愛を広げる決心をした。その時の逸話が、今日読んだ彼の訃報記事にも書かれていた。

彼は7年前、ある女の子に恋をした。

その子のことが好きで好きで、二人でいる時間が本当に愛に満ちて素晴らしかったから、彼はその気持ちを街のみんなにも伝染させたいと思った。それがこのハートのプロジェクトを始めた最初のキッカケだった。

だから文字通り、このプロジェクトは愛から生まれた。

そして、夏の暑い日も、冬の寒い日も、彼は街中に愛を広げたいとチョークでハートを描き続けた。

でも、後日談によると、この彼女とは別れてしまったらしい。

それでも彼は、その後も毎日ハートを街の地面に描き続けた。そうやって彼女が去ったあとも、その気持ちを地面の上に表現し続けた。

そうして数年経った後に、みんなが彼の存在に気がつき始め、ハートのチョークドローイングでダウンタウンの人気者になった彼は、今年はついに個展の話が来て、その後は、個展会場がファッション雑誌の表紙の背景に使われたり、彼の描いたハートのデザインがキャンドルになったりと、いきなり色々なことがいっぱい押し寄せた。

他のグループ展示の話も来たし、彼のハートの絵のコレクターも出来た。

だから、彼の人生は、今まで努力してきた甲斐あって、まさに上り調子になりつつあるんだと私は思っていた。

だけど、彼が自ら命を絶ったと聞いた時に、この考えは変わった。

彼が本当に目指していたもの、彼が本当になりたかったもの、取り戻したかった時間は、多分その大好きな彼女と幸せに一緒にいられて、その想いが溢れて道にハートを描く事でその気持ちを街中のみんなとシェアしたいとまで思ったその瞬間と同じ気持ちをもう一度取り戻すことだったんじゃないかな。

多分、その頃の彼は、他には何もいらなかったんだと思う。ただ、幸せだった。彼女といることが、なによりも幸せで大事だった。だから、その後に、彼女が去ったあとに、そのハートのプロジェクトだけは残り続けて、色んな人に影響をあたえたり、みんなの気持ちを上げたり、助けたりしてきたのは間違いないし、それもまた、彼をハッピーで、幸せな気持ちにさせたに違いない。でも、それとは別に、彼が一番取り戻したかったのは、恐らく、彼女とただ一緒にいて幸せで、この街で未来を夢見ていた時間だったんじゃないかな。

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去年の3月、この街にパンデミックがやって来て、ロックダウンや生活の制限を否応おなしに私たちは受け入れなくてはいけなくなった。

そして、私たちの生活は完全に変わった。

ある意味、もう元のニューヨークには戻れない。もちろん、最近はワクチン接種の影響などもあり、街は一見活気を取り戻しつつあるかのように見えるけど、もうその前のNYと同じ街ではない。

それは、世界中どの都市でも同じかもしれない。

だからある意味、この場所、NYのダウンタウンで私たちが、何の屈託もなく普通に元気に過ごせていたパンデミックの前の時間はもう戻っては来ない。

多くの店は潰れ、人々の関係は変わってしまった。

そんな様子を彼は横目で見ながらも、希望を持って毎日チョークでハートを描き続けた。

その後に、個展や華やかな案件がたくさん舞い込んで、それは一見彼の人生や生活をガラッと変えて前に進めてくれるもののようにも見えた。

だけど、それは彼が本当に欲しいものじゃなかった気がする。

彼はもう2度と同じ街、同じ時には戻れない永遠に失われた彼女と過ごした7年前のハートを地面に描き始めた時の時間が、実は自分の人生にとって一番大切なもの、取り返したいものだったんだってここに来て気がついたのかもしれない。

そして、ひょっとしたら、彼女との思い出がいっぱいあるこの街で、今このタイミングで消えてしまいたかったのかもしれない。

これは私が勝手にそういう風に想像してるだけだから、真相はわからないけど。

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私は過去に自分で命を絶ったと言われているNirvanaのカート・コバーンのことを少しばかり思い出した。

カートもきっとそうだったと思うけど、名声とかそういうものよりも、周りの評価とか、そういうものとは関係なく、本当に自分自身になれて、本気で音楽で未来を作って行こう一生懸命に純粋に頑張っていた時のエネルギーそのものが、有名になることそのものよりも実は尊かったりする場合もある。

この感覚は、本当に繊細な人間にしか分かり得ないだろう。

一番最初に彼のハートを見つけてインスタグラムにアップした時、彼はどうやって見つけたのかわからないけど、すぐに自分のインスタに私のアップデートした写真をアップしてくれた。

そして、その後にフォローされたので、私も彼の存在を知り、フォローした。

その後、彼は私のインスタのアップデートに気がつくと、折を見てLike(好き)を押してくれるようになった。

そして、そのLikeを最後に押してくれたのは、亡くなった数日前だった。今月に入って、彼の投稿が減って来ていたので、個展の後、色々なビジネスで忙しくなっているのかな、と勝手に思っていたけど、もしかして、最後の決心をするまで、自分の表面的な現実と、本当の自分との乖離に思い悩んでいた時期だったのかもしれない。

彼が最後に私のインスタグラムにLikeを押してくれたのは、私が撮った鳥が飛んで行く様子が入った短い空の映像だった。撮影はダウンタウンのユニオンスクエアだ。

この画像に対するLikeが最期だった。

それを知った時、私はこの曲がどうしようもなく浮かんできて、心の中で泣いた。

日本という遠い国で作られたこの曲の中にある想いが、時空を越え、感じる全てを物語っていた。













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